ニュースの天才
SHATTERED GLASS
(2003年 アメリカ 94分)
2005年4月30日から5月6日まで上映 ■監督・脚本 ビリー・レイ
■制作総指揮 トム・クルーズ
■原案 H・G・ビッシンジャー

■出演 ヘイデン・クリステンセン/クロエ・セヴィニー/ピーター・サースガード/スティーヴ・ザーン/ハンク・アザリア/ロザリオ・ドーソン

■2003年全米批評家協会賞助演男優賞受賞

(C)GAGA-HUMAX

1人の男がいた。男は嘘がうまかった。彼は大観衆を涙させる劇作家になれたかもしれない。あるいはコメディアンとして大勢の人々を笑わせただろうか。しかし、幸か不幸か、彼は新聞記者であった。実在の男の話である。

picアメリカ大統領専用機の中で唯一設置されている権威ある雑誌「THE NEW REPUBLIC」の記者、スティーヴ・グラス。独自の切り口による記事で人気を集めた彼が放った41のスクープ。その内、実に27の記事が、実は捏造記事であったのだ。

脚本もてがけた監督のビリー・レイは、この捏造事件の真実を描くために関係者に取材を行い、その内容を反映させた。その際、本当の報道の現場と同じように情報源のチェックを複数回行うと同時に、取材源の秘匿にも配慮した。その結果、この作品は監督の言うように「素晴らしい報道映画になっ」ている。また、一人の記者の生活をしっかと描く事で、彼にのしかかったプレッシャーや、心の葛藤を描写する事にも成功している。

pic世界は悲惨な事件で溢れている。その一方で小さな幸せにも溢れている。それらをちょっとだけ大きく、誇張と嘘を含めて人に伝えることは許されない事であろうか?人々の目を、普段は隠されがちな悲劇に向ける。あるいは見落としがちな心 温まる出来事に向ける。受取った側にとって、それが有益な情報になりうることは否定できないのではないだろうか?

しかし、それらを報道という言葉をもって語るとき、嘘や誇張は完全に許されないものとして認識されるようだ。「誰も嘘のニュースなんて望んでいない」「真実が知りたいんだ」というよりは「真実を伝えるのが報道じゃないか」というように、我々は報道の定義に寄っているように思われる。つまり、ニーズよりも、報道それ自体の機能を自明のものとして扱っているのではないか。そして、そのことは報道を疑うという姿勢の欠如につながっていないだろうか?

では、送り手の側はどうだろう?真実を伝えるという使命だけを追求して報道を行っているか?あるいは受けてのニーズを探りながらの行為か?おそらくその両方だろう。そうでなければ紙面や時間がいくらあっても足りないし、部数や視聴率を完全に無視する事はできないのだから。ただ、そのバランスが受け手のニーズに偏ってしまった時、あるいは自己の名声を求めてしまったとき、ニュースは嘘になる危険性を露呈する。

pic必ずしも我々は受け手であるわけではない。報道という場面でなくても、インターネットは送り手と受け手の境界を曖昧にし、コミュニケーションの場面における伝聞や噂といったものもある。

1人のジャーナリストの話としてだけでなく、1人の男の、1人の人間の、世間、あるいは世界、すなわち他者との拘わり方の物語『ニュースの天才』。この男を神聖なる報道を犯した者、受け手を欺いた者として断罪するか。あるいは舞台を間違えたエンターテイナー、媒体を間違えた劇作家として愛するか。さあ、あなたはどちらだろうか?

(Sicky)


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約三十の嘘
(2004年 日本 100分)
pic 2005年4月30日から5月6日まで上映 ■監督・脚本 大谷健太郎
■原作・脚本 土田英生
■脚本 渡辺あや
■音楽 CRAZY KEN BAND

■出演 椎名桔平/中谷美紀/妻夫木聡/田辺誠一/八島智人/判杏里

(C)約三十の嘘制作委員会

「ひとつの嘘のためには、三十の嘘を用意しなさい」──サルバトーレ・ワコン

なぜ人は嘘をつくのだろうか。自分を誤魔化したいから?格好つけたいから?人に良く思われたいから…?

pic大阪発・札幌行きの豪華寝台特急トワイライトエクスプレスに乗り込む5人の詐欺師たち。落ちぶれた元リーダー・志方。クールな美人詐欺師・宝田。昔はアル中だった若手詐欺師・佐々木。頼りない新リーダー・久津内。お調子者の新参詐欺師・横山。そして京都駅から合流する6人目のメンバー、ボインの女詐欺師・今井。3年前、ある事件がきっかけで解散していたチームが札幌での大仕事のために、再び結集した。

ちょっとギクシャクしながらも、久々の仕事は大成功。トワイライトエクスプレスで大阪へと戻ってゆくメンバーだったが、動き続ける列車の中で、大金の詰まったスーツケースがどこかへと消える…。

pic劇作家・土田英生の同名戯曲を新たに脚本化。監督は『avec mon mari アベックモンマリ』『とらばいゆ』を手掛けた、大谷健太郎。共同脚本として『ジョゼと虎と魚たち』の渡辺あやも参加している。

絶妙な言葉のやりとりと、原作が舞台であったが故の場面展開の少なさが逆に、登場人物の人間模様、個性派揃いの俳優陣の演技を際立たせている。

大切なのは、お金か?愛か?“疾走する密室”のなかで、繰り広げられる嘘と嘘。しかし、嘘とは時に純粋であり、正直なのだ。

(ロバ)



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