シティ・オブ・ゴッド
CIDADE DE DEUS
(2002年 ブラジル 130分 )
2006年10月21日から10月27日まで上映
■監督 フェルナンド・メイレレス
■原作 パウロ・リンス
■脚本 ブラウリオ・マントヴァーニ
■出演 アレクサンドル・ロドリゲス/レアンドロ・フィルミノ・ダ・オラ/セウ・ジョルジ
■2003年アカデミー賞4部門ノミネート(監督・脚色・撮影・編集)
60年代後半、ブラジル、リオデジャネイロ郊外に新設された公営住宅”シティ・オブ・ゴッド”。災害や放火などで家を失った貧乏人達が天国を求めて集まってきた。スラムでは”優しき3人組”というギャングが毎日のように強盗を繰り返していた。ある日、3人は弟分のリトル・ダイスの提案でモーテルを襲撃する。しかしそれは大惨劇となり、3人は解散し身を隠した。数ヵ月後、警察に見つかったリーダーのカベレイラは銃殺されてしまう。カベレイラの死体にカメラを向ける新聞記者を見て、少年ブスカペはいつかカメラマンになって街を出ることを決意する。
時は流れ70年代。ブスカペは世界一安いカメラを片手に、楽しい学生生活を過ごしていた。そこにリトル・ダイスが、一日でスラムを支配できるほどの力を身につけ、リトル・ゼと改名し戻ってきた。やがて街は血で血を洗う時代に移っていく…。
ブラジルのリオデジャネイロと聞くとサンバやサッカーなどのラテン的な陽気さを真っ先に思い浮かべてしまう人も多いだろう。しかしこの陽気な感じが本作に欠如している訳ではない。むしろ陽気さがあふれている。暴力と陽気さは正反対の性質を持っているように感じるが、実はそれらは私達が勝手に考えているだけのようだ。何故か私達は陽気さとか明るさは善で、血生臭い暴力や殺人は悪と考えてしまいがちである。
善悪の基準とは、法律が正確に機能し、尚且つある程度の教育が行き届いている場所でないと、そんなものは無いに等しいのだ。善悪とは後天的なものに過ぎず、本来そんなに綺麗に分けることのできるものではない。善悪の基準をわかったふりして生きている私達はとても恵まれた環境に住んでいるのだろう。また陽気さや明るさは人間が本来もつ先天的なものである。元々持って生まれたものを後天的な型の善悪で考えることもできないだろう。最低な環境では善悪の基準よりも自分の利益を追求する者の方が正しいのかもしれない。だから彼等は人を殺しながら笑うことができるのだろう。
シティ・オブ・ゴッドの世界では、普通に生活していても貧乏なまま一生ゴミ溜めで生きるしかない。その上、治安も衛生面も悪くいつ死ぬかも分からない。ブラジル代表のアドリア−ノのようにサッカーの才能があったり、頭のいい奴は必死で勉強すれば、ファヴェーラ(貧民街区)を出ることができるかもしれない。しかし劣悪な環境でそんな才能や努力の花を開くことができるのはごく一部の人間だけだ。他は普通に暮らし細く短く生きるか、もしくはギャングになって太く短く生きるかしかない。どうせ短い人生なら苦労して生きるよりも、楽して一旗あげてやると短絡的に考えても全然おかしくないだろう。何かが麻痺している訳ではない。それが彼らの日常だ。
重い作品になってしまいそうなテーマだが、作品の印象は極めてポップだ。タランティーノやガイ・リッチーの如く、幾重にも張られた伏線の散りばめられた脚本、目まぐるしいカット割、時間軸をばらしたオムニバススタイル、小気味いいサンバのリズム等と、エンターテイメント色の強い作品に仕上がっている。しかしポップでスタイリッシュな表面にばかり気を取られていると最後の衝撃に度肝を抜かれることになるだろう。
(パンプキン)
ナイロビの蜂
THE CONSTANT GARDENER
(2005年 イギリス 128分)
2006年10月21日から10月27日まで上映
■監督 フェルナンド・メイレレス
■脚本 ジェフリー・ケイン
■出演 レイフ・ファインズ/レイチェル・ワイズ/ダニー・ヒューストン/ピート・ポスルスウェイト
■2005年アカデミー賞助演女優賞受賞(レイチェル・ワイズ)
太陽のような明るさを持つ活動家の妻テッサ(レイチェル・ワイズ)と秩序正しい外交官の夫、ジャスティン(レイフ・ファインズ)。全く違う性格を持つ夫婦だけれど、だからこそ惹かれあったふたりはジャスティンの駐在先であるナイロビで暮していた。
情熱的な活動家のテッサは正義のためなら権力を握る相手であっても関係なく立ち向かう。それはジャスティンの社会的立場にも波風を立てはじめていたのだが、事なかれ主義のジャスティンは見てみぬふりをしていた。その上、テッサが妊娠したことが判明したため、彼は我が子を待ち望む幸せな時に生きていたのだ。だけど、子供は死産になってしまう。悲しみを振り払う為か、退院後テッサは救援活動にのめりこんで行く。そしてあるときテッサは知ってしまうのだ。大手製薬会社がアフリカの貧しい人々を使って新薬の実験をしていることを。テッサはそのことについての調査レポートを作成し、外務省に密告する。そしてその数日後、何者かによって殺害されてしまう…。
ジャスティンは何かがおかしいと感じていた。情報を集めれば集めるほど疑問が湧きあがってくる。そして決意する。テッサの死の真相を自分の足で追ってみようと。
テッサの死を追い、テッサの軌跡をたどる。今まで妻はどんな活動をしてきたのか、何を思っていたのか。何故、死ななければならなかったのか。
時折現れる回想は笑う妻の顔。すべてはもう過去のこと。テッサはジャスティンのことをマフィンみたいだと言う。だけど妻を心配そうに見つめる優しい彼の目は、次第に真実を見据える真摯な瞳へ変わっていく。まるでテッサがそこにいるみたいに。ふたりのまなざしは確かに同じものだった。
(リンナ)