line 1月三越劇場 初春新派公演『麥秋』上演記念 山田洋次監督・水谷八重子・波乃久里子・瀬戸摩純トークショー!!(スペシャルゲスト:淡島千景)小津安二郎×山田洋次×劇団新派 かつてないコラボレーションがついに実現!! 小津安二郎の名作『麥秋』が、山田洋次監督脚本・演出により、舞台で

2009年12月20日(日)
『麥秋』 11:00の回上映終了後(13:20より)

★登壇者
山田洋次監督・水谷八重子・波乃久里子・瀬戸摩純
スペシャルゲスト:淡島千景 (以上すべて予定)

≪お客様へのお願い≫
・場内でのカメラ(携帯電話を含む)・ビデオによる撮影・録画・録音は
固くお断りいたします。

・当館は当日券のみのお取り扱いとなります。
お電話でのチケット購入・ご予約は承っておりません。

・何らかの事情により舞台挨拶が中止になった場合や、
登壇者の変更があった場合でもチケット購入後の変更及び払戻しは
致しかねますのでご了承ください。

・ 舞台挨拶に伴い、12月20日(日)のみ、
開映時間・ラスト一本割引作品が変更になりますのでご注意ください。
  12/20(日)の開映時間
  麥秋 11:00/17:00    秋日和 14:35/19:20(〜21:30)
☆12/20(日)は、19:20の『秋日和』がラスト一本割引(¥800)対象となります。
★トークショー当日は9:30よりチケット販売・整理券の配布を行います。詳しくはお知らせページをご覧ください。 line
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映画が始まり、風景が切り取られて映される。音楽が流れる。
「むかしむかし、あるところに」と始まる昔話のように、静かに、緩やかに物語は始まっていく。
胸を弾ませ、登場人物に愛情を注いで彼らを見守る。

小津監督の映画のなかには、いつも似たような人たちが出て来る。
結婚適齢期を迎えるが結婚したがらない娘。それを心配する、父親を始めとする家族。
おせっかいなおじさんたち。主人公の傍にいる、ちゃきちゃきした女の子。
やかましい、でも憎めない子どもたち。似たような飲み屋、似たような会社、似たような景色。
それはどこかで見た光景。まるで、10年経っても20年経っても
昔となんにも変わらない友人みたいに、スクリーンに現れる。
小津監督の映画を観ると、どうしてなのかいつも、自然に優しい気持ちになる。
楽しくて、温かくて、涙が出てしまう。

人は年齢を重ねると、若かったときには思いもよらなかったことに涙したり、
傷ついたりするようだ。長い時間を過ごせばそれだけ思い出す事柄があり、
感情を震わせる起因となるものに触れることも多くなる。

私は親元を離れて東京で暮らすようになってから、「家族」について考えることが多くなった。
一緒に暮らしてきた家族のことだけではなくて、
自分自身が一から作っていく、新しい家族についても。

自分のことについて考えると「家族」を抜きにはできないし、
自分自身を形作ったものは「家族」なのだと思っている。
だから、映画のなかや文学、他の何に於いても、
家族を持ち出されると無条件に見つめずにはいられない。

日本映画の傑作『東京物語』、旅役者を描いた『浮草』、
小津監督作品としては異色と言われる『東京暮色』。
そして今回上映する『麥秋』と『秋日和』も、色は違えどみな家族を描いた物語。

映画の中の父親は、娘を「もう嫁にやらなければなりませんなあ」と言い、
話し相手は相づちを打つ――「そうですよ、もうやらないと」。
娘たちは、自分が嫁に行った後の父親を心配し、「まだいいわよ」と言う。
けれども娘は嫁に行き、残された親は一人佇む。
家族は生まれ、成長し、豊かに実り、いつしか枝分かれしてゆく。
私たちはそうやって引き継がれ、そして引き継いでいくのである。それはとても単純なこと。

映画のなかの登場人物たちは、スクリーンを見つめる私たちに向かって、まっすぐ話しかけてくる。
これは小津監督得意の、「真正面の切り返しショット」という手法によるもの。
素人の私には技術的なことやどういった効果があるのかなどはわからないから、
感覚で感じ取るしかなく、もしかすると反発の声もあるかもしれない。
しかし恐れながらも、自分はこう思うのだ。
こうやってスクリーンの向こうからまっすぐに届けられる眼差しと言葉は、
まるで自分に向けられているかのように感じはしないだろうか?

「誠意」という言葉に置き換えることもできるのだと思う。
見返りを求めない、誠実さが伝わって来るから。小津安二郎監督の映画が、
そして映画のなかに出て来る人々が愛され続ける理由はそれなのだと思う。
どこにも派手な出来事がなく、生きるか死ぬかの決断を迫られるわけでもない。
好きなのに一緒になれないとか、叶わない願いとか、ことごとくドラマティックさが削がれている。
だけれど私たちは何度も小津安二郎監督の映画を観たいと思い、観る度に何かを得る。

私が生まれたときには既に小津安二郎監督は亡くなっていた。
けれども作品のなかに小津はいて、映画を観る度に会話をしているような気がする。

秋日和
(1960年 日本 125分 SD・モノ)

■監督・脚本 小津安二郎
■脚本 野田高梧
■原作 里見ク

■出演 原節子/司葉子/岡田茉莉子/佐田啓二/桑野みゆき/三上真一郎/佐分利信/笠智衆/中村伸郎/三宅邦子/渡辺文雄/沢村貞子/北竜二

■1960年度キネマ旬報日本映画ベストテン 第5位/芸術祭 芸術選奨(小津安二郎・野田高梧)

結婚適齢期を迎えた娘…
母と娘は互いを思い合う

麻布にある寺で、三輪周三の七回忌の法要が営まれている。そこに集まった初老の紳士たち――学生時代の親友である間宮(佐分利信)、田口(中村伸郎)、平山(北竜二)は、周三の遺子であるアヤ子(司葉子)の結婚相手をみんなで見つけようということになる。

ある日、アヤ子の母親・秋子(原節子)が先日の礼に間宮の会社を訪れると、間宮はアヤ子の結婚相手として自分の部下の後藤(佐田啓二)はどうかと言う。帰宅した秋子が見合いの話をすると、アヤ子は当分結婚する気はないと答えた。

快晴の浅間高原。会社の連中とハイキングに来たアヤ子は杉山(渡辺文雄)に、友人の後藤を紹介すると言われる。後日、アヤ子と後藤が一緒にいるところを見かけた間宮は改めて後藤を結婚相手にと勧めるが、アヤ子は母をひとりにできないと言った。アヤ子は母親の秋子がひとりぼっちになってしまうことを思うと、結婚へと踏みだす気になれないでいたのである。

アヤ子の母に対する気持ちを察した間宮らは、秋子に再婚をすすめる。しかし、この話を知ったアヤ子は、複雑な思いから家を飛びだしてしまうのだった。

何度となく“父と娘”を描いてきた小津安二郎がおくる、“母と娘”

母と娘の心のふれあいが心にしみる小津安二郎監督晩年の傑作。小津作品の家庭劇では娘役としてお馴じみの原節子が母親役に回った。亡夫の友人たちを演じた佐分利信、北竜二、中村伸郎の三人組のとぼけたやりとりがコミカルであり、小津監督一流の話術が冴える。岡田茉莉子演じるアヤの、痛快な人柄も魅力的。同年のキネマ旬報ベスト・テン第5位に輝いた。

☆本編はカラーです。


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麥秋
(1951年 日本 125分 SD・モノ)

■監督・脚本 小津安二郎
■脚本 野田高梧

■出演 原節子/佐野周二/淡島千景/三宅邦子/笠智衆/二本柳寛/杉村春子/菅井一郎/東山千栄子/高橋豊子/高堂国典/宮口精二/村瀬禅/志賀真津子/井川邦子

■1951年毎日映画コンクール 女優演技賞(原節子)/1951年度ブルーリボン賞 監督賞、主演女優賞(原節子)、助演男優賞(笠智衆)、助演女優賞(杉村春子)、撮影賞/1951年度キネマ旬報日本映画ベストテン 第1位/文部省芸術祭 芸術祭賞

★製作からながい年月を経ているため、本編上映中お見苦しい箇所・お聞き苦しい箇所がございます。ご了承のうえご鑑賞くださいますよう、お願い申し上げます。

婚期を逸しかけている紀子に舞い込んだ二つの縁談。
紀子が選んだのは?

鎌倉へ移り住んで16年。植物学者の間宮周吉(菅井一郎)は、今日の暮らしにまずまず満足のいく暮らしをしていた。ひとつ気がかりなことと言えば、娘の紀子(原節子)が将来どんな処へ片付くかということぐらいである。

紀子は28歳。女学校時代の友達と顔を合わせると、いつも既婚組と未婚組に分かれて口喧嘩に花を咲かせる。しかしその未婚組も、紀子とアヤ(淡島千景)の二人だけになってしまった。ある時、紀子はアヤの家・料亭田むらで、たまたま別の座敷に来ていた上司の専務・佐竹(佐野周二)から見合いを勧められる。

紀子の父・周吉も兄・康一(笠智衆)に縁談を上手く進めるよう任せた。紀子の様子もまんざらではないように見受けられた。そんなある日、兄の同僚・謙吉(二本柳寛)の母たみ(杉村春子)が間宮家を訪れた。紀子の縁談に始まり、話はいつしか謙吉の妻が一昨年亡くなったこと、謙吉と同級だった周吉の次男が戦死したことなど、しみじみとした話題となった。婚期を逸しかけている紀子の所に持ち込まれた二つの縁談。紀子が選んだのは…。

日本映画界の名匠 小津安二郎が描く、“娘の結婚”

娘の結婚問題を心配する家族の姿を描いたホームドラマの秀作。家族の日常生活を、絶妙なタッチでコミカルに描く。監督・小津安二郎、脚本・野田高梧という小津作品の黄金コンビ。やや遅い婚期を前にした娘を通して、その家族たちの温かい愛情の姿や、しみじみとした日本的な家庭の佳さを描く。

小津は本作について、「輪廻」、「無常」といったものを描きたかったと語っている。脚本の野田高梧は、“僕の考えでは紀子があくまで主人公だけど彼女を中心にしてあの家族全体の動きを書きたかった。あの老夫婦もかつては若く生きていた。今の笠智衆も三宅邦子がそれだ。今に子供たちにもこんな時代がめぐって来るだろう。そういう人生輪廻みたいなものが漠然とでも感じられればいいと思った”という。


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