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★製作から長い年月が経っているため、本編上映中一部お見苦しい箇所・お聞き苦しい箇所がございます。ご了承の上、ご鑑賞くださいますようお願いいたします。

市川崑

監督■市川崑

1915年11月20日三重県生まれ。 33年に京都J.O.スタジオ(東宝の前身)にアニメーターとして入社。企画、脚本、作画、撮影、編集を学び短編アニメ「新説カチカチ山」を監督。その後、助監督部に転籍し上京。48年新東宝の「花ひらく」で監督デビュー。同年、和田夏十と結婚。

51年に東宝に移り、「結婚行進曲」、「足にさわった女」など、大胆で都会的センスに満ちた社会風刺コメディーを手掛け評価を得る。56年、日活に移籍して監督した「ビルマの竪琴」で、ヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジョ賞を受賞。次いで大映では「野火」「おとうと」「黒い十人の女」など、名作、話題作を連発する。

73年には、初の独立プロ作品「股旅」を製作、監督する。草創期からその可能性を追求してきたテレビ作品でも、「木枯らし紋次郎」シリーズで一大人気を博す。その後も、「犬神家の一族」、それに続く金田一シリーズ、「細雪」、「四十七人の刺客」、「八つ墓村」「どら平太」など、精力的に作品を発表。

82年紫綬褒章叙勲。88年勲四等旭日小綬章叙勲。94年文化功労者として顕彰。08年正四位叙位、旭日重光章叙勲。

2008年2月13日、92歳で死去。75年に渡る生涯現役の映画人生に幕を下ろした。

フィルモグラフィ

・新説カチカチ山(36)
・花ひらく 眞知子より(48)
・三百六十五夜 東京篇 (48)
・三百六十五夜 大阪篇(48)
・人間模様(49)
・果てしなき情熱(49)
・銀座三四郎(50)
・熱泥地(50)
・暁の追跡(50)
・夜來香(いえらいしゃん)(51)
・恋人(51)
・無国籍者(51)
・盗まれた恋(51)
・ブンガワンソロ(51)
・結婚行進曲(51)
・ラッキーさん(52)
・若い人(52)
・足にさわった女(52)
・あの手この手(52)
・プーサン(53)
・青色革命(53)
・天晴れ一番手柄 青春銭形平次(53)
・愛人(53)
・わたしの凡てを(54)
・億万長者(54)
・女性に関する十二章(54)
・青春怪談(55)
・こころ(55)
・ビルマの竪琴 第一部(56)
・ビルマの竪琴 第二部(56)
・処刑の部屋(56)
・日本橋(56)
・満員電車(57)
・東北の神武たち(57)
・穴(57)
・炎上(58)
・あなたと私の合言葉 さようなら、今日は(59)
・鍵(59)
・野火(59)
・女経(じょきょう)(60)
・ぼんち(60)
・足にさわった女(60)
・おとうと(60)
・黒い十人の女(61)
・破戒(62)
・私は二歳(62)
・雪之丞変化(63)
・太平洋ひとりぼっち(63)
・ど根性物語 銭(ぜに)の踊り(64)
・東京オリンピック(65)
・トッポ・ジージョのボタン戦争(67)
・京(68)
・愛ふたたび(71)
・股旅(73)
・時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日(73)
・吾輩は猫である(75)
・妻と女の間(76)
・犬神家の一族(76)
・悪魔の手毬唄(77)
・獄門島(77)
・女王蜂(78)
・火の鳥(78)
・病院坂の首縊りの家(79)
・古都(80)
・幸福(81)
・細雪(83)
・おはん(84)
・ビルマの竪琴(85)
・鹿鳴館(86)
・映画女優(87)
・竹取物語(87)
・つる-鶴-(88)
・天河伝説殺人事件(91)
・帰って来た木枯し紋次郎(93)
・その木戸を通って(93)
・四十七人の刺客(94)
・八つ墓村(96)
・新選組(00)
・どら平太(00)
・かあちゃん(01)
・犬神家の一族(06)
ユメ十夜(07)

*主に劇場監督作のみ

昨今人々は現実に対して中毒症状を呈している。
「事実は小説より奇なり」という言葉を、
全く無邪気に受け入れ、信じ、ほんとうでないと、
或いはほんとうらしくないと鼻もひっかけない精神状態である。
ほんとうにほんとうではないと面白くないという精神状態は、
本当は異常なのだ。精神が衰弱している状態だ。
現在の我々に欠けているのは、つくりものを尊ぶ気風である。
我々一人々々の心の奥にデンとあぐらをかいている
「尊いのはほんもので、つくったものはまやかしだ」という信仰を
こっぱみじんに砕かねばならない。
なぜなら、オリンピックは、
人類の持っている夢のあらわれなのだから。
(映画『東京オリンピック』脚本序文より)

『東京オリンピック』は市川崑監督、その夫人でシナリオライターの和田夏十、白坂依志夫と詩人の谷川俊太郎の四人によって撮影前に緻密なシナリオが書かれています。これだけとってもドキュメンタリーでは異例のことですが、そこに綴られた言葉の熱量といったら。アニメーションからキャリアを出発させた劇映画畑の市川崑監督が、初めてドキュメンタリーに挑戦するに際しての決意表明ともいえる言葉の端々から、単なる記録には終わらせまいとする野心が感じ取れます。

その作り手の野心と、それに共鳴した映画界以外からも多数参加したスタッフたち(特異なエンドクレジットにも注目です)の努力の結果、『東京オリンピック』は唯一無二の傑作となりました。東京オリンピックのドキュメンタリーと聞いて堅苦しい記録映画を想像して敬遠しているような人、スポーツに関心がないという人にもぜひ観ていただきたい! 今なお色褪せない、新鮮な魅力にあふれた瑞々しい作品です。テレビのスポーツ中継みたいなものを想像していたら驚くこと確実です。

『東京オリンピック』の魅力、それは世界中の強豪選手達が競い合う様をとらえたダイナミックな映像だけにとどまりません。試合に臨む選手達のちょっとしたクセを凝視することで生まれるユーモア、国や勝ち負けに関係なく、懸命に競技に打ち込む選手達に歓声を送るたくさんの人々の笑顔、マラソンや自転車ロードレースの場面などに写る当時の東京の風景(今見るとよけい新鮮に感じる要素ですね)、競技スタッフとしてオリンピックに参加している人々の姿…。これらも名勝負や名演と並んで『東京オリンピック』という映画を形作ります。

この作品は単なる試合の記録にとどまらず、「東京オリンピック」という未曾有のビッグイベントに参加した人々と、当時の熱い空気をまるごと詰め込んだ一大ドキュメントなのです。その圧倒的熱気は各国の選手達が入り乱れて共に笑いあう、まるでお祭りのような閉会式で最高潮に達します。この光景を見ていると、大きな2度の世界大戦がおわり、平和の下に世界中の人々が集まって一緒に東京オリンピックに参加できたことへの喜びと祝福の想いがストレートに伝わってきます。

公開当時、その記録にとどまらない斬新な内容で世界中の映画人に衝撃を与えた『東京オリンピック』。市川崑監督による人間賛歌とも言える美しく力強い映像とそこに込められた平和への祈りは、製作から年月を経ることで色褪せるどころか、むしろより輝きと切実さをもって現代の私たちの胸にせまってくるのです。

(ルー)

東京オリンピック
pic (1965年 日本 170分 35mm シネスコ/MONO)
2013年12月28日から2014年1月3日まで上映
■総監督・脚本 市川崑
■プロデューサー 田口助太郎
■脚本 和田夏十/白坂依志夫/谷川俊太郎
■撮影 林田重男/宮川一夫/中村謹司/田中正
■音楽監督 黛敏郎
■演奏 読売日本交響楽団
■ナレーター 三國一朗
■技術監督 碧川道夫
■指揮 飯守泰次郎/森田吾一

★一本立て上映です。ラスト一本割引はありません。

オリンピックを「祝福」すると同時に、人間の「理想」と「現実」に視点をおき、アジアで最初のオリンピックの意義と全貌を、輝かしい記録として留め、全世界の人々にくまなく鑑賞してもらえれば、この映画の制作の目的は果たせられるのだと思っています。市川崑

【映画史上空前のスケール】
☆従来の五輪映画はスタンダードだが、こんどはワイド作品。ワイドにするにはどうしても1500ルクスの明るさが必要だが、これでは閉会式などの夜間撮影が出来ない。そこでイタリアからテクニ・スコープ(2パーフォレーション)カメラ5台を輸入。移動性・機動性に富んだこのカメラで縦横に撮りまくった。
☆映画に使われるのは世界で初めてという2000ミリと1600ミリの超望遠レンズを使用。
☆日本の光学技術人が完成した、世界最初の映画望遠専用スポット・メーターを使用。
☆録音部門ではオリンピック映画史上初のステレオ録音を使い、量感、臨場感等、従来の録音では考えられない驚異的な音の収録に成功した。

【結集された最高の技術】
☆東京オリンピック記録映画は映画としても記録破り型破り。市川崑総監督以下製作にたずさわったスタッフが556人(うちオーケストラ85人、カメラマン164人、録音技師57名)という大スタッフ陣である。
☆製作費用は(当時の)3億7千万円という厖大な数字になった。
☆撮影したフィルムはイーストマンカラーで約40万フィート(内白黒フィルム1万4千フィート)。富士山の高さの約40倍の長さになる。
☆動員されたカメラも驚異的で、ミッチェル2台、エクレルハイスピード3台、カメラフレックス5台、アリフレックス46台、アイモ47台、合計103台となる。
☆録音したテープが16万5千メートル、全部聞くのに240時間かかるという。

この映画は純然たる記録であって、しかも単なる記録に止めてはならない。なぜなら、オリンピックは人類の持っている夢のあらわれなのだから。
その時々の厳しい現実がなんらかの形で反映したではあろうが、四年毎に多くの費用と人力に傾注してオリンピックが続けてこられたこと、今後もまた続けられるであろうことは、人類が人間として全く平等であろうとする信念が底流に力強く脈打っているからこそなのだろう。(シナリオの一節より)

(以上全て『東京オリンピック』公開当時のパンフレットより)



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