top ★『静かなる一頁』は、製作から長い年月が経っているため、本編上映中お見苦しい箇所・お聞き苦しい箇所がございます。ご了承の上ご鑑賞いただきますようお願いいたします。

sokurov

監督■アレクサンドル・ソクーロフ

1951年、ロシア・シベリアのイルクーツク生まれ。1974年、ゴーリキー大学で歴史学の学位取得後、全ソ国立映画大学の監督コース終了。 レンフィルム(サンクト・ペテルブルク)にて10年ほどドキュメンタリー製作に携わる。

ソクーロフは、いまやロシアが最も世界に誇る映画監督であるが、ソビエト政権崩壊までは不遇であった。映画大学の卒業制作でもある第一回監督作品の「孤独な声」(1978年)が、タルコフスキーの擁護にもかかわらず、政府当局より公開禁止処分になったことは、広く知られている。以後、ペレストロイカ(1987年)が訪れるまで、1本も陽の目を見なかった。だが、ソ連崩壊前後、ヨーロッパの映画祭で彼の作品が上映されると、その見事な音設計と、絵画のような画面構成、説明を排した展開は、西欧社会から驚きを遥かに上回る賞賛をもって受け入れられた。1990年以後は、劇映画・ドキュメンタリー映画の境界を超えて、怒涛のように数多くの作品を発表している。

彼の名前を世界的に押し上げたのは、「エルミタージュ幻想」(2002年)である。美術品が展示された状態のままのエルミタージュ美術館内を、90分ワンカットで全編撮影したこの映画は、彼を育んだロシアの近現代史三百年を描いたもので、カンヌ国際映画祭で絶賛された後、ヨーロッパ各地、アメリカ、日本と世界各地で大成功を収めた。その後「太陽」(2005年 イッセー尾形、桃井かおり主演)では、敗戦直後の昭和天皇ヒロヒトを取り上げ、2006年に日本でも公開され大ヒットした。

いまや彼の作品は、毎年、ベルリン・カンヌ・ヴェネツィアの三大映画祭の、いずれかに出品されるまでになり、世界中にファンを獲得し、映画ファンのみならず創作活動に携わる多くの人々から、常に新作の待たれる監督になった。

filmography

・マリア(1975-1988)
・孤独な声(1978-1987)
・ヒトラーのためのソナタ(1979-1989)
・ヴィオラソナタ・ショスタコヴィッチ(1981)
・エレジー(1985-1986)
・モスクワ・エレジー(1986-1987)
・日陽はしづかに発酵し・・・』(1988)
・ソビエト・エレジー(1989)
・ペテルブルグ・エレジー(1989)
・ボヴァリー夫人(1989年―2009)
・セカンド・サークル(1990)
・ストーン クリミアの亡霊(1992)
・ロシアン・エレジー(1993)
・静かなる一頁(1993)
・精神(こころ)の声(1995)
・オリエンタル・エレジー(1995)
・オリエンタル・エレジー・ロシアン・バージョン(1996)
・マザー、サン(1997)
・オリエンタル・ノスタルジー(1997)
・モレク神(1999)
・ドルチェ 優しく(1999)
・牡牛座 レーニンの肖像(2001)
・エルミタージュ幻想』(2002)
・ファザー、サン(2003)
・太陽(2005)
・ロストロポーヴィチ 人生の祭典(2006)
・チェチェンへ アレクサンドラの旅(2007)
ファウスト (2011)


現れ出る全てのモノが戯れる。
アレクサンドル・ソクーロフの映画において、視界に飛び込むもの、聴覚を刺激するものは全て、不断に揺らめきつつ、滑らかな曲線を描きながら、だが孤独を頑なに守りながら、どうしても混じり合う。音楽と映像が、現実を切り取ったワンシーンと劇映画のワンシーンが、火や水、風や地が、動物や植物はもちろん、建築物や鉱物が、あるいは冥府の住人と生者が、時にはノイズを巻き起こし、また時には多声楽的な調和をみせる。「自分には日本人の血が混じっているかもしれない」と語ったソクーロフのフィルムには「八百万の神」(やおよろずの かみ)のように、万物に命が偏在し、ポリフォニーを奏でるのだ。

『日陽はしづかに発酵し…』の砂塵が舞う荒涼とした黄色い大地。そして朝でも昼でも夜でもない、進むことを忘れ絡み合う黄色に染まった時間。差出人不明の荷。突如現れる大蛇。死者との会話。扉の前でうずくまる少年。民族的な音色が響き、黄昏時・終末的な雰囲気は、日常・非日常の境界を消失させる不可思議に満ちている。

どこか監督自身の境遇とも重なる青年医師マリャーノフの旅路は
つまり、人生の不条理、浮き彫りとなる孤独を、物語っている。

書き上げようとしている学術論文は、邪魔が入り遅々として進まない。医師として患者を救おうにも、命は手に掬った砂のようにこぼれ落ちてゆく。幼気な少年とその運命に介在することも許されない。そして、砂漠に浮かび上がった迷宮のように出口のない街を、友人は去ろうとしていた。

広漠とした大地が広がり、そこにポツンとたちずさんだ青年によって、運命に対する人の無力が顕となる『日陽はしづかに発酵し…』。それでもマリャーノフは天をちらりと一瞥して笑う。まるで神様に微笑みかけるかのように。

そしてまた、「神などいない!」と吐き捨てた者もいた。
『静かなる一頁』の老婆殺しの青年だ。

彼は殺人という倫理的な過ちから自らの精神の世界に迷い込む。廃墟、あるいは牢獄のような湿り気を帯びた都市は彼の心象世界のようでもあり、病める魂の群れのようでもある。それはさながら死に彩られたバビロンだ。

退廃に満ちた世界を彷徨う青年は、まるで癒しのように微かに響く波音に引き寄せられていく。彼が観る水面に映った都市は、夢の残滓なのだろうか、それとも…。

ロシアの歴史と精神性を描き出しながら、人類普遍の孤独と病理をも射程に捉え、人生(歴史)のネガを照らすにもかかわらず、まるで宇宙にまで神経が伸び、拡張されたような、幻想・官能が観る者の全身をけだるく包み込む。空間全てが自分のようであり、決定的に他者であるような混濁。アレクサンドル・ソクーロフのフィルムを観るということは、楽園を舞うような全能を感ずること、そしてまた一方で、地上に墜落したかのような惜別と恐怖を抱くこと、そうした感情のアマルガムに身をゆだねることなのかもしれない。

(ミスター


静かなる一頁
WHISPERING PAGES
(1993年 ロシア・ドイツ 77分 SD/MONO)
2013年5月11日から5月17日まで上映
■監督・脚本 アレクサンドル・ソクーロフ
■原作 フョードル・ドストエフスキー「罪と罰」
■製作 タマーラ・モリギニコバ
■ダイアローグ ユーリー・アラボフ/アンドレイ・チェルヌィフ
■撮影 アレクサンドル・ブーロワ
■音楽 グスタフ・マーラー「亡き子をしのぶ歌」(演奏:マリインスキー歌劇場交響楽団)O・ヌッシオ「音楽と絵画」

■出演 アレクサンドル・チェレドニク/エリザヴェータ・コロリョーヴァ/セルゲイ・バルコフスキー

■1994年ベルリン国際映画祭・サンフランシスコ国際映画祭・カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭・ロカルノ国際映画祭・エジンバラ国際映画祭・レミニ映画祭・ゲント映画祭・ダンケルク映画祭・シカゴ国際映画祭・ストックホルム映画祭ほか特別招待作品

19世紀的主題が、新たなイメージと
SF的とでも言える独創的な手法で蘇った傑作!

pic19世紀末を思わせる霧に濡れそぼる波止場。アーチ状の地下通路のような街路を主人公の若者が歩いている。乞食や娼婦、ちんぴらなどがたむろする街角に老婆殺しのニュースが伝わり、ざわめきたつ人々。またバベルの塔のような建物のあちこちから飛び降りをはかっている人々もいる。その先は死か、あるいは幻想の水中都市か。

殺人を犯した孤独な若者と娼婦に身を落とした薄幸の少女との出会い。神を信じて救いを求めなさいと迫る彼女に、若者は神などいないと言葉を吐き棄てるが…。

「マーラーのスタイルはドストエフスキーにとてもよく似ている」
――ソクーロフ

ドストエフスキーの「罪と罰」をはじめとする19世紀ロシア文学の精神世界をモチーフにした世紀末的雰囲気の漂うドラマ。『日陽はしづかに発酵し…』に通じる、終末観漂うSF的かつ幻想的で、不思議な魅力に溢れた映画である。

聖なる娼婦を演じるのは撮影当時、若干14歳の美少女エリザヴェータ・コロリョーヴァ。そして主人公を演じるのも、いかにもソクーロフ好みの美青年アレクサンドル・チェレドニク。まったく無名の二人にもかかわらず、その魅力的な存在感はこの重厚な内容に相応しい奥行きを与えることに成功している。また、まさにこの映画のために書かれたのではないかと思わせる美しい調べは、G・マーラーの歌曲「亡き子をしのぶ歌」。ドイツのロマン派詩人F・リュッケルトの詩に、自らの死の運命を自覚したマーラーが書いた一曲と言われている。ソクーロフはこの曲こそ『静かなる一頁』全体の雰囲気を形作っていると言い、ドストエフスキーとマーラーの作品の近似性を語っている。


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日陽はしづかに発酵し…
Дни затмения
(1988年 ソ連 138分 シネスコ/MONO)
2013年5月11日から5月17日まで上映
■監督 アレクサンドル・ソクーロフ
■原作 ストルガツキー兄弟「世界終末十億年前」
■脚本 ユーリィ・アラボフ/アルカーディー・ストルガツキー/ボリス・ストルガツキー/ピョートル・カドチニコフ
■撮影 セルゲイ・ユリヅジツキー
■音楽 ユーリイ・ハーニン

■出演 アレクセイ・アナニシノフ/エスカンデル・ウマーロフ

■1988年ヨーロッパ映画賞審査員特別賞受賞

けだるい熱病のような欲望と痛みに
いま魂が出会う

picトルクメニスタンの荒涼とした土地に派遣されたロシア人の青年医師マリャーノフ。ヨーロッパとアジアを結ぶ土地の文化に戸惑いつつも、現地の青年サーシャと友情を培い、患者を診ては学術論文を書く日々を送っていた。だが、ある日届いた差出人不明の小包を開けた時から、マリャーノフの生活に歪みが生じ始める。彼にはなんの憶えもないのに、姉が「呼ばれてきた」と訪ねてきたり、患者で軍の技術者のスニェガヴォイが「ものを書くのは危険だ」と謎の言葉を残して不可解な死を遂げたりしたのだ。そして、死んだ患者のもとから戻ったマリャーノフは、家に銃を持った男に押し入られてしまい…。

覚めない悪夢の不条理な世界を鮮烈な映像でつづる
初期ソクーロフの最高傑作

pic中央アジアの荒涼とした土地を舞台に、ロシアとアジアの青年の交流を軸に繰り広げられる壮大な叙事詩。ストルガツキー兄弟原作のSF名作「世界終末十億年前」をもとに、複数のロシア屈指の脚本家による脚本が、ソクーロフ演出を経て完成された。

スターリンの強制移住に端を発している民族問題、イスラム教とキリスト教の一派である古儀式派との関係、核開発による自然破壊など、複雑なロシア現代史を底流に構築された本作には、後のソクーロフ作品に漂う独自の世界観、終末観が表現されている。冒頭、荒涼とした黄色い砂埃の舞う大地に急接近するカメラに驚くが、実際にカメラマンは監督の要望に従い、空から舞ったそうだ。ちなみに印象的な黄色い大地はウラン採掘の跡地である。『日陽はしづかに発酵し…』は、第一回監督作以後、国内では一本も公開されることなく冷遇されていたソクーロフを、一気に世界的な名前に押し上げた映画でもある。なお、日本国内では92年レン・フィルム映画祭において「日蝕の日々」のタイトルで初上映された。



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