不思議惑星キン・ザ・ザ…。

旧ソ連での公開当時、試写会ではこてんぱんにけなされ
「国民の金をこんなでたらめなものに使って」などといったキビシイ批判もあった。
が、頭のやわらかい若者には大いにウケた。いわゆる、カルト・ムービーである。

そしてここ、日本では1989年に公開されるや噂が噂を呼び、
あっという間にその不可思議な面白さにはまる人が続出。
公開10年以上経った今でもファンをひそかに増やし続けている。

そして当館でもめでたく12年ぶりの上映が決定!
でもでも、キン・ザ・ザの上映だけでは終わりません!
なんとー、『未来世紀ブラジル』と二本立て!!

カルト的なものが蔓延しすぎて、何がカルトか分からなくなりつつある現代において、
誰もが認める「これがカルトだ!」SF映画二本。これで寒い冬を乗り切ろう!

不思議惑星キン・ザ・ザ
KIN-DZA-DZA
(1986年 旧ソ連 135分) pic 2008年1月26日から2月1日まで上映 ■監督 ゲオルギー・ダネリヤ
■脚本 レヴァス・ガブリアゼ/ゲオルギー・ダネリヤ

■出演 スタニスラフ・リュブシン/エヴゲーニー・レオノフ/ユーリー・ヤコヴレフ/レヴァン・ガブリアゼ

★本編はカラーです。

不思議惑星キン・ザ・ザ。そのタイトルどおり不思議きわまりない不思議惑星の中の不思議星人たちのお話。

ある寒い冬の日。マシコフは仕事帰り。帰宅するなり妻に買い物を頼まれる。

「あなたー、買い物行って来てー」

素直に買い物に出掛けるマシコフ。そこにバイオリンを持った若い男、ゲデバンが近づいてくる(ゲデバンの顔が個人的に気になります)。

「あのう、あそこに自分の事を異星人だって言う人がいるんだけど…」

警察に行きなさいよと提案するマシコフだったが、裸足で寒そうだし可哀想というゲデバンに付き合って、自称異星人の話を聞くことに。

しかし、星のクロスナンバーがどうだの、座標が何だの訳の分からない話をされ、しまいには「空間移動装置なの」と言って男が取り出したヘンテコな機械のスイッチを、マシコフは押してしまう。あーあ押しちゃった。すると、砂漠の真ん中に…。

ここから、二人の漂流の始まりです。

最初から最後まで同じテンションのとぼけたBGMに乗って砂漠を歩く。たったそれだけでも可笑しい。水を求めて彷徨う二人。ゲデバンの荷物の中に入っているビンの中身は水じゃなくって酢だし…。なんで!?

何か来たと思ったら、釣鐘型の宇宙船だし。虫みたいにプイーンって飛んでくるし(ちょっと可愛い)。中の人はクーしか言わないし(ちなみに怒った時はキュー)、取るもの取ってとっとと飛んで行っちゃうし、この星ではものすごい価値のあるマッチをチラつかせたとたんフワフワとUターンして来る現金さ。

色のついたステテコを履いている人はステテコ様と崇められ(ステテコ…)、きちんと挨拶しなければ死刑。など数え上げたらキリがないくらい、??な星で、それなのにみんな真面目そうな顔してるから…何かもうたまらない。

社会風刺とか、旧ソ連の現実そのものが…とか、そんな真面目なメッセージさえも吹き飛ばしてしまうようなばかばかしさが、とっても居心地よいのです。(リンナ)


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未来世紀ブラジル
BRAZIL
(1985年 イギリス/アメリカ 143分) pic 2008年1月26日から2月1日まで上映 ■監督・脚本 テリー・ギリアム
■脚本 トム・ストッパード/チャールズ・マッケオン

■出演 ジョナサン・プライス/キム・グライスト/ロバート・デ・ニーロ/イアン・ホルム/キャサリン・ヘルモンド/ボブ・ホスキンス/ジム・ブロードベント

★本編はカラーです。

<あらすじ>

近未来のある国。個人のプライバシーは政府のコンピューターに完全に管理され、情報省が大きな権限を持って人々を支配していた。その一方で、反体制派は爆弾テロを繰り返していた。

<情報省記録局サム・ローリーの呟き>

毎日毎日同じような日々。ただただパソコンのモニターに向かい、キーボードを叩くだけの単調な事務作業をこなすだけの仕事。こんな僕は人間なのか、それとも機械の部品の一部なのか?情報統制された社会、完全に管理された世界、これが望んだ未来?でもこれが現実。たぶん僕なんかには何も変えることができないし、かといってここから逃げ出す勇気もない。気だるい敗北感を抱えたまま日々は過ぎ去るのだろう。そんなつまらない毎日にも一つの楽しみがある。夢。最近よく同じ夢を見る。夢の中では僕は立派な鎧を纏った騎士。背中には大空を自由に舞うことができる大きな翼。夢の中の僕はまるでヒーローだ。美しいあの娘を救うために恐ろしいサムライの怪物とだって勇敢に戦うことができる。でも、目覚めればまたキーボードを叩く小役人の姿に元通り。早く眠りたい。本当の僕は夢の中にしかいないのだから…。

この作品で描かれている未来社会ほど恐怖を感じる社会はない。手段と目的が全く逆になってしまっているからだ。書類のミスを正すのではなく、ミスした書類に現実を正す。役所はミスをしない、絶対にミスを認めないからだ。

その上書類の力は絶対だ。書類がないと役所はなんの対応もしてくれないが、書類があればそれが正しいことでなくても、絶対的な権力を行使する。例え人違いの拷問で人を殺してしまっても、書類に書いてあったからと悪びれる様子もない。人間が書類を管理するのではなく、書類が人間を管理する。未来世紀ブラジルで描かれているこの社会は、どこか今日の私たちの社会のようではないだろうか?そんな社会から逃げ出せる場所は夢の中にしかないのだろうか?

テリー・ギリアムお得意の風刺の効いたブラックユーモアと、悪夢を見ているかのようなドロドロのイマジネーションの世界。まどろむように迷い込めば、心地良い「ブラジル」の音楽があなたにも聞こえるてくるはず…。(縞馬)


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