【2022/11/5(土)~11/11(金)】『イントロダクション』『あなたの顔の前に』/『カンウォンドのチカラ』『オー!スジョン』

ミ・ナミ

その世界的名声とは裏腹に、世界をミニマムな視点で捉え本質を探り当てようとし続けてきたホン・サンス。今週の早稲田松竹は、そんな彼の原点と現在地に迫る特集です。

シリアスでやや破局的だった『豚が井戸に落ちた日』が実質上のデビュー作となっているホン・サンス監督ですが、いわゆる“ホン・サンス的手並み”を獲得したのは、他でもない第二作目『カンウォンドのチカラ』ではないでしょうか。この映画には、同じ道のりを反復するかのように旅しながらもすれ違い続け、そこかしこに残る互いの記憶に触れていくふたりのセンチメントなリズムが、絶妙なさじ加減で刻まれています。続く第三作目『オー!スジョン』では、恋に落ちた男女の記憶と現在を積み重ねてふたりの意識のずれを描き、恋愛の奇妙なおかしみをたぐり寄せていきます。男女にまつわる危うさに対して滑稽さと一抹の寂しさ、それでいて甘やかな感動を誘うスタイルが、こうして確立していったのです。

初期作品で作り上げたホン・サンスの核は、時を経た現在も変わることがなく、さらに近年は新たなアプローチにも挑んでいます。『イントロダクション』は、人生に惑う若き青年を主人公に、恋の喜び、愛の温かさ、そして喪失を抱擁という静謐かつドラマティックな行為で表現したこの作品は、痛みを経た先にある再生を思わせる展開で、ホン・サンスが初めて生み出した青春映画として注目すべきものがあります。また『あなたの顔の前に』では、過去のわだかまりや後悔を癒しつつ、病で残り少ない日々を幸福に終えようとしている一人の中年女性の心情に寄り添っています。こうした切実な眼差しは、ホン・サンスのエッセンスでもある軽妙さとともに、人生を彷徨する私たち観客を導く羅針盤のようです。

11月3日には最新作『WALK UP』が韓国で公開されます。第28本目となる本作にあっても、生活の中に奇跡をみつけていくホン・サンスの魔法は全く衰えることがありません。ホン・サンスにしか作り得ない幸福な瞬間に、ぜひ立ち会っていただけたら幸いです。

あなたの顔の前に
In Front of Your Face

ホン・サンス監督作品/2021年/韓国/85分/DCP/ビスタ

■監督・脚本・製作・撮影・編集・音楽 ホン・サンス
■プロダクション・マネージャー/スチール キム・ミニ
■プロダクション・アシスタント イ・ソヨン
■録音 ソ・ジフン

■出演 イ・ヘヨン/チョ・ユニ/クォン・ヘヒョ/シン・ソクホ/キム・セビョク/ハ・ソングク/ソ・ヨンファ/イ・ユンミ

■2021年カンヌ国際映画祭プレミア部門オフィシャルセレクション/CINE21映画賞今年の映画賞1位/ヒホン国際映画祭審査員特別賞受賞・最優秀作品賞ノミネート/2022年国際シネフィル協会賞主演女優賞受賞・最優秀作品賞ノミネート ほか多数受賞・ノミネート

© 2021. Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved

【2022年11月5日から11月11日まで上映】

天国が隠された場所

長いアメリカ暮らしから突然、妹ジョンオクの元を訪ねて韓国へ帰国した元女優のサンオク。母親が亡くなって以来、久しぶりに家族と再会を果たすが、帰国の理由を妹には明らかにしない。彼女に出演オファーを申し出る映画監督との約束を控えていたが、その内面には深い葛藤が渦巻いていた。サンオクはなぜ自分が捨てたはずの母国に戻り、思い出の地を訪ね歩くのか? 捨て去った過去や後悔と向き合いながら、かけがえのない心のよりどころを見出していく、たった一日の出来事が描かれていく。

残された人生を、いかに心穏やかに生きていけるのか たった1日の出来事を通して触れる1人の女性の心の深淵

ホン・サンス監督の作品としては異例ともいえるドラマチックなストーリー展開に「ホン・サンスの最も感動的な作品の1つ」(Sight and Sound)と評され、公私にわたるパートナーのキム・ミニがプロダクション・マネージャーを務めたことも話題の一作。本作でホン・サンス作品に初登場にして主演を飾ったのは、韓国歴代の名監督とタッグを組んできた大女優イ・ヘヨン。観る者の心を揺さぶる圧巻のパフォーマンスでミステリアスかつ複雑な主人公を体現し、2022年国際シネフィル協会賞主演女優賞を受賞。2022年ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員大賞)を受賞したホン・サンス監督の長編27作目『The Novelist’s Film』でも主演を務めている。

生々しくスリリングな会話を捉えた約12分間にわたる長回しショット、劇中の“告白”によって明かされるタイトルの意味に心揺さぶられながら、複雑で豊かな感情揺らめくサンオクの心の旅に、ホン・サンス監督の新境地がうかがえる珠玉のドラマが誕生した。

イントロダクション
Introduction

ホン・サンス監督作品/2020年/韓国/66分/DCP/ビスタ

■監督・脚本・撮影・編集・音楽 ホン・サンス
■録音 ソ・ジフン 

■出演 シン・ソクホ/パク・ミソ/キム・ヨンホ/イェ・ジウォン/キ・ジュボン/ソ・ヨンファ/キム・ミニ/チョ・ユニ/ハ・ソングク

■2021年ベルリン国際映画祭銀熊賞(脚本賞)受賞/釜日映画賞最優秀作品賞・新人男子演技賞ノミネート/CINE21映画賞今年の映画賞2位/ヒホン国際映画祭最優秀作品賞ノミネート

© 2020. Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved

【2022年11月5日から11月11日まで上映】

青年ヨンホを巡る三つの再会と三つの"抱擁”

将来の進路も定まらず、まだ何者にもなれないナイーブな青年ヨンホ。韓国とベルリンを舞台に、折り合いの悪い父、夢を追って海外に旅立ってしまった恋人ジュウォン、息子の進路が気がかりな母との再会と三つの“抱擁”を通して、一人の若者の人生が紐解かれていく。誰もが経験する青年期の迷いや喪失、孤独を抱え、恋に夢に破れながらも、やがて心安らぐ温もりに満ちた瞬間が訪れる…。

思い通りにいかない人生の痛みと愛しさ 先の見えない時代に生きる全ての若者たちへ

コロナ禍で撮影された長編第25作目にして、2021年の第71回ベルリン国際映画祭で前年に続き銀熊賞(脚本賞)に輝いた『イントロダクション』は、モラトリアムな時期をさまよう青年を主人公に、前作『逃げた女』の変奏ヴァージョンとも楽しめるモノクロームの青春映画。

主人公ヨンホを演じるのは、『草の葉』(18)、『川沿いのホテル』(19)からホン・サンス作品に出演し、『逃げた女』で“野良猫の苦情を訴える隣人”に扮して奇妙なインパクトを放ったシン・ソクホ。恋人ジュウォン役には、シン・ソクホと共に監督のもとで学んだパク・ミソという新たな顔ぶれが加わった。ホン・サンスの公私のパートナーであるキム・ミニが第2章でベルリン在住の画家役として出演し、ソ・ヨンファ、キ・ジュボン、チョ・ユニといったホン作品の常連キャストが脇を固めている。

紹介、入門、導入、序文など、そこに込められた全ての意味を内包したと監督が語るタイトル「イントロダクション」、そして観る者の想像力を豊かに押し広げる語りを通して、ままならない人生の中でもがく、未熟な若さゆえの痛みと愛おしさを、モノクロームで詩情豊かに紡いだ青年ヨンホをめぐる三つの物語。

オー!スジョン
Virgin Stripped Bare by Her Bachelors

ホン・サンス監督作品/2000年/韓国/126分/DCP/ビスタ

■監督・脚本 ホン・サンス
■撮影 チェ・ヨンテク

■出演 イ・ウンジュ/チョン・ボソク/ムン・ソングン

■2000年アジア太平洋映画祭脚本賞受賞/東京国際映画祭審査委員特別賞/大鐘賞映画祭 新人俳優賞

©MIRACIN ENTERTAINMENT CO.LTD

【2022年11月5日から11月11日まで上映】

モノクロで描かれる、男と女の記憶 女優、イ・ウンジュの傑出した1本

ホテルの部屋で恋人であるヤン・スジョンを待っているキム・ジェフン。画廊を経営する彼は、テレビ番組のディレクターで、先輩でもあるクォン・ヨンスと一緒に展覧会を訪れた構成作家のスジョンと出会い、恋に落ちたのだった。

酒を飲んだ後にスジョンから「お酒を飲む時だけ恋人になりましょうか?」と言われ、交際を始めたジェフン。スジョンとセックスをしようとしたジェフンは「初めてなの」という言葉を聞き、彼女が心を決める日を待っていた。一方、ジェフンからの電話を自宅で受けたスジョンも、2人のこれまでを振り返る。ジェフンと会った当時、スジョンは妻帯者であるヨンスとの苦しい恋愛の最中で、優しくスマートなジェフンに彼とは違う魅力を感じていた。

ホン・サンス監督の長篇第3作で、前作『カンウォンドのチカラ』に続き、カンヌ国際映画祭ある視点部門に出品された。男女それぞれの記憶をもとに出会いからセックスへと至るまでの心情と行動が美しいモノクロ映像で描かれていく。16の章に分かれたエピソードが、ドライかつリズミカルに積み重なり、欲望に忠実な人間たちの姿が徐々に浮かび上がる。

男性から見たスジョンと、自分の記憶の中のスジョンを前後半で演じ分けたのは当時20歳だった『ブラザーフッド』(04)のイ・ウンジュ。05年に亡くなった彼女のフィルモグラフィの中でも、傑出した1本となっている。ジェフンを『妻の恋人に会う』(07)のチョン・ボソク、ヨンスを『夜の浜辺でひとり』(17)など、ホン・サンス作品ではお馴染みのムン・ソングンが演じている。

カンウォンドのチカラ
The Power of Kangwon Province

ホン・サンス監督作品/1998年/韓国/109分/DCP/ビスタ

■監督・脚本 ホン・サンス
■撮影 キム・ヨンチョル

■出演 オ・ユノン/ペク・チョンハク/キム・ユソク/パク・ヒョニョン

■1998年カンヌ国際映画祭ある視点部門正式出品/釜山国際映画祭NETPAC賞受賞/韓国青龍映画祭監督賞・脚本賞受賞

©MIRACIN ENTERTAINMENT CO.LTD

【2022年11月5日から11月11日まで上映】

ホン・サンスの原点 ただどうしようもなく誰かを求めてしまう、女と男

友人たちと共に、自然豊かな江原道(カンウォンド)へと遊びにきた大学生イ・ジスク。雪岳(ソラク)山のふもとで宿を探していた彼女たちは、親切な警察官と出会い、一緒に酒を飲む。妻帯者と付き合っていたことを友人に指摘された後、泥酔したジスクは警察官に介抱され、詰所でひと時を過ごす。それからしばらくして、ジスクは再び彼に会うため、江原道を訪ねる。

一方、教え子であるジスクと別れたばかりの大学講師チョ・サングォンは、後輩に誘われ、江原道へとやってくる。食堂で目を止めた美しい女性に声をかけるもうまくいかなかった彼らは、夜、飲みに出かけた店で働く女性たちを連れて、ホテルへと戻る。翌日、飛行機に乗り損ねたサングォンは、時間潰しのために訪れた寺で、ジスクの痕跡を発見する。

ホン・サンス監督の長篇第2作で、カンヌ国際映画祭ある視点部門に出品された。小説を原作としたデビュー作『豚が井戸に落ちた日』と違い、自らの着想から始まったオリジナル作品という点でも、現在に至るホン・サンス映画の原点といえる作品。

同じ時に同じ場所を訪れていながらまったく出会うことのない元恋人同士が経験する、似ているようで微妙に違う出来事と心の変化を、2部形式でディテール豊かに見せるという構成が見るものを驚かせ、韓国で最も権威のある映画賞と言われる青龍映画賞で監督賞と脚本賞の2冠に輝いた。

ホン・サンスの冷徹なカメラの前で、頭で考えるのではなく、ただどうしようもなく誰かを求めてしまう女と男を自然体で演じたのは、本作で映画デビューを果たした『秘蜜』(04)のオ・ユノンと『私の頭の中の消しゴム』(04)のペク・チョンハク。