
ジャック
今年の年末年始、早稲田松竹では成瀬巳喜男監督特集を上映します。この時期に成瀬特集をするのは、近年では3度目になります。今回上映する作品は、男女の関係性を軸に、時代や境遇といった抗えない状況のなかで、わだかまりに葛藤しつつも力強く生きる女性の姿をリアルかつドライに映し出しています。
その中でも『妻』の終盤のセリフが印象的です。「あたし、心ってそんな重大には考えないわ。本当に人間の心がしっかりしてたら、法律もいらないし、結婚だってお寺だって、監獄だって教会だっていりはしないわ。人間の心って頼りないから色々な形式が必要になってくるのよ」。社会的規範の中で暮らしていても、人の心は実は無軌道で、抗えない衝動に溢れているもの。その社会と自分の間に生まれてしまう隔たりが、ある種の諦念となっていくのかもしれません。成瀬巳喜男監督の映画はそんなどうしようもない心の機微を巧みに映しとります。だからこそ、暗く悲観的な物語なのに、何かを言い当てられたときのようなスッとする感覚がどこか漂っているのだと思います。ふと日常を飛び出してみたり、かと思えば元の生活に戻ってみたりと、右往左往する映画の登場人物たちに、自分自身の姿を重ねてみるのかもしれません。
話は飛びますが、ふと、どうして今年が終わり、新年が来るのだろう、と考えています。もしかしたら、連続しているはずの時間を周期的に区切ることで、私たちの曖昧な気持ちや体験を心のどこかに整理させるためにある、昔からの形式なのかもしれないと思います。成瀬監督の映画のように、人は形式にとらわれ悩みながらも、どこかでよりどころとしてうまく利用しているのではないでしょうか。だからこそ新年を迎える準備が必要なのですね。
本年も大変お世話になりました。どうぞ良いお年をお迎えください。
妻
Wife
■監督 成瀬巳喜男
■原作 林芙美子「茶色の眼」
■脚色 井手俊郎
■撮影 玉井正夫
■編集 大井英史
■音楽 斎藤一郎
■出演 上原謙/高峰三枝子/丹阿弥谷津子/高杉早苗/中北千枝子/伊豆肇/新珠三千子/三国連太郎/石黒達也/坪内
■パンフレット販売なし
© TOHO CO., LTD.
【2025/12/27~12/29上映】
美しき妻がありながら良人は何故他の女を恋したか
中川夫婦は結婚して十年になる。子どもはなかったが、平凡なサラリーマンの夫・十一と美人で気位の高い妻・美種子の夫婦生活はしっくりゆかない。十一は会社のタイピストで未亡人の房子に惹かれてゆく…
『めし』『稲妻』に続く、林芙美子原作の三度目の映画化。波風が立った家庭を中心に妻の生態を描きながら、妻よりもむしろ女を描くのが狙い。さらに数組の男女関係を絡ませて、物語の幅を奥深いものとしている。
あらくれ
Untamed Woman
■監督 成瀬巳喜男
■原作 徳田秋声「あらくれ」
■脚本 水木洋子
■撮影 玉井正夫
■音楽 斎藤一郎
■出演 高峰秀子/上原謙/森雅之/加東大介/仲代達矢/東野英治郎/岸輝子/宮口精二/中北千枝子
■パンフレット販売なし
© TOHO CO., LTD.
【2025/12/27~12/29上映】
“傑作の森”を支えた水木洋子との最後のコンビ作 大正初期をたくましく生きる女性の一代記
大正の初め。お島は庄屋の娘だが、子供の頃から農家に養子にやられていた。勝ち気で気が強く、親が決めた結婚を嫌がり、結婚式の晩に逃げ出して東京に来てしまった。現在は植源の世話で缶詰屋の鶴さんの後妻となっていたが、二人の間には激しいいさかいが絶えなかった。ある日、二人は掴み合いの喧嘩となり、はずみで階段に落ちたお島は流産してしまう…。
女性映画の名匠と定評のあった成瀬の作品歴でも、最もエネルギッシュな女性が登場する。原作は日本自然主義文学を代表する徳田秋声の名品。かねてからこの小説の映画化を企てていたという成瀬は、水木洋子脚本、高峰秀子主演に森雅之も加わり、『浮雲』を再現する布陣を集めた。<自分の力で自分の運命を切りひらいていくたくましい女性を描きたい>との抱負を語り、大正初期に突出した能動的女性の一代記を描き上げた。
女の歴史
A Woman's Life
■監督 成瀬巳喜男
■脚色 笠原良三
■撮影 安本淳
■編集 大井英史
■音楽 斎藤一郎
■出演 高峰秀子/宝田明/山崎努/星由里子/賀原夏子/仲代達矢/淡路恵子/草笛光子/加東大介/児玉清
■パンフレット販売なし
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【2025/12/30~12/31上映】
わたしはあの人の胸にだかれ思いきり泣きたい 妻でなく母でなく愛するひとりの女として
信子は女手一つで、一人息子・功平のために頑張ってきた。ある日、信子は結婚したい相手がいるので会ってくれと、功平に打ち明けられた。信子は相手がキャバレーで働いていると知ると、交際に反対する。仕方なく功平は家を出て彼女と暮らし始める。ところが功平は交通事故で命を落としてしまう…。
フランス映画の『女の一生』(モーパッサン原作)にヒントを得た笠原良三のオリジナル・シナリオで、現在形をベースにしながら回想形式を多用して、日中戦争以来の世相の変化を背景に置いた、子持ち未亡人の半生を描く“女の一代記もの”であり、宿命的に何故か夫に先立たれ、子に先立たれる嫁姑三代による“家”の持続の物語である。
(「映画読本 成瀬巳喜男」より一部抜粋)
乱れる
Yearning
■監督・製作 成瀬巳喜男
■製作 藤本真澄
■脚本 松山善三
■撮影 安本淳
■音楽 斎藤一郎
■出演 高峰秀子/加山雄三/草笛光子/白川由美/三益愛子/浜美枝/藤木悠
■パンフレット販売なし
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【2025/12/30~12/31上映】
未亡人と義弟の許されない愛――高峰秀子の繊細な演技が光る傑作メロドラマ
清水にある森田屋酒店は、この店に嫁いで夫に先立たれた未亡人の礼子が切り盛りしていた。しかし最近は、近所にスーパーマーケットができ、その影響で客が減っているのが悩みの種だった。森田家の次男幸司は、最近東京の会社をやめ清水に帰っていたが、仕事もせずに毎日ブラブラ遊んでいるだけ。そんな幸司をいつも優しくむかえるのは、義姉の礼子だった。再婚話も断り、十八年この家にいたのも、次男の幸司が成長する迄と思えばこそであった。ある日、見知らぬ女との交際で口喧嘩となり、幸司は礼子に、今までの胸の内をはきすてるように言った。「馬鹿と言われようが、卑怯者といわれようが、僕は義姉さんの側にいたい。」礼子は突然の幸司の告白に驚いた。それからの幸司は、真剣に店を手伝い始めるが…。
名脚本家で、高峰秀子の夫でもある松山善三のオリジナル・シナリオ。原型は彼が前年に書いたTVドラマ『しぐれ』である。舞台は地方の小都市の酒屋。時代の趨勢に逆らえず推移していく街の表情を背景に、未亡人と彼女に思慕を寄せる義弟の恋愛心理劇を描く。複雑な乙女心を表現する高峰秀子の演技はいつもながら素晴らしく、当時人気絶頂のスターであった加山雄三の見違えるような繊細さも魅力である。限られた登場人物、時間、空間の中で魅せる秀逸なメロドラマ。
(「映画読本 成瀬巳喜男」より一部抜粋)
噂の娘
The Girl in the Rumour
■監督・脚本 成瀬巳喜男
■撮影 鈴木博
■美術 山崎醇之輔
■音楽 伊藤昇
■出演 汐見洋/御橋公/千葉早智子/梅園龍子/伊藤智子/藤原釜足/大川平八郎
■パンフレット販売なし
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【2026/1/1~1/2上映】
父を想い母を案ずる内気な邦江 我儘一杯の紀美子 この二人を娘に持つ父は、時代の流れに何を思うのか…。
老舗だが、今は経営が苦しい灘家には二人の娘がいた。姉・邦江と妹・紀美子は似ておらず、性格も古風と現代風と、対照的。ある日、邦江に縁談が舞い込むが、その相手は紀美子に惹かれていた…
老舗の酒問屋の没落を主題とする成瀬巳喜男の久々のオリジナル・シナリオだが、チェーホフの「桜の園」にヒントを得たことは、当時彼自身が明言している。場所は新橋烏森。下町もの家庭劇の設定であり、その風俗描写、心理表現は当時の日本映画の水準を抜き、「東京日日新聞」(現・毎日新聞)主催の映画コンクールに出品され栄冠を獲得した。この作品における姉と妹の葛藤、伝統的倫理に殉ずる古風な姉と、反抗的に現代に脱出しようと試みる妹との対照は、翌年の溝口健二作品『祇園の姉妹』を予感させながら、遂に滅びゆく旧時代への”白鳥の歌”の抒情に終わって、溝口的衝撃力を持たなかった。深川の小津安二郎居宅のすぐ近くにあった丸太橋でロケーションしたのは、全くの偶然らしい。
(「映画読本 成瀬巳喜男」より一部抜粋)
妻よ薔薇のやうに
Wife! Be Like a Rose!
■監督・脚本 成瀬巳喜男
■原作 中野実
■撮影 鈴木博
■美術 久保一雄
■音楽 伊藤昇
■出演 千葉早智子/丸山定夫/英百合子/伊藤智子/堀越節子/細川ちか子/大川平八郎/伊藤薫/藤原釜足
■パンフレット販売なし
© TOHO CO., LTD.
【2026/1/1~1/2上映】
二人の妻、二つの家庭の間に揺れる男 母を思い、父を求めた娘が男に抱いた感情は?
君子は母・悦子と二人暮らし。父・俊作は信州に行ったきりで、定期的に仕送りをよこすが、帰って来ようとはしない。ある日、街角で俊作を見かけた君子は、てっきり帰宅すると思い、もてなす用意をするが、それは無駄になる。俊作は帰って来なかったのだ。遂に君子は俊作を連れ戻すために、信州に旅立つ…。
中野実の新派舞台「二人妻」の映画化。歌人の母、砂金の採集に打ち込み、家を出て妾宅で暮らす男、そして彼に献身的に尽くす愛人、三人の三角関係を娘の視点から描く。トーキーとなり音声を得た成瀬の演出技法はサイレント時代よりも格段に洗練され、ひとつの完成を見た。三人の間で揺れ動く娘の心理描写が目線によって的確に表現されている。冒頭、丸の内のOL役の千葉早智子の服装は、当時のモガ(モダンガール)そのもの。1937年にはニューヨークで『Kimiko』のタイトルで上映され、米国で初めて一般商業上映されたトーキー映画となった。
(「成瀬巳喜男を観る」より一部抜粋)
























