【2026/4/25(土)~5/1(金)上映】『水俣-患者さんとその世界-<完全版>』『不知火海』『海とお月さまたち』『水俣の図・物語』『わが街わが青春-石川さゆり水俣熱唱-』『水俣一揆-一生を問う人々-』// 特別モーニング&レイトショー『阿賀に生きる』

ミ・ナミ

今週の早稲田松竹は、水俣病とその患者たちに向き合い続けた映画人・土本典昭監督の6作品に加え、同じくドキュメンタリストである佐藤真監督の代表作のひとつ『阿賀に生きる』を上映いたします。



原因不明の神経疾患に苦しんでいた患者の方々の症状が水俣保健所により公に認知されたのは、1956年5月1日のことでした。その「公式確認」から今年は70年となります。しかし実際に日本政府が水俣病を「チッソの排水による公害」と認めたのは1968年。長い歳月はさらに被害を拡大させ、多くの患者を苦しめました。現在でも国を相手取った裁判があり、差別や偏見にさらされるなど病だけではない苦闘を強いられる数えきれないほどの方々がいます。認定までの遠い道のりに翻弄され、過酷な闘病を強いられた患者たちが大阪のチッソ株主総会へ乗り込んでいく『水俣 -患者さんとその世界-』(71)、命を賭すように窮状をぶつける患者たちと、苦悶の表情を浮かべる当時のチッソ社長とのやりとりに粛然とさせられる『水俣一揆 -一生を問う人々-』(73)といった公式認定からまもなく発表された作品には、水俣病患者たちが闘う姿が焼き付けられており、生に肉薄するとはこういうことだとまざまざと教えられます。



そして土本監督は、水俣病患者の怒りや悲しみをすくい上げると同時に、彼ら彼女たちの日常生活やささやかな感情、水俣の自然もフィルムに残していました。“公害で汚染された海”では決してない、豊かな漁場としての海を映した『不知火海』(75)に登場する若い母親の水俣病患者は「私が魚だったら」と口にし、「海を取り返さなければ生きられない」と、海への恋しさに涙を流します。不知火海での漁法にフォーカスした児童映画『海とお月さまたち』(80)は、イカが産卵するファーストシーンの神々しさが象徴的であるように、タコやフグ、カニ、タイという海の生き物への尊敬が満ちています。『わが街わが青春 -石川さゆり水俣熱唱-』(78)には、石川さゆりショーを主催した胎児性水俣病患者を中心とする「若い患者の会」の奮闘が、生き生きと映し取られています。原爆の惨禍を絵画で訴えてきた丸木位里・丸木俊夫妻が、現代の悲劇としての水俣を描くことで患者たちに寄り添おうとする歩みを追う『水俣の図・物語』(81)で描かれた絵には、悲しみの中に強さと希望の光が宿っているのでした。



1965年に阿賀野川流域で発生が確認され、“第二の水俣病”と呼ばれたのが新潟水俣病でした。大学在学中より水俣病被害者の支援活動に関わった佐藤真監督が、その後3年をかけて撮影した『阿賀に生きる』には、すでに引退したこの道60年の船大工や、かつていた鉱夫たちが好んだという艶めかしい俗謡を歌ってくれる愉快なおばあさんら、味わい深い人物が登場します。しかしその傍らには寝たきりの住人の姿があり、高齢の水俣病未認定患者たちが山を越えて都市部の裁判所に赴く姿があり、新潟水俣病の傷が取りこぼされることなくはっきりと刻まれています。新潟での水俣病発生から20年が経過していたこともあり、土本監督は佐藤監督に対して「今更お前は新潟に何を撮りに行く気なんだ」と問うたそうです。佐藤監督の厳しさと優しさが同時にある本作には、土本監督への応答が込められているのかもしれません。



魚たちがどれほどきらめいていたか。海がいかに雄大だったか。海をよりどころに生きる水俣の人々がどんなに力強く生きていたか。自然もそして人間も病に苦しみながら、なおある幸福と喜びの瞬間を記録したのが土本監督であり、その後に続いたのが佐藤監督でした。二人の不在の世界を生きる私たちが語り継ぐものは何なのでしょう。今週の作品を観た後、私は生や命について厳粛な感情が沸き起こるのを感じました。ぜひ観客の皆さまも、水俣とそこに生きるすべての人たちに思いを馳せていただけたら幸いです。

水俣-患者さんとその世界-<完全版>
Minamata

土本典昭監督作品/1971年/日本/167分/Blu-ray

■監督 土本典昭
■製作 高木隆太郎
■撮影 大津幸四郎
■録音 久保田幸雄/浅沼幸一

■第1回世界環境映画祭グランプリ受賞/1972年マンハイム映画祭デュキャット賞受賞/1972年度ベルン映画祭銀賞受賞 

© 1971 東プロダクション/パラブラ ©塩田武史

【2026/4/25(土)~5/1(金)上映】

苦海浄土の世界――水俣病を世界に知らしめることになった記録映画の記念碑的名作。

1956年当時は奇病といわれ、伝染病か中毒かもわからなかった。不知火海に36年間にわたり、チッソがながしてきた有機水銀が水俣病の原因と公式発表されるまでに13年を要した。その間、チッソは研究に協力しないばかりか、さまざまな原因説を発表あるいは支持し、原因究明をひきのばした。公式発表後も依然として責任を認めなかった。患者とその肉親たちは自らをむち打って裁判に、デモに立ち上がらざるをえなかった。裁判を契機に熊本に発した告発の運動は東京へ、そして全国に支援の輪をひろげ、患者自身による裁判闘争へのカンパ活動、訴え、そしてラストの一株運動へとひろがった。大阪のチッソ株主総会での患者と社長との肉薄の対話で、この映画は劇的なピークをむかえる。

本作は1969年、チッソを相手に裁判を起こした水俣病患者29世帯を中心に、残された遺族の記憶から真実を探ると同時に、潜在患者の発掘の過程を描いている。撮影当時、患者総数は121名でしかなかったが、のちに1万5千人に近い申請者の出現を見る運動の端緒として記録されている。また土本典昭監督にとって、水俣病への本格的取り組みの第一歩となった作品でもある。

不知火海
The Shiranui Sea

土本典昭監督作品/1975年/日本/153分/Blu-ray

■監督 土本典昭
■製作 高木隆太郎
■撮影 大津幸四郎
■音楽 小栗孝之作品/松村禎三作品より
■ナレーター 伊藤惣一

© 1975 青林舎/パラブラ

【2026/4/25(土)~5/1(金)上映】

人も病む、魚も病む、病者どうしの生きものの世界

不知火海の人と生活、漁業は静かに営まれている。あらゆる牧歌的な漁法がここにはある。うたせ漁法、定置網等は海の畠のようだ。水俣病も遠い噂でしかないかのように見える。しかし現実には水俣には日々悪化し貧窮する申請患者がいる。同じ部落に残酷なまでのアンバランスも生まれている。すでに“救済”された患者が家と生活を一新したからだ。しかし、その“御殿”と呼ばれる家は、先の読めぬ患者の、今の苦しみを忘れるためだけの自由と楽しみが具現化されたものにすぎない。子孫がわが子で絶えるのを見透かした親の苦悩がそこにはある。

青年期を迎え、愛や恋に体のうずく胎児性患者。魚の生まれ変わりと信じ、海の埋立てに自身の埋葬を感じる若い母親の患者。「脳を手術したら治らないか」と生まれて初めて治療の可能性を尋ねる胎児性の少女に答えることのできない医師。「明水園」(水俣病患者だけを収容する施設)も陸の孤島のようだ。そして、水俣の対岸には、920ppmという人類最高の毛髪水銀量で倒れた死者が見出されながら、数年手をつけられていない空白地帯がある。御所浦島など医学上の“暗黒の島々”である。

カメラはその海辺の暮らしを映し出す。自然のままに魚をとり、食べ、静かに生きる人びとの姿。しかし、20年ぶりにカキが海岸につき、魚影が見られるようになったとはいえ、海はまだ汚染されている。その海で盛大なフグ漁が始まった。この地では今、新たなる“水俣の時代”が幕を開けようとしているのだ。

海とお月さまたち
Fishing Moon

土本典昭監督作品/1980年/日本/50分/DVD

■演出 土本典昭 
■撮影 瀬川順一
■録音 赤坂修一 
■音楽 松村禎三
■製作 茂木正年

© 1980 日本記録映画研究所

【2026/4/25(土)~5/1(金)上映】

『水俣 ― 患者さんとその世界』以来、水俣に生きる人々を幾多の映像に描いてきた土本典昭監督が、不知火海を舞台にした児童向け記録映画。日ごとに形を変える月の下で営まれる、海の生態系と漁師たちの暮らし。疑似餌や錘を手づくりし、それらの仕掛けでタコやイカを獲りフグや鯛を仕留めていく名人たちの手際と、それを手伝う家族の連携作業のディテールを詩的に描いた映像ファンタジー。

『海とお月さまたち』(1980)。これは児童むけに作られたドキュメンタリーである。作りながら分ったのは、子どもらの映像の把握力がすばやく、飛躍したカットも理解する感性が備わっていること。その点、無声映画的な編集、映画詩的なシーンのほうが無心な子どもたちの頷きや感嘆に応えられるものだと学んだ。これはそうした映像本位の作品である。……耽美的なカメラマン瀬川順一、即物的描写力に長けた一之瀬正史の映像が35mmのフィルムに生かされた作品として残された。この映画の舞台は水俣と同じ内海・不知火海である。外洋から産卵にくる魚たちや、浅瀬に住むさまざまな生きもの……タコ、イカ、フグ、タイなどとの智慧くらべが漁師の生き甲斐であり、快楽なのだ。生き物との対話は指先と釣糸に凝縮されている。満月、半月、三日月と日々変わるお月さまたち、漁民の世界では、月がもうひとつの“太陽”であることを描いている。(このフィルムは水俣の患者=漁師さんに「水俣病事件の前の水俣の海が描かれているから」と最も好まれている)。

(山形国際ドキュメンタリー映画祭2007年HPより引用)

水俣の図・物語
The Minamata Mural

土本典昭監督作品/1981年/日本/111分/Blu-ray

■監督 土本典昭
■製作 高木隆太郎
■撮影 瀬川順一/一之瀬正史
■水俣の図 丸木位里/丸木俊
■音楽 武満徹
■詩 石牟礼道子

■第23回毎日芸術賞受賞/第6回くまもと映画祭
1981年度芸術祭参加作品

© 1981 青林舎/パラブラ

【2026/4/25(土)~5/1(金)上映】

絵画と詩と音楽でつづるもうひとつの水俣

1979年晩秋、水俣湾のほとりに紙をひろげ写生にかかる丸木位里、丸木俊夫妻の姿があった。広島の被爆の体験を地獄図として描いた丸木夫妻が、今、水俣を表現しようとしているのだ。位里さんは風景だけで悲劇の海を描ききってみようと思っていた。俊さんは克明な人物像をすでに描いていた。刃先のように絵筆を紙に立て、中腰で一線一点を描く俊さん。それにかまわず太い刷毛で墨をのせ、よごし魔のように駆けぬける位里さん。

完成した3m×15mの絵を前に二人が語る。「水俣の風景は美しい。人間もいいにんげんばかり。わしは明るい水俣を描こうと何べんも思った。患者の闘いも描こうと思った。しかし明るくはならなかった」「石牟礼道子さんの本『苦海浄土』とはよく水俣をあらわしたことばと思うけど、苦海ばかりの絵になってしまって…」東京・上野での製作発表。初めて絵と対面する水俣から来た石牟礼道子さんをはじめとする水俣の人たち。カメラは絵を横に歩き、縦に近づき、動態の流れにそってたどる。石牟礼さんの詩「原初よりことば知らざりき」が語られ、武満徹さんの「海へ」が流れる。カメラアイと詩と音楽の“水俣シンフォニー”だ。

1980年晩秋、二人は再び水俣を訪れる。そして胎児性患者の坂本しのぶさん、加賀田清子さんと出会う。俊さんは二人の肖像画を描くことで、位里さんは清子さんの願いを受けて水俣の海の風景を描くことで「浄土が垣間見えてきた」と語る。それは第二の図、水俣の女人像に結実していく。1981年1月、絵の中の二人の娘の掌には丸々とした赤ん坊が描かれた。その赤子と女人像に、位里さんの手で後光のような真赤な絵の具が施されていった。

わが街わが青春-石川さゆり水俣熱唱-
My Town, My Youth

土本典昭監督作品/1978年/日本/43分/Blu-ray

■監督 土本典昭
■製作 高木隆太郎/中川真次
■撮影 一之瀬正史 他
■ナレーター 伊藤惣一

© 1978 青林舎/東北新社/パラブラ

【2026/4/25(土)~5/1(金)上映】

胎児性水俣病の患者たちが燃えたひと夏の体験

水俣病の公式発表から20年、胎児性水俣病の患者たちも20歳を迎えた。「何かデッカイことをやりたい!」一人の青年が石川さゆりショーを考えついた。水俣病の患者施設「明水園」の寝たきりの患者たちに石川さゆりの歌を聴かせたい、というのがその理由だった。この企画は石川さゆりの所属するホリプロダクションの社長の好意のもと、実現した。

暑い夏、「石川さゆりショー」の宣伝カーが走る。若い患者たちが不自由な体でポスターを貼りチラシを配る。毎日交替で不知火海の津々浦々をまわる日々は「こんなところにも自分たちと同じ患者がいる」という新しい出会いの連続だった。周囲の支援者たちはなるべく手伝うことを控えた。患者たちは身体中の痛みを一時忘れるような夏の日々を走り抜けていった。

ショーの当日。石川さゆりを出迎える患者たち。公演会場は定員を超える大入りの客だ。主催をつとめた若い患者を代表してあいさつ文を読む一人は、途中で声を上げて泣き出した。幕が上がる。さゆりの登場。熱唱に盛りあがる一時。企画を実現するのに走りまわった日々が蘇る。幕が下り、観客を送り出す若い患者たちの顔には笑みがあふれていた。

水俣一揆-一生を問う人々-
Minamata Revolt: A People's Quest for Life

土本典昭監督作品/1973年/日本/108分/Blu-ray

■監督 土本典昭
■製作 高木隆太郎
■撮影 大津幸四郎/高岩仁
■音楽 真鍋理一郎
■ナレーター 宮沢信雄

© 1973 青林舎/パラブラ

【2026/4/25(土)~5/1(金)上映】

チッソよ苦海の声を聞け! 時にははげしく、そして漁りの心をもって迫る患者たちの群像

1973年3月20日、熊本地方裁判所は患者の訴えを認め、チッソに慰謝料の支払いを命じた。チッソに初めて加害責任があることを明らかにした判決であった。その後、チッソ本社で生涯の医療と生活の補償を求めた直接交渉がくりひろげられる。この映像は交渉にあたる患者の行動を追う中で語られる、きわめて資料性の高い証言の記録である。

「死ぬまで面倒をみてくれろ」と誓約書への署名を求める患者。「慰謝料分は払うが、あとの要求は会社の体力からいって呑めない」と跳ねつける会社側。しかし、「人は何のために生まれてきたち思うか」と問いつめる患者に、チッソ側のかたくなな態度が徐々に突き崩されていく。この映画は裁判を自ら拒否し、加害企業チッソとの直接交渉を求めて坐り込んだ水俣病患者たちの、人間としての尊厳をかけた闘いの記録である。

【モーニング&レイトショー】阿賀に生きる
【Morning & Late Show】Living on the River Agano

佐藤真監督作品/1992年/日本/115分/DCP

■監督 佐藤真
■撮影 小林茂
■録音 鈴木彰二
■音楽 経麻朗
■整音 久保田幸雄
■ナレーター 鈴木彰二
■題字 小山一則

■第24回ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭銀賞、国際批評家連盟賞、新鋭批評家賞、エキュメニック賞受賞/1993年サンダンス・フィルム・フェスティバル IN TOKYO コンペティション部門グランプリ受賞/山形国際ドキュメンタリー映画祭 ’93優秀賞受賞ほか多数受賞

【2026/4/25(土)~5/1(金)上映】

20年前、カメラは未来を写していた

『阿賀に生きる』はドキュメンタリー映画の開拓者である佐藤真の初監督作品。1992年当時、映画館でドキュメンタリー映画がロードショーで上映されることがなかった時代、異例ともいえるロードショー公開がなされ、第24回スイス・ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭で銀賞ほか4賞受賞、山形国際ドキュメンタリー映画祭優秀賞受賞、フランス・ベルフォール映画祭最優秀ドキュメンタリー賞、サンダンス・フィルム・フェスティバルIN TOKYOグランプリ受賞など、名だたるドキュメンタリー映画祭で最高賞を次々獲得。新潟水俣病という社会的なテーマを根底に据えながらも、そこからはみ出す人間の命の賛歌をまるごと収め、世界中に大きな感動を与えた。

豊かな暮らしとは何か その答えがここにある

映画の主役は3組の老夫婦。かつては鮭漁の名人で田んぼを守り続ける長谷川芳男さんとミヤエさん、200隻以上の川舟を造ってきた誇り高き舟大工・遠藤武さんとミキさん、餅つき職人で仲良し夫婦の加藤作ニさんとキソさん。佐藤監督ら7人のスタッフは、3年にわたり川の流域に住み込み、田植えを手伝い、酒を呑みかわし、阿賀の人々の暮らしに寄り添って撮影した。生きる喜びに溢れた豊かな暮らしが映し撮られた生の記録は、全国から支持を得て1400人余りのカンパを集めて完成。日本全国で上映され、自らの人生と風土を見直す賛辞がうずまき一大ブームを巻き起こした。