父と暮せば
(2004年 日本 99分)
2005年11月5日から11月11日まで上映 ■監督・脚本 黒木和雄(『美しい夏キリシマ』)
■原作 井上ひさし 『父と暮せば』
■出演 宮沢りえ/原田芳雄/浅野忠信

★本編はカラーです。
(C)2004 父と暮せば製作委員会

「うちは幸せになってはいけんのじゃ」―─「うちのぶんまで幸せになってちょんだいよぉー」

原爆投下から3年がったった1948年の広島。図書館に勤める美津江(宮沢りえ)は、原爆で愛するものたちを一瞬で失い、自分ひとりが生き残ったことに負い目を感じながらひっそりと暮している。

picある日、原爆関連の資料を探しにやってきた青年・木下(浅野忠信)と出会う。木下に好意を示され、美津江も彼に恋心を抱く。しかし、美津江は「うちは幸せになってはいけんのじゃ。死んだ人たちに申し訳のうて…」と、恋のときめきを抱くことにも罪悪感を感じ、必至に自分の心に蓋をしようとする。

そんな美津江の元に、原爆で死んだ父・竹造(原田芳雄)が幽霊となって現れる。美津江の「トキメキとため息と希望」によって生み出されたという竹造の幽霊は、娘の「恋の応援団長」を自認する。時に優しく、時に厳しく、娘の幸せの為にあの手この手を尽くす竹造であったが…。

黒木和雄監督の『TOMORROW/明日』『美しい夏キリシマ』に続く戦争鎮魂三部作の完結編となる本作は、井上ひさしの同名戯曲を原作としている。二年間の取材によって、被爆者の証言に裏打ちされた原作戯曲のすぐれたダイアローグはそのままに、原作ではセリフの中にしか現れない木下を登場させたり、CGや丸木夫妻の原爆画を使用したりといった映画だけの工夫も施されている。ただ、それらは映像表現としては極めて禁欲的かつ象徴的であり、父と娘の人間ドラマを妨げることなく機能している。

冒頭からあまりにあっけらかんとした、理想的とさえいえそうな父と娘の会話に驚かされた。言及されているのは、ピカ(原爆)によってどんどろ(雷)や写真撮影時のマグネシウムの発光を恐れることになったという、戦争の傷跡であるのだが、原田芳雄演じる父親の幽霊の軽薄とさえいえるような軽妙さと、宮沢りえが演じる美津江の可憐さは、むしろ平和すぎるほど平和である。しかし、そうして語られる原爆・戦争が、物語を追うごとに深く胸に迫ってくる。あからさまな感情の高ぶりは極力廃され、漂うユーモアの裏に、拭い去れない悲しみが見え隠れする。

反戦を声高に叫ぶのではなく、日常の中に押し込めた(あるいは押し込めきれず零れ落ちてくる)、戦争への悲しみや怒りが映し出される。ほぼ二人芝居の室内劇であるという点ではダイナミックさを欠いた映画だといえるかもしれないが、同時に、もっともダイナミックなのは人間であることを感じさせてくれる映画である。反戦・非戦を越え、人間を描いた映画であるといいたい。

茶目っ気のある娘思いの父親を原田芳雄が温かみたっぷりに演じ、懐の深さを感じさせる。宮沢りえは、父と戯れる時の瑞々しい姿と、自らの幸福を拒否するときの悟り、老成したような表情を見事に演じわけ、すでに大女優の風格を漂わせている。

(Sicky)


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トニー滝谷
TONY TAKITANI
(2004年 日本 75分)
pic 2005年11月5日から11月11日まで上映 ■監督・脚本 市川準
■原作 村上春樹
■音楽 坂本龍一

■ナレーション 西島秀俊
■出演 イッセー尾形/宮沢りえ

■オフィシャルサイト http://www.tonytakitani.com/

(C)2005 Wilco Co.,Ltd.

人を愛すると、世界が変わってしまうのです――。

トニーはずっと孤独でした。孤独でも平気だと思っていました。でも彼は、一人の女性が好きで好きでたまらなくなってしまったのです。彼が、やっと出会えた最愛の人。まるで世界が変わってしまったようでした。しかし幸福は、あっという間に彼の手の間をすり抜けていってしまうのです…

トニー滝谷の本当の名前は 本当に トニー滝谷だった。

『風の歌を聴け』以来、20年ぶりの村上春樹作品映画化。登場人物も少なく、主演のイッセー尾形、宮沢りえがそれぞれ二役をこなす。プリントに脱色処理を施した浅い色調、ナレーションと同化するセリフ、まるでページを捲るかのようにゆるやかに右へと流れることで表される、時間の経過。低温で無機質な空気を、坂本龍一のピアノがエモーショナルに被う。

pic「そこは特定の家や通りではなく、むしろ多くの印象の組合せだ」。これは20世紀アメリカの具象絵画を代表する、エドワード・ホッパーの言葉であるが、市川準が作り出したこの独特世界は、ホッパーの絵画のように空白が多く、非常に静かでリリカルだ。ありふれた風景でありながら、まさに印象の組合せにしか感じられない。しかし静かな映画こそ雄弁だ。

トニー滝谷は、生まれた時から潜在的に孤独だったかもしれないが、本当の孤独は「手にいれたい」と強く思うものを初めて見つけたときにこそ始まったのかもしれない。何かを手に入れたいと強く思うことは、それが今自分のもとには無いということを強く意識することに他ならないからだ。そして実際に手に入れてしまうと、今度は不安で不安でしょうがない。手にしている限り、いつかそれを失ってしまうかもしれない。何も持たずにいることよりも、失う恐れに苛まれることのほうがはるかに不安で孤独で、恐ろしい。しかしそれはまた同時に、なんて幸せなことなのか。

観ている側を襲うこの喪失感は一体なんだろう。観終わった後の余韻が、いつまでも静かに尾を引いた。個人的には、この映画が、2005年の邦画ベスト1でした。

(mana)



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