ぽっけ
今週の早稲田松竹はダニエル・シュミット監督の『ヘカテ』と遺作である『ベレジーナ』の2本立て、そしてレイトショーではシュミット監督が『人生の幻影』というドキュメンタリー作品を捧げるほどに敬愛したメロドラマの巨匠ダグラス・サーク監督の『天はすべて許し給う』を上映します。
ダニエル・シュミット監督の作品は、現在日本で観ることはそんなに容易くない。それはDVDレンタルやいわゆるネット配信などであまり流通していないから…と言いそうになってしまうが、おそらくそうではない。ダニエル・シュミット監督の作品はそうした「所有」や「一時利用」されるような映画の枠組みとはおそらく異なったところにその魅力の所在を隠しているからだ。
例えば『ヘカテ』は北アフリカに着任したフランスの外交官が、そこで出会う女性との逢瀬を重ねるうちに、次第に嫉妬にかられ平静さを失っていく姿が描かれている。しかしそこには一生に一度だけの誠の恋であるとか、女性に魂なんてものを奪われてしまう男の話だとただち口にしてしまうことが憚られてしまう力が作用している。
嫉妬に駆られた男が「真実」を求めようともそれに答えようとしないローレン・ハットンの、平静さをひとときも失うことのないその視線を見てほしい。そこには男をみだりに惑わせ、狂わせようとする悪女を一時的に演じる素振りこそすれ、決して狂気じみた欲求を見出すことはできない。しかし、そうとわかっていながらも私には同時にこの男の立場と気持ちになって同じ物語をなぞることもできてしまいそうだ。周囲の者たちへ気を巡らせ手を伸ばす彼女の所作がその空間の優雅な細部を作り出していることにも気づかずに、二人の行く末にばかりに気をとられることさえも。
交錯するいくつもの視線や行き違いが、シュミット映画の撮影監督レナート・ベルタの端正な画面によって支えられ、同時に語られているという事実。ときに矛盾をはらむことさえ躊躇わないその贅沢なまでの多義的な広がりは、こう言ってしまえば、シュミット映画をどうジャンルして棚に並べていいかもわからなくしてしまうのではないだろうか。あぁ、しかしつまらない話をしてしまったのかもしれない。せっかくダニエル・シュミット監督の作品を上映するのならば、こんなつまらない話は余計なのだ。シュミット映画を利用して何かを説き明かそうと試みたり、何かの状況を言い表そうとするなんて勿体ない。ダニエル・シュミットの映画がもたらす至福は見るものをそう言わせてしまうほどに、ひどくいけない気持ちにさせる。そして上映されるたびに必ずまた観に行きたくなってしまう。どうもそういうところにしかダニエル・シュミットの映画を見つけることができないから。
ベレジーナ
Beresina or The Last Days of Switzerland
■監督 ダニエル・シュミット
■脚本 マルティン・ズーター
■撮影 レナート・ベルタ
■編集 ダニエラ・ローデラー
■音楽 カール・ヘンギ
■出演 エレナ・パノーヴァ/ジェラルディン・チャップリン/マルティン・ベンラス/ウルリヒ・ノエテン/イヴァン・ダルヴァス
■1999年カンヌ国際映画祭”ある視点”部門正式招待作品
【2021年10月16日から10月22日まで上映】
倒錯の迷宮で…
スイスの権力者から愛されるロシア人のコールガール、イリーナ。銀行の頭取、テレビ局の局長などがこぞって彼女の虜になった。中でも特別に彼女を愛したのは、元陸軍少尉のシュトゥルツェネガー。彼は彼女と、過去に彼が結成した秘密軍隊の暗号“ベレジーナ”を使った寸劇遊びに興じる。だがコールガールの彼女を仕切る政治家好きの夫婦は、彼女を利用して国の上層部に受け入れられようと必死になり…。
ダニエル・シュミットのブラック・コメディ?! “スイス最期の日”を描いた迷宮の物語
『ラ・パロマ』『ヘカテ』といった幻惑と陶酔の虚構世界で、また『カンヌ映画通り』『トスカの接吻』といった茶目っ気あふれるドキュメンタリーなど、観客を酔わせ魅了する作品群で早くから日本に熱狂的ファンを持つダニエル・シュミット。坂東玉三郎を主役に日本で撮影した『書かれた顔』以来4年ぶりの本作は、従来とは趣向をかなり変え、現代スイスの政財界を諷刺したブラック・コメディとなった。
シュミットらしく観客の意表をつく語り口とシュルレアリスム的なユーモア感覚で、スイスをめぐる神話・表象・クリシェなど様々な無意識的イメージが組み合わされ「神話的迷宮」の中の荒唐無稽なスイスが描き出される。ブニュエル映画を愛し、学生時代に本人にインタビューしたこともあるシュミットは、足フェチの連邦裁判官のシーンではブニュエルへのオマージュとして『小間使の日記』を引用。ブニュエルならどう撮ったかを意識しながら作ったという『ベレジーナ』をシュミット版『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』と評する声もある。
「シュミット的コメディ」への期待が高まるなか、99年の封切直後のスイスでは、映画とよく似た高官スキャンダルや辞職騒ぎが起こる偶然も重なり、興収トップの大ヒットを記録。「スイス映画界の巨匠」の評価を改めて不動のものにした。同年、オペラ演出も含む25年以上の業績に対し、ロカルノ映画祭で永年功労賞が授与された。2006年、シュミットは癌により64歳で逝去。本作『べレジーナ』が遺作となった。
ヘカテ デジタル・リマスター版
Hécate
■監督 ダニエル・シュミット
■原作 ポール・モラン「ヘカテとその犬たち」
■脚本 パスカル・ジャルダン/ダニエル・シュミット
■撮影 レナート・ベルタ
■編集 ニコール・ルプシャンスキー
■音楽 カルロス・ダレッシオ
■出演 ベルナール・ジロドー/ローレン・ハットン/ジャン・ブイーズ/ジャン=ピエール・カルフォン
©1982/2004 T&C FILM AG, Zuerich © 2020 FRENETIC FILMS AG.
【2021年10月16日から10月22日まで上映】
男は尋ねる。「何を考えている?」 女は決まって答える。「何も」
1942年、第二次大戦中の中立国スイスの首都ベルン。フランス大使館主催の豪華絢爛なパーティーで、ひとり遠くを見つめる外交官ジュリアン・ロシェル。シャンパンの泡沫に誘われて、ある女のことを思い出す。かつて、狂ったように愛した女のことを―ー。
伝説はここから始まった――スイスの至宝ダニエル・シュミットが誘う愛の神話。
ダニエル・シュミット監督作の日本での初劇場公開作として脚光を浴び、その後の『ラ・パロマ』(74)公開等に連なる熱狂的なシュミット・ブームの口火を切ったのが、本作『ヘカテ』。ひとたびその優美な肌触りに触れたら、独占したくなるシュミットの世界。その秘密の扉を開いた名作が完全修復され、流麗な姿でスクリーンに甦る。
外交官であり、亡命先のスイスでココ・シャネルの伝記を執筆した、戦間期の文壇の寵児ポール・モランの小説「ヘカテとその犬たち」を下敷きに、ギリシャ神話の異形の女神へカテの物語を翻案、「恋」という人類最大の病にして謎の極限を軽やかに描き切り、永遠のきらめきを放つ至高のメロドラマに仕立てあげた。
恋の果てにあるのは死だと平然と言い放つ、謎めいたアメリカ人妻クロチルド役は、2018年に史上最年長の73歳で米「ヴォーグ」誌の表紙を飾ったことも記憶に新しい、生涯現役のスーパー・モデルにして女優のローレン・ハットン。愛憎に溺れてゆく若く美しい外交官役は、フランス出身のベルナール・ジロドーが演じた。
【特別レイトショー】天はすべて許し給う
【Late Show】All That Heaven Allows
■監督 ダグラス・サーク
■脚本 ペグ・フェンウィック
■撮影 ラッセル・メティ
■音楽 フランク・スキナー
■出演 ジェーン・ワイマン/ロック・ハドソン/アグネス・ムーアヘッド/コンラッド・ネイジェル/ヴァージニア・グレイ/グロリア・タルボット/ウィリアム・レイノルズ
images courtesy of Park Circus/Universal
【2021年10月16日から10月22日まで上映】
ふたりは惹かれ、求め合った。ただ愛を信じて。
大学生になった子ども2人が既に家を離れ、夫にも先立たれたキャリーは郊外の一軒家で静かに暮らしていた。そんなある日、キャリーは夫の存命中から付き合いのあった若い庭師のロンと、ふとした言葉を交わしたことをきっかけに急速に距離を縮めていく。やがて2人は愛し合うようになり、結婚を考え始める。ところが、歳の離れた彼らの関係は保守的な町の中で住人たちの間で噂となり、キャリーの子どもたちからも反対されてしまう…。
運命的に惹かれあう男と女、甘美な映像に彩られた名匠ダグラス・サークのメロドラマ。
夫に先立たれた女性と年下の若い庭師の恋の行方を、ダグラス・サーク監督が色彩美溢れる映像で詩情豊かに綴る名作メロドラマ。R・W・ファスビンダー監督の『不安は魂を食いつくす』やトッド・へインズ監督の『エデンより彼方に』の下敷きとなった作品で、日本では劇場未公開ながら近年になって再評価が進んでいる。出演は『ジョニー・ベリンダ』のアカデミー賞女優ジェーン・ワイマンと『ジャイアンツ』のロック・ハドソン。