ミ・ナミ
今週の早稲田松竹は、新しい表現の誕生がめまぐるしい中国現代映画界で、今最も熱視線を浴びる新鋭ビー・ガン監督の二本立て『凱里ブルース』『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』と、もはや解説もいらぬ不朽の映画作家、アンドレイ・タルコフスキーの『鏡』を上映いたします。
私たち人間はずっと夢を畏怖し、憧れてきました。毎夜の夢を記録したり、夢を手がかりにして何とか人生の難題を解こうとしたり、夢を象徴する絵画や小説があるのもそのためではないでしょうか。夢の中に顕著にあらわれる特徴として、たしかにそこにあるのに手に取ることができない、ということがあります。まるで、スクリーンに投影されることで人々に長く愛されてきた芸術―映画のようでもあります。ビー・ガン監督の作品はまさに夢そのものを映画に閉じ込めただけでなく、監督が明言するタルコフスキーの『鏡』、さらには我々がこれまで経験してきた素晴らしい映画体験の軌跡を想起させるのです。それは決して安易な物真似ではありません。「そこにかつてあったものや、記憶や脳裏に残像として残っているものに価値がある」(※1)と語るビー・ガン監督による先達への敬意と映画愛であったからこそ、高く評価されているのだと思います。
ビー・ガン監督は、『凱里ブルース』と『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』のたった2本の長編映画で、中国の一地方都市である故郷・凱里を、一躍映画ファンに耳なじみのある土地にしましたが、今も凱里に住む監督は、いずれの作品でも故郷を夢のワンシーンのように劇中へ据えています。登場人物たちにとって劇中の凱里は、哀しい曲のようであり、心に深く刻まれた傷でもあり、また拠り所のように存在しています。「作家には、自分にしか関わらない個人的なことがらを撮影する権利がある。心の奥深くに埋もれた記憶、ほとんど忘れてしまった思い出、もっと言えば、偽の記憶さえ、映画にすることができる」というタルコフスキーの言葉(※2)がありますが、もちろん私も凱里に足を運んだ覚えがないにもかかわらず、あたかも脳裏に焼き付いた郷愁の地のように惹かれるものがあるのです。きっと彼らのような稀代の映画を作る者だけが持つ、天賦の才なのでしょう。
いずれのビー・ガン作品も、作品後半に長回しが用意されています。ロングテイクで撮影された、主人公たちをゆっくり溶かし込むような夜(『ロングデイズ・ジャーニー』)や、くすんでたゆたう凱里の風景(『凱里ブルース』)を観た私の心は、説明のつかない感情で打ち震えました。あえて言葉にしてみるならば、私たちがいる時間は孤独な線ではなく、記憶で輪のようにずっとつながっているという証明だったと思います。ビー・ガンのとらえる光景は、観る者の心の機微にそっと触れるのかもしれません。
参考文献・サイト:
※1キネマ旬報2020年3月上旬号 ビー・ガン監督インタビュー
※2メゾンエルメス ル・ステュディオ『鏡』作品について
凱里ブルース
Kaili Blues
■監督・脚本 ビー・ガン
■撮影 ワン・ティアンシン
■編集 クィン・ヤナン
■音楽 リン・チャン
■出演 チェン・ヨンゾン/ヅァオ・ダクィン/ ルナ・クォック/ユ・シシュ/シェ・リーシュン/クオ・ユエ/ルオ・フェイヤン
■第68回ロカルノ国際映画祭新進監督賞・特別賞受賞 ほか多数受賞・ノミネート
© Blackfin (Beijing) Culture & MediaCo., Ltd –
Heaven Pictures (Beijing) The Movie Co., –
LtdEdward DING – BI Gan / ReallyLikeFilms
【2020年9月26日から10月2日まで上映】
ポエティックな世界観の中に紡がれる、男の魂の彷徨。愛したひとたちの幻影を追って、彼が辿り着いた街とは…。
エキゾチックな亜熱帯、貴州省の霧と湿気に包まれた凱里(かいり)市の小さな診療所に身を置いて、老齢の女医と幽霊のように暮らすチェン。彼が刑期を終えてこの地に帰還したときには、彼の帰りを待っていたはずの妻はこの世になく、亡き母のイメージとともに、チェンの心に影を落としていた。さらにしばらくして、可愛がっていた甥も弟の策略でどこかへと連れ去られてしまった。チェンは甥を連れ戻すため、また女医のかつての恋人に想い出の品を届けるため、旅に出たのだが、辿り着いたのは”ダンマイ”という名の、過去の記憶と現実と夢が混在する、不思議な街だったーー
中国第8世代の最前線に立つ、ビー・ガン監督の衝撃のデビュー作!
『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』で日本初上陸を果たしたビー・ガン監督がその名を全世界に知らしめた驚愕のデビュー作『凱里ブルース』。自己資金と借金、周囲の援助で完成へと漕ぎつけた本作は、ロカルノ国際映画祭でお披露目されるや、各国のメディアやジャーナリストから驚きと称賛を持って向かい入れられた。その時の興奮を、後に「過去五年間で一番優れた中国国産映画」「中国映画を五十年進歩させる」と絶賛されたと新華社通信は伝えている。
40分間にわたって展開されるノーカットのロングショットで。主人公の魂の彷徨が哀愁と夢幻の世界の中に綴られる。ビー・ガン監督独自のスタイルが、このデビュー作で既に確立されていることに、観客は驚嘆するだろう。
ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ(2D上映)
Long Day's Journey into Night(2D)
■監督・脚本 ビー・ガン
■撮影 ヤオ・ハンギ/ドン・ジンソン/ダーヴィッド・シザレ
■編集 イエナン・チン
■音楽 リン・チャン/ポイント・スー
■出演 タン・ウェイ/ホアン・ジュエ/ シルヴィア・チャン/チェン・ヨンゾン/リー・ホンチー
■第71回カンヌ国際映画祭ある視点部門正式上映/第55回金馬奨撮影賞・音楽賞・音響賞受賞
★当館での上映は2D上映となります。
© 2018 Dangmai Films Co.,LTD, Zhejiang Huace Film & TV Co., LTD – Wild Bunch / ReallyLikeFilms
【2020年9月26日から10月2日まで上映】
俺たちの夜は、あまりにも短い。
父親の死を機に、12年ぶりに故郷へ帰ってきた男。彼はその地で、若くしてマフィアに殺害された幼馴染みや、自分を捨てて養蜂家の男と駆け落ちした母親の記憶のかけらを拾い集めるように、想い出の街を彷徨っていた。
そして何より彼の心を惑わせたのが、ある運命の女のイメージだった。その女は、自分の名前を香港の有名女優と同じ、ワン・チーウェンだと言った。男はその女の面影を追って、現実と記憶と夢が交差する、ミステリアスな旅に出る——。
彗星の如く現れた新世紀の鬼才ビー・ガン監督が誘う後半60分間、驚異のワンシークエンスショット!
映画史上初めての試みである、2Dで始まった上映の途中から3Dへ(※当館では全編2D上映)、さらに一発勝負のロングショット撮影へ。俳優やスタッフたちの同時進行による息遣いまでもが聞こえてきそうな、スリリングでリアルなシーンの連続。この革新的な映像ギミックを駆使しているのは、2015年に『凱里ブルース』で彗星の如く現れ、弱冠26歳で稀代の天才と称されたビー・ガン監督だ。
ビー・ガン監督は瞬く間に国際的評価を獲得し、同年の新人監督に与えられる賞を総なめにしていった。その彼が3年の歳月を経てカンヌ国際映画祭で本作を発表。予想外の仕掛けとその完成度に映画のプロフェッショナルから驚嘆と賞賛の声が上がり、中国本土ではたった1日で41億円の興行収入を記録。全米でも30週に迫るロングランヒットを記録した。
【特別レイトショー】鏡
【Late Show】Mirror
■監督 アンドレイ・タルコフスキー
■脚本 アレクサンドル・ミシャーリン/アンドレイ・タルコフスキー
■撮影 ゲオルギー・レルベルグ
■音楽 エドゥアルド・アルテミエフ
■挿入詩 アルセニー・タルコフスキー
■出演 マルガリータ・テレホワ/オレーグ・ヤンコフスキー/イグナト・ダニルツェフ/フィリップ・ヤンコフスキー
★レイトショー上映はどなた様も一律1000円でご鑑賞いただけます(10/1(木)は映画サービスデーのため800円)。
★チケットは、朝の開場時間より受付にて販売いたします(当日券のみ)。
★開映時間の15分前よりご入場いただけます。
写真提供:パンドラ
【2020年9月26日から10月2日まで上映】
私はいつも、40数年前に私が生まれた祖父の家の夢をみる——。
うっそうと茂る立木に囲まれた家の中で、母は、たらいに水を入れ髪を洗っている。鏡に映った、水にしたたる母の長い髪が揺れている。あれは1935年、田舎の干し草置き場で火事のあった日のこと。その年から父は家からいなくなった…。…両親と同様、私も妻ナタリアと別れた。妻は、私が自信過剰で人と折り合いが悪いと非難し、息子イグナートも渡さないと頑張っている。
ふと私は、息子と同じ年頃の時代の事を思い出した。赤毛の、唇がいつも乾いて荒れていた初恋の女の子のこと。同級生達と受けた軍事教練のこと。そして、大戦中、疎開先のユリヴェツにいた時、母に連れられて遠方の祖父の知人を訪ねて、宝石を売りに行ったこと…。そして哀れだった母のことが、少年時代の記憶が、同じ境遇をたどっているイグナートのことが私を苦しめる…。
母に対する作者の心理、分かれた妻と息子との関係を描いた、タルコフスキーの自伝的作品
『鏡』は、主人公が母親や別れた妻子との関係を詩的モノローグのスタイルで物語る、タルコフスキーの自伝的作品である。これまでの叙事詩的な世界から、一気に非常に私的なテーマにとりくんだ。“私”(作者)の、母と家族に対する様々な思いが、監督独自の“火”や“水”の自然現象の映像化を伴なって、美しい幻想的なイメージのなかに繊細かつ鮮明に語られる。意識下の過去を現実と交錯させながら作者の深層心理を浮き彫りにしていく映像表現は特に見事である。
くわえて、1934年ソ連成層圏飛行、スペイン戦争、第二次世界大戦など、数多くの記録フィルムの断片が挿入され、歴史的現実が人々にもたらさずにはいない種々な影響を暗示している。撮影はゲオルギー・レルベルグ。ロシアの自然を象徴的に捉え、非常に印象的なカットを生んだ。主演はマルガリータ・テレホワと『ノスタルジア』のオレーグ・ヤンコフスキー。劇中で朗読される詩は、著名な詩人である父アルセニー・タルコフスキーの作品である。