ジョゼと虎と魚たち
(2003年 日本 116分)
2006年2月18日から2月24日まで上映
■監督 犬童一心
■脚本 渡辺あや
■原作 田辺聖子
■音楽 くるり
■出演 妻夫木聡 / 池脇千鶴 / 新井浩文 / 上野樹里 / 江口徳子
恒夫は雀荘でアルバイトする大学生。近頃、お客の間では、決まって明け方に乳母車を押して歩く老婆のことが話題になっていた。乳母車で運んでるのは、大金?麻薬?そんな下らない噂話だ。ある日の朝方、恒夫は坂道を滑っていく乳母車と遭遇する。乳母車の中には包丁を振り回す脚の不自由な少女が乗っていた。その少女は自分のことをフランソワ―ズ・サガンの小説から取ったジョゼという名前を恒夫に呼ばせた。恒夫はこの不思議な少女ジョゼに次第に心惹かれていく…。
何も知らないことも知らない恒夫は、最初は突っ走ることができる。でも途中で、気付いてしまう。自分は自分で思っていたよりも、相当弱くて情けない奴だってことに。逆にジョゼは全てわかっている。だからジョゼは「その幸せな時はやがて終わって、また暗い暗い海の底へ帰っていく。でもま、それもまたよしや。」なんて言ってしまう。その時幸福でも、いつもどこかで終わりを予感している。そんな二人がしばしの間だけど幸せな時間を共有する。何処かファンタジックで優しい感じなのに、妙にリアルで痛々しく残酷にも感じるのは、そんな二人のどちらの気持ちも共感することができるからだろう。
また今作には色々な才能が集まっていることも魅力のひとつだ。オープニングのイメージフォトには『MAP』で木村伊兵衛写真賞を受賞した写真家の佐内正史。イメージイラストには『キぐるみ』でノベルコミックという文学スタイルを生み出したイラストレーター、作家のD[di:]。衣装にはファッション誌、広告等で活躍中の伊賀大介。音楽は主題歌『ハイウェイ』を歌い、サウンドトラックに初挑戦のくるり。 そして岩井俊二にその才能を買われ、今作が脚本家デビューの渡辺あやの良く作りこまれている脚本。その才能の一つ一つを,犬童一心監督が上手に混ぜ合わせることで『ジョゼと虎と魚たち』は、上質な作品に仕上がっている。
(パンプキン)
メゾン・ド・ヒミコ
(2005年 日本 131分)
2006年2月18日から2月24日まで上映
■監督 犬童一心
■脚本 渡辺あや
■音楽 細野晴臣
■出演 オダギリジョー / 柴咲コウ / 田中泯 / 西島秀俊
結晶作用で有名なスタンダールの『恋愛論』によれば、恋が生まれ、疑惑が生まれ、そして結晶作用を経て告白へと到るという。これは恋の話だが、はたして愛はどうなのか?
『ジョゼと虎と魚たち』を送り出した監督・犬童一心、脚本・渡部あやのコンビによる映画第二段。企画は『ジョゼ〜』以前の1999年から進められ、完成までに5年の歳月をかけた渾身の一作。
塗装会社の事務員の吉田沙織・24歳(柴崎コウ)。ある事情で借金を抱え、コンビニの夜勤を掛け持ちしている。生活に追われ化粧気もないが、専務の細川(西島秀俊)のことが密かに気になっている。
ある雨の日、若くて美しい男が沙織を訪ねてきた。岸本春彦(オダギリジョー)と名乗った男は、沙織の父・昭雄(田中泯)の恋人だった。幼い沙織と母を残して家を出て行った昭雄は、ゲイバーの二代目となり卑弥呼と名乗っていた。そして今はゲイのための老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」を創設し館長を務めているという。さらに春彦は卑弥呼が末期がんで余命幾ばくも無いことを沙織に告げ、ホームの手伝いを持ちかける。
父の存在を否定しながら生きてきた沙織は即座に申し出を拒絶するが、破格の日給に惹かれて嫌々ながらも「メゾン・ド・ヒミコ」へと向かうのだった。沙織と卑弥呼、春彦、そして個性的なホームの住人達との交流が始まる。
沙織と卑弥呼は互いを否定する。沙織と春彦は性的なつながりを最初から拒否されている。監督と脚本家はいささかファンタジックに時に唐突な展開を用いて、いくらでも残酷かつ辛らつになりうる関係を描写する。そこには、前提として疑惑がある。相容れないものへの疑いがある。そして恋は生まれようがない。けれど、その先には告白がある。そして、孤独ゆえに疑いを抱えた人々が、疑惑から告白へというプロセスを行っていく様が相手との関係を変え、観客の心を動かすとき、そこに現れたものは「愛」としかいえないのである。
マイノリティの描き方への批判はあるかもしれない。しかし、この作品がマイノリティのあり方=「リアリティ」を問うものではなく、「愛」を問うものであるならば、あなたにはまず作品に込められた「愛」を疑ってみてほしい。あなたの疑惑への答えはしっかりと『メゾン・ド・ヒミコ』の中にあるはずだ。
春彦役のオダギリジョーは監督の「この人しか考えられない」という言葉どおり、色気と品、激しさと静けさを絶妙のバランスで体現。「メイクダウン」して地味な役を演じた柴咲コウは、それまでのどの作品よりも「ブス」であるにもかかわらず、どうにもこうにも「チャーミング」だ。この人の目チカラが本物であることは、見つめるという動作でも、やぶ睨みでもなく、瞳を使って戸惑いながらも必死に何かを探している様にあるように感じられた。そして、物語の中心である卑弥呼を演じる田中泯は後半、ほとんどベッドの中での芝居であるにもかかわらず、「背筋の伸びた」佇まいで物語をしっかりと引き締めている。
(Sicky)