アンチェイン
(2000年 日本 98分)
2007年3月3日から3月9日まで上映
■監督・撮影 豊田利晃
■音楽 ソウル・フラワー・ユニオン
■ナレーション 千原浩史
■出演 アンチェイン梶/ガルーダ・テツ/西林誠一郎/永石磨
アンチェイン梶というボクサーがいた。リングネームの“アンチェイン”の由来は、レイ・チャールズの名曲「アンチェイン・マイ・ハート」。心の鎖を解き放て!
アンチェイン梶は、たった一度も勝つ事はなかったが、彼はリングの上で、その名の通りに生きた。いや、リングを降りても梶は“アンチェイン梶”のままだった!
この映画はキック、シュート、さまざまなリングで活躍した格闘家たちの現役時代から現在まで、5年もの歳月を追いかけたドキュメンタリー映画だ。でも、言葉にするならドキュメンタリーというよりも生き様といったほうが何だかしっくりくる。汗臭い、人間くさい体温が、生きている熱が伝わってくる。思わず目を伏せてしまうくらいに。
リングという舞台は、一切の言い逃れを拒絶する過酷な舞台だ。勝つか、負けるか、それだけ。それまでの努力がどうのなんて誰も知ったことではない。そこで勝てなければ終わり。
彼らは常に負け続ける。そこで勝敗の曖昧な安易な日常に戻ることも出来るのだが、彼らはそうじゃなかった。それは、どんなボロクソにやられるよりも許せない、自分自身に負ける事だからなのかもしれない。「自分から逃げるな」なんて言うのは簡単だ。でも、誰にでも出来る事では決してない。うーん、だからなんだろうか、こんなにかっこよく見えるのは。彼らは逃げない。というか、自分自身をもぶっとばす勢いなのだ。
目の滑車神経麻痺で現役を退いてから、梶は「とんち商会」という会社を立ち上げた。が、「賃金払え」という脅迫まがいの電話を受け、何故か黄色いペンキを頭からかぶってタクシーに箱乗りし殴りこみに行ったり、ヤクザのロールスロイスを追い掛け回したり、通りがかりのオヤジに「一緒に月を見よう」と言ったり(何故!?)、それを断られ家までついて行ったり…。奇行といえばそうなのだけど、こういう人が本当に生きている人っていうのかな、なんて羨ましく思う。そんなこと言うとスクリーンの中から「そんならやったれば」なんて言われてしまいそうですが。
(リンナ)
マーダーボール
MURDERBALL
(2005年 アメリカ 85分)
2007年3月3日から3月9日まで上映
■監督 ヘンリー=アレックス・ルビン/ダナ・アダム・シャピーロ
■原案 ダナ・アダム・シャピーロ
■撮影 ヘンリー=アレックス・ルビン
■出演 マーク・ズバン/ジョー・ソアーズ/キース・キャヴィル/アンディ・コーン
朝、一人の男が、ゆっくりとガレージが開くのを待っている。足と肩に刺青を入れ、宙を睨む眼差しは、コロシアムでマタドールと向かい合う、闘牛の眼だ。男は腰掛けているメタルの塊のような車椅子を静かに押す。自身が所属する、車椅子ラグビーの練習に向かう為に。男の名前はマーク・ズパン。高校生の頃、交通事故に遭い、四肢麻痺という障害を一生背負うことになった。
五体満足に生まれて、若くて健康で、乗り物みたいに体を使いまくる。喧嘩したり、女の子を引っ掛けたり、走りまくって、飛び跳ねて、人生を謳歌して、そしてある日、そこから踏み外す。大きく、まっさかさまに。今まで、乱暴に使いまわしてきた体に、今度はタイヤのついた、本物の乗り物を与えられる。身体障害者用の車椅子。その椅子に初めて身を沈めた時、人は何を思うんだろう。
映画「マーダーボール」が追う、車椅子ラグビーのチームメイト達は、車椅子に初めて腰をおろしてからの精神状態を、「暗黒の二年間」と語っている。全く自由の利かなくなった身体とは裏腹に、「自分はこんな乗り物が無くても、いつかまた自分の足で歩けるようになる。」その悶えるような期待との闘いがしばらく続くのだと言う。
しかし、身障者が過去の傷を悔やみつつ、車椅子でもひたむきにがんばって生きていくおセンチな話だと思って観たら、ビンタを喰らう映画なのでご注意を。何せこの映画の主題、車椅子ラグビーは、またの名を「マーダーボール(殺人球)」と呼ばれるほど、激しく過酷なスポーツなのだ。”戦車”と呼ばれる、競技用に改造された彼らの車椅子は、その呼び名に恥じることなく、メタルの車輪が火花を散らすほど激しく敵にアタックする。ぶつかって車椅子ごと派手にコケるなんて、このスポーツの日常茶飯事の姿だ。でも”戦車”を抜きに見ても、彼らの戦意は十分伝わる。体の自由をもぎ取られ、どん底から這い出した人間がこんなに攻撃的になれるのかと、ショックと新鮮さが一緒にこみ上げてくる。
(猪凡)