あの夏、いちばん静かな海。
(1991年 日本 101分)
2005年11月19日から11月25日まで上映 ■監督・企画・脚本・編集 北野武
■音楽監督 久石譲
■出演 真木蔵人/大島弘子/河原さぶ/藤原稔三/寺島進

(C)1991東通/オフィス北野

今や“世界のタケシ”として国内だけでなく、海外でもファンの多い北野武。7作目の『HANA-BI』では、ベネチア国際映画祭で金獅子賞(グランプリ)を受賞。日本映画では、実に39年ぶりの快挙を成し遂げた。

picこの『あの夏、いちばん静かな海。』は監督の3作目の作品。日常に介在する暴力をまざまざとみせつけ、映画界にセンセーションを巻き起こした1作目、2作目とはうって変わって、サーフィンを通して描かれる若者のラブ・ストーリー。

生まれつき聴覚障害のある茂は清掃車でアルバイトをしていた。彼の恋人の貴子も同じく生来の聴覚障害者であった。ある日、海岸脇のゴミ集積所で壊れたサーフ・ボードを見つけた茂は、それを持ち帰り、修理し、恋人を連れて海に出た。その日から茂は毎日海に通い、サーフィンの練習に明け暮れる。貴子もそんな茂を海辺でじっと見守るのだった。そして、そんな夏が終わる頃…。

pic主人公2人が聴覚障害者ということもあり、タイトル通りとても静かな作品。その静けさの中に優しさと切なさを包み込み、役者の表情や、映像、音楽からびしびしと伝わってくるものがあります。その演出の手腕は見事。この男、天才につき。

誰でもいちどは経験したことのある“あの夏”を、少し思い出してみてはいかがでしょうか?

(nico)


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Kids Return キッズ・リターン
(1996年 日本 108分)
pic 2005年11月19日から11月25日まで上映 ■監督・脚本・編集 北野武
■音楽監督 久石譲
■出演 金子賢/安藤政信/森本レオ/山谷初男/寺島進/大杉漣/石橋凌

(C)1996バンダイビジュアル/オフィス北野

バイク事故後の第一作となる『キッズ・リターン』は北野監督曰く「オーソドックスな映画を意識して作った」初めての北野作品である。そして、北野作品ではじめて主人公が死なない。 北野監督自身の気持ちであるというラストの「まだはじまっちゃいねえよ」のセリフはこれまでの北野作品とは異なった希望を感じさせる。

pic二流進学校の落ちこぼれ、シンジとマサル。教師には「いつでも辞めろ」と言われ、周囲の生徒達にも疎まれながらも、二人つるんで今この時の楽しみだけが目的とばかりに生きている。ある冬の日、以前カツアゲした高校生が呼んだ助っ人にKOされたマサルは、自尊心を傷つけられ、ボクシングをはじめる。

マサルは毎日ジムに通い、練習に励む。マサルにつれられてジムを訪れたシンジは、戯れに始めたスパーリングで、マサルにカウンターを喰わせてしまう。成り行きではじめたボクシングに徐々にのめりこんでいくシンジ。

一方、マサルはボクシングを諦め、以前助けられたヤクザの組長の元へ。互いに顔を合わせることもなくなった二人はそれぞれの道で、頭角を表し始める。マサルは組内部でのいざこざ中で、子分をもつまでに成長。一方のシンジはプロボクサーとしてデビューし頭角を表していた。ある日、マサルがジムを訊ねてくる。それぞれの世界でトップになったらまた会おう,と約束する二人。それぞれ頂点に向かって進んでいるはずだったが…。

pic例えば、血しぶきがあがれば、それが残酷なシーンであると言うことはできる。しかし、それがすなわち「痛みをともなう」「痛みを感じさせる」シーンであるということはできない。昨今の映画にあふれている安易な暴力描写のひどさといったら。

では、北野武の映画はどうか?彼の映画はまちがいなく「痛みを感じさせる」。単純に血が流れ、主人公達が死ぬ確率が極めて高いからではない。非常に冷徹な視点で描かれる暴力(バイオレンスではない)と死は、極めて簡素に表現される。それは殴り、殴られ、立ち上がって、また殴るといった、演劇的な暴力描写とはまったく無縁だ。落ち着き払ったカメラに映し出される、あっけなく決定される勝ち負けの残酷さが、痛みを生む。

『キッズ・リターン』では主人公のみならず、彼らをとりまく主要人物たちも死ぬことはない。しかし、勿論ここで描かれる青春も痛い。ボクシングというスポーツにおける殴り合いは、北野映画の暴力描写と一見異なるが、勝敗を決する、あるいは力関係が一転する様はやはりあっけなく描写される。作中における死の有無は痛みとは直接的な因果関係にはない。あるいは、生死の間にこそ痛みがあるともいえる。

だとすると、「はじまってもいない」シンジとマサルの人生には幾多の痛みが待ち受けているともいえよう。その意味でも、北野武は本来持っている冷静さ・冷徹さを『キッズ・リターン』以前の作品と同等かそれ以上に意識して、主人公達をみつめているともいえる。そしてそうした姿勢が、本作を数多の青春映画の中で出色の出来としている要因に感じられる。

北野武が従来の作品からひきついだ冷徹さと、今作ではじめて試みた生きていく主人公達の物語。両者がマサルとシンジのごとく対を成し、北野武のフィルモグラフィーにおける転換点となった記念碑的作品。

(Sicky)



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