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ホウ・シャオシェン

1947年、中国広東省梅県生まれ。1歳で家族とともに台湾へ移住。72年、国立芸術学院映画演劇科卒業。スクリプター、照明、助監督を経て80年に『ステキな彼女』で監督デビュー。

83年、オムニバス映画『坊やの人形』が評判となり、台湾ニュー・シネマを担う代表的な監督の1人となる。『風櫃の少年』('83)、『冬冬の夏休み』('84)でナント三大映画祭グランプリを2年連続受賞。

『童年往事 時の流れ』('85)ではベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞、『悲情城市』では('89)ヴェネチア国際映画祭グランプリを受賞した。その後も数々の作品を発表している。

8年ぶりとなる長編最新作『THE ASSASSIN(原題)』('15)は秋に公開予定。

フィルモグラフィ

・ステキな彼女('80)監督
・風が踊る('81)監督
・川の流れに草は青々('82)監督/脚本
・坊やの人形('83)監督
・風櫃の少年('83)監督
・冬冬の夏休み('84)監督/脚本
・童年往事 時の流れ('85)監督/脚本
・恋恋風塵('87)監督
・ナイルの娘('87)監督
悲情城市('89)監督
・戯夢人生('93)監督
・好男好女('95)監督
・憂鬱な楽園('96)監督
・HHH:侯孝賢('97)出演
・フラワーズ・オブ・シャンハイ('98)監督
・ミレニアム・マンボ('01)監督
・珈琲時光('03)監督/脚本
百年恋歌('05)監督
・ホウ・シャオシェンのレッド・バルーン('07)監督/脚本
・それぞれのシネマ('07)監督※オムニバスのうち一篇

先日、保育園の時の幼馴染たちに縁があって再会した。私は小学校に上がってすぐに引っ越してしまったので、20数年ぶりだった。みんなと話しているうちに、忘れていたはずの幼い頃の記憶が蘇ってきた。

昼寝の時間、自分だけ眠れずにいるのを先生に見つからないよう必死に寝たふりをしたこと、クリスマス会で渡されたキャンドルの火が怖くてすごく緊張したこと。そんなたわいもない思い出だ。どの記憶も、断片的だが鮮明である。

人の記憶とはとても感覚的なものだ。その日、汗ばむほど暑かったとか、風が強かったとか、日が沈む頃だったとか、あるいは、悲しい気分だったとか、そうゆう風に覚えているんだと思う。

今週上映するホウ・シャオシェン監督の作品は、まさにそういった記憶を呼びおこす映画である。田舎の駅の列車の音、山間を吹き抜ける風、子どもたちが遊ぶ通りを照らす光。そしてそこで生きている人々の、何も特別でない日々の生活をそっと掬い取る。

たとえば『童年往時 時の流れ』。50年代に中国本土から台湾に移住してきた少年・阿考(アハ)とその一家の年代記を綴っている。年代記といっても、ドラマチックとは程遠い、本当に些細なエピソードばかりだ。

この物語のなかで出てくる、父、母、祖母の死。だがそれも、ホウ・シャオシェンは当たり前のように、そっと静かに描く。人生の中で必ずやってくる、家族との死別。青春時代の初恋や仲間同志の喧嘩と同じように、誰もが経験することだからこそ、“死”も、日常の風景のひとつとして過ぎていく。

『童年往時 時の流れ』から2年後に作られた『恋恋風塵』は、青春と初恋に焦点をあてた作品だ。兄妹のように育てられた幼馴染の阿遠(アワン)と阿雲(アフン)は、中学卒業後、田舎から台北に出て働き始め、その中で互いに愛情が芽生える。阿雲が里帰りに土産で持っていく靴選びに阿遠が付き添えば、風邪を引いた阿遠を阿雲は一生懸命看病する。

けれど、2人の幼い恋は、タイトルが示す通り風に散ってしまう塵のように儚い。それが恋だと気付かないくらいだ。阿遠が兵役につき、離れ離れになってしまったことで恋は終わりを迎える。だが、唐突に訪れるこの失恋もまた、ホウ・シャオシェンは淡々と描く。たいした理由も説明も何もない。実際の人生ではそんなものだ、というように。

オムニバス映画『坊やの人形』の一編を担い、ヤドワード・ヤンらと並び、台湾ニュー・シネマを代表する監督となったホウ・シャオシェン。近年の作品まで一貫して描いてきた、“市井の人々の日常”。それこそが最も真実のドラマであると彼は語る。その言葉通り、彼の映画では、なんでもない出来事こそが、美しい自然や光に照らされて瑞々しく輝いている。

今週は、そのフィルモグラフィの中でも、80年代に作られた傑作『童年往時 時の流れ』と『恋恋風塵』を上映します。ホウ・シャオシェンを語る上で観逃すことはできない代表作をご覧ください。

(パズー)

童年往事 時の流れ
童年往事
pic (1985年 台湾 138分 ブルーレイ ビスタ)

2015年3月21日から3月27日まで上映

■監督・脚本 ホウ・シャオシェン
■製作 シュ・クオリャン
■脚本 チュー・ティエンウェン
■撮影 リー・ピンビン
■音楽 ウー・チューチュー

■出演 ユー・アンシュン/シン・シューフェン/ティエン・ファン/メイ・ファン

■1986年ベルリン国際映画祭映画批評家賞/ロッテルダム国際映画祭最優秀非欧米映画賞

今でも、たびたび思い出す。年老いた祖母の、
大陸へ帰る道は、幼いころ、わたしと歩いたあの道なのか。
一緒に青ザクロをとった、あの道なのか。

pic阿考(アハ)は1947年に広東省に生まれ、1歳のときに一家で台湾に移住した。阿考をふくめ5人の兄弟と、年老いた祖母、両親が彼の家族である。父は体が弱く自宅で療養の身だ。客家(ハッカ)語しかできない祖母は、北京語でアシャオと発音する「阿考」の名をアハと呼んだ。それでアハが彼のあだ名になった。

阿考は村の子供たちのあいだでガキ大将的な存在になり、のびのびと成長する。しかし、父の健康は思わしくなく、ときおり吐血する姿は子供心に小さな影を落としていた…。

少年の成長の年代記を、
彼と家族の日常をめぐるささやかな出来事で綴った
ホウ・シャオシェン監督の自伝的作品。

picタイトルが示す通り、子供の頃の思い出を回想したものである。ホウ・シャオシェン監督が自身の青少年時代を家族の姿も含めて描き出し、彼の映画としては最も自伝的要素が強い作品となっている。阿考という少年の小学生から高校生にいたる成長の年代記。そのなかで、遊び仲間との悪戯、入学試験、淡い初恋、そして家族との死別が綴られていく。そのひとつひとつのエピソードの積み重ねはいわゆるドラマチックなものではなく、淡々と走馬灯のように流れていく。

picホウ監督は本作ではじめてリー・ピンビンを撮影監督に起用。繊細な光の表現が評価され、リー・ピンビンはやがて台湾を代表するカメラマンとして国際的に活躍するようになった。主人公・阿考を演じたユー・アンシュンはこの作品までは無名であったが、以後は今日にいたるまでテレビや映画で活躍している。

恋恋風塵
戀戀風塵
pic (1987年 台湾 110分 ブルーレイ ビスタ)

2015年3月21日から3月27日まで上映

■監督 ホウ・シャオシェン
■脚本 ウー・ニェンツェン/チュー・ティエンウェン
■撮影 リー・ピンビン
■音楽 チェン・ミンジャン

■出演 ワン・ジンウェン/シン・シューフェン/リー・ティエンルー/リン・ヤン/メイ・ファン/チェン・シューファン

■1987年ベルリン国際映画祭フォーラム部門招待作品/ナント三大陸映画祭最優秀撮影賞・最優秀音楽賞受賞

風塵のように散っても なお
思いこがれる愛がある

pic1960年代末。山村で幼い頃から常に一緒に育てられた幼馴染の少年アワンと少女アフン。アワンは成績優秀だったが家が貧しく、家計を助けるために、台北に出て働きながら夜間学校に通っている。アフンも一年遅れて台北に来て働き始めた。大都会台北で二人の絆はさらに強くなり、何時しかお互いに愛情を抱くようになる。しかし、アワンは兵役につかねばならなくなり、二人は互いに手紙を送り合うことで互いの近況を報告し合うが、いつしか、アフンからの手紙は届かなくなり…。

胸にせまる抒情、忘れえぬ感動
ホウ・シャオシェン監督80年代の代表作!

pic 『恋恋風塵』はホウ・シャオシェン監督の長編第七作。兵役と青春の終章を深く繊細に描き、監督としての評価を決定づけた傑作である。風のぬくもり、空気の色、光のあたたかさ。美しい台湾の原風景を背景に、瑞々しい恋物語が綴られる。素人を大胆に主役に据え、人間そのものの持ち味が生き生きと引き出されているところが初期のホウ演出の大きな魅力のひとつだが、この作品の主役二人も全くの新人。少女アフンを演じたシン・シューフェンは『童年往事 時の流れ』に続く二作目で主役に大抜擢され、その後も『悲情城市』までホウ作品のミューズとなった。

「恋恋風塵」というタイトルはホウ監督がつけたもので、風塵とは、とるにたりぬほどの、どこに行ってしまうかわからないほどのという意味である。英題は「DUST IN THE WIND」。

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