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今週はイ・チャンドン監督特集。
お届けするのは『ポエトリー アグネスの詩(うた)』『シークレット・サンシャイン』
美しい語感のタイトルが印象的な両作は、痛みを通過した上での例えようのない輝きが心に響きます。

イ・チャンドン監督が映し出す風景。そこに“特別なもの”はなにもない。
街並みや、川や、行き交う人々。呼吸する空気から、聞き取る音や、踏みしめる地面まで。
それらは、私たちが知りうる日常にきわめて近しい現実的な手触りがする。
特色の希薄な無表情な街。その社会の片隅でイ・チャンドン監督の主役たちは、いつも“探し物”をしている。

無垢な老女ミジャは詩を見つけることを(『ポエトリー〜』)。
息子を亡くした母親シネは、大きな喪失を埋め合わせるなにかを(『シークレット・サンシャイン』)。
つまり両作は、生きることの意味を探し続ける二人の女性の物語だ。

『ポエトリー〜』の老女ミジャ。まるであどけない少女のように笑い、
オシャレを褒められると素直に喜び、孫の食べる姿を見るのが何よりも好き。
まるで夢をまとって生きているような彼女ほど、無垢という言葉が似合う女性はいない。

『シークレット・サンシャイン』のシングルマザー、シネ。
亡き夫の地で生きることを決意した彼女は気丈に振る舞って生きることを決意する。
その姿は周囲の人々にしてみれば、一見、取っつき難い人物と映るかもしれない。
だが、彼女が息子を見守る表情は、暖かな慈愛で満たされている。

ミジャとシネ。彼女たちは夢見る。あるいは完璧でありたいと願う。
けれど、そう願えば願うほどに、理想はあえなく瓦解してゆき、
厳しい現実がミジャとシネに突きつけられる。

詩を紡ごうと懸命に花鳥風月を眺め、
言葉を拾い集めるミジャはアルツハイマーの初期症状にある。

息子の喪失を神の愛によって救われたシネ。
けれど、その神のあまりにも大きな愛は、彼女を残酷に裏切ってしまう。

深い絶望ゆえの、彼女たちの身を裂かんばかりの叫びは何と悲痛なことだろうか。

だが、平凡な風景の中、ささやかに、静かに、けれど鮮やかに、
光が差し込んでいることに私たちは気付くはずだ。

例えば彼女たちの傍には、不器用で武骨な男たちがいた。
ミジャが参加する詩の朗誦会で下品なことばかり言って、みんなを笑わせる警官のパク。
シネに「俗物」と言われてしまうような男、ジョンチャン。

彼らの存在のかけがえのなさは、“真に美しいもの”を見つけようとするミジャやシネの視線には、中々映らない。
しかし、二人の探究の物語の中で私たちが気付くのは、なんでもないと思われていたものに、
身近なものに、あるいは疎ましいと思っていたものに、無償の光の光源があることだ。

たとえ言葉を知らなくても、忘れてしまっても、詩を紡ぐことは出来る。
妥協や失望を乗り越えたからこそ、わかる美しさがある。
それは、夢想の中での見せかけの美しさの何倍も、光り輝いている。

淡々と静かに幕を閉じる2つの作品。けれど“秘密の光”の存在に気付き、“詩”の萌芽する瞬間を目にした方は、
きっと“特別なもの”はなにもないこの世界が、少し違って見えるのではないかと思います。

(ミスター)

シークレット・サンシャイン
SECRET SUNSHINE/密陽
(2007年 韓国 142分 シネスコ/SR) 2012年8月4日から8月10日まで上映 ■監督・製作・脚本 イ・チャンドン
■原作 イ・チョンジュン「虫の物語」
■撮影 チョ・ヨンギュ
■音楽 クリスチャン・バッソ

■出演 チョン・ドヨン/ソン・ガンホ/チョ・ヨンジン/キム・ヨンジェ/ソン・ジョンヨプ/ソン・ミリム/キム・ミヒャン

■2007年カンヌ国際映画祭主演女優賞受賞/2008年アジア・フィルム・アワード三冠達成(作品賞・監督賞・主演女優賞)/2008年パームスプリングス国際映画祭主演男優賞受賞 ほか多数

■オフィシャルサイト http://www.cinemart.co.jp/sunshine/

ふりそそぐ陽射しをどれだけ浴びたら
あなたの悲しみは消えてゆくのだろう

pic幼い息子ジュンとふたり、ソウルから亡き夫の故郷である地方都市、密陽(ミリャン)に移り住んだシングルマザーのシネ。不器用だが面倒見のいい地元の男ジョンチャンは彼女に好意を寄せ、頼まれてもないのに何かと世話を焼く。やがて商店街にピアノ教室を開いたシネは、ぎこちなくも穏やかに新天地で生活し始めた。

しかし悲劇は何の前触れもなく起こった。ある日、ジュンが何者かに誘拐されてしまう。息子を取り戻すため犯人の要求を受け入れ、全財産を引き下ろしたシネだが、ジュンが帰ることはなかった。悲しみのどん底に突き落とされるシネ。ジョンチャンが差し伸べる優しさも拒否し、しだいにキリスト教という別の救いを求めるようになるが…。

チョン・ドヨン、ソン・ガンホ、イ・チャンドン。
韓国映画界の至宝が贈る、生涯忘れられない最高の一作。

pic最愛の人を失ったシングル・マザーが陥る絶望、その悲しみを受け止めることしかできない不器用な男の愛と再生。悲しみが狂気に変わるとき、人はどうすればいいのか――。『シークレット・サンシャイン』はある女性の魂の救いをテーマにした珠玉のラブ・ストーリーである。すべての希望を失っても、<密やかな愛>はきっとあなたを照らし出す…それは空から降り注ぐ光ではなく、すぐそばにある存在だと気付くとき、映画は観る者の心を温かな陽射しで包み込む。

2007年のカンヌ国際映画祭において、満場一致で主演女優賞を受賞したチョン・ドヨンの渾身の演技、そのあまりの自然さに演技であることを忘れてしまうソン・ガンホの豊かな人間性、そしてヴェネチア国際映画祭監督賞を受賞した前作『オアシス』から5年ぶりの作品となる巨匠イ・チャンドンの、人間を見つめる深いまなざし。最高の俳優と監督が結集した本作はアジアのアカデミー賞と評されるアジア・フィルム・アワード2008では、あの『ラスト、コーション』を抑えて作品賞・監督賞・主演女優賞の3冠を達成した。


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ポエトリー アグネスの詩(うた)
Poetry
(2010年 韓国 139分 PG12 ビスタ/SRD) 2012年8月4日から8月10日まで上映 ■監督・脚本 イ・チャンドン
■製作 イ・ジュンドン
■撮影 キム・ヒョンソク

■出演 ユン・ジョンヒ/イ・デビッド/キム・ヒラ/アン・ネサン/パク・ミョンシン

■2010年カンヌ国際映画祭脚本賞受賞/2011年LA批評家協会賞女優賞受賞 ほか多数

■オフィシャルサイト http://poetry-shi.jp/

ここは、「私」を探しにきたところ

pic遠く釜山で働く娘の代わりに中学生の孫息子を育てている初老の女性ミジャ。たまたま通りかがりに詩作教室を見つけ、子供のころ、詩人になればいいと言われたことを覚えていた彼女は、詩を書いてみたいと思い立ち、教室に通うことになる。しかし、そんなある日、驚愕の事実が舞い込む。少し前に自殺した少女アグネスに、孫息子とその友人たちが性的暴行を行っていたというのだ。

詩作のために花鳥風月を眺めては美しい言葉を紡ごうとするミジャに突き付けられた、あまりに厳しい現実。そしてミジャ自身にも、アルツハイマーの初期症状が影を落としていた。今まで人生の過酷さから目を逸らしてきた彼女は、絶望の中で必死に現実に心を傾けるようになる…。

人生の光と影、美しさはどこにあるのか?
これは一人の初老の女性が「詩」に辿り着くまでの、魂の旅路

市井の人々が様々な葛藤を経て再生していく姿を冷徹なまでに真摯に見つめてきたイ・チャンドン監督。この最新作では見事カンヌ国際映画祭の脚本賞を獲得、さらに各国の映画祭で次々と最優秀作品賞や監督賞を受賞。深い洞察力をもとに比類なき物語を構築する才能が世界に認められ、名匠の座を確固たるものにした。

pic寡作な監督を本作に導いたのは、韓国中を震撼させた女子中学生性暴行事件の衝撃だった。今回初めて老女を主人公に据え、人間の中の清と濁を今まで以上に複雑に交差させた、緻密にして陰影の濃い物語を織り上げた。主人公ミジャの魂の遍歴をともに巡った観客は、彼女が紡ぎ出した一篇の詩に心揺さぶられ、映画を観終わったあとにはきっと、この世界が少し違って見えるようになるだろう。



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