ミ・ナミ
今週の早稲田松竹は、ドキュメンタリー特集です。『どうすればよかったか?』『マミー』の二本立て、特別モーニングショーとして『人生フルーツ』を上映いたします。
ひとくちに家族と言っても、様相も、そこにつきまとう思いも人の数だけ千差万別。家族とは自分自身の人生における絶対強固な存在でありながら、実に不確かなものです。今週の三作品は、これまで生まれてきた家族ドキュメンタリーとはやや趣を異にします。観客の皆さんは、家族という存在への慈しみはもちろん、時に挫折や絶望、戸惑いを感じながらも再びひとつのかたちに立ち返っていく(あるいは立ち返ろうとする)それぞれの旅程に付き合うことになります。
1998年に和歌山で起きた毒物カレー事件で、有罪・死刑判決を受けた林眞須美死刑囚をめぐる『マミー』は、メディアスクラムによって作り出された犯罪者の先入観や科学捜査による誤謬を指摘することにより、〝和歌山カレー事件〟でも〝林真須美死刑囚〟でもなく、ただタイトルに『マミー』と冠した通りある一人の母親としての姿を取り戻すプロセスの映画であるように見えます。そもそもこの事件の捜査も報道もきわめて問題の多いものでした。それを追求する原動力こそ、犯罪者のスティグマを捺されてさえも「母である」という、家族の分かちがたさに他なりません。息子である浩次さんが、遺族の無念に突き動かされるまま実の母に疑惑を向ける道のりの苦しさは計り知れず、そしてその結果としても「母は無実だと思う」と潔白を口にする言葉は、トーンこそ丁寧で淡々としながらも厳しい覚悟がはっきりと見えます。容疑者に近しいからという理由でしりぞけられてしまう家族の証言ですが、家族でなければ、これほどまでの苦しみと自問自答の末にその潔白を口にすることができないのではないでしょうか。
『マミー』の中で、事件現場に花を添える遺族の男性の横顔を、ことさら悲壮感であおろうとするマスコミの様子はメディアの持つカメラの恣意性、暴力性が少しも事件当時と変わっていないことの証左でもありますが、カメラという存在の持つ冷徹さを利用して誤謬を暴き立てることにも成功しています。
一方で家族という存在のもつ片付かなさに向き合うため積極的にカメラを利用していったのが、『どうすればよかったか?』にあったように思います。ある日突然統合失調症の症状が現れ始めた姉と、にもかかわらず彼女に長期間にわたり精神科の治療を受けさせなかった両親、そんな親に時に憤り、時に絶望しながらもカメラを向けた時間が記録されています。作品の冒頭で掲げられているように、本作はタイトルの問いかけに対して「こうすればよかった」を提示するものではありません。世界で最も自分自身に近いはずの家族と一番重要な部分で理解し合えないことで生まれる無力感を手放そうとしない態度には、本当に厳粛な気持ちにさせられます。
愛知県のとあるニュータウンに住む津端修一さんと妻・英子さんによる自然と歩む生活を映す『人生フルーツ』は、後世にも残り続ける真の価値や生き方を提案する作品です。しかし一方で、劇中に登場する後輩曰く、修一さんはデザイナーとしては優秀ながら、「組織人としては本当に駄目な人で、急に事務所に来なくなったりする」という、天才肌の変わり者という人柄だったという現実的な評価も差しはさまれます。そして修一さんを〝修たん〟と呼び、最後まで主体的な語り手を担うのが英子さんであり、ある場面で彼女を〝お母さん〟と呼ぶ修一さんの姿を撮り逃さないところにも、ただ仲睦まじい夫婦像をみせていくばかりではない、ドキュメンタリーならではの緊迫を感じるのです。
『マミー』は真犯人や真相究明に一役買う映画というわけでもなく、『どうすればよかったか?』は「こうするしかないのでは」を解き明かすものありません。家族――この複雑で厄介なものを、厄介なままに引き受けるための訓練のような時間に思えるのです。私もまた、〝家族〟という言葉や概念に対しものすごく複雑な気持ちがあります。私にとって家族とは、巷に流れるポップスで歌われているような、平穏で柔らかなものでは決してなく、その一方で、特に最近のSNS上でかまびすしく飛び交う「毒親」「親ガチャ」といったやや極端な概念にも、今一つ当てはめることはできない――というよりも〝したくない〟と抗う自分がいるのもまた事実です。〝家族〟という言葉を聞くや否や、鼻先に生乾きの雑巾をぶら下げられたかのようにひどいしかめ面をして顔を背けたくなる感情とともに、胸をかきむしり泣き叫びたくなる恋しさも同居しているのだと自覚したのは、この三作品のように家族を捉える多様な視座を持つ映画たちがいてくれたからだと思います。
マミー
Mommy
■監督 二村真弘
■プロデューサー 石川朋子/植山英美
■撮影 髙野大樹/佐藤洋祐
■オンライン編集 池田聡
■整音 富永憲一
■音楽 関島種彦/工藤遥
©︎2024digTV
【2025/9/6(土)~9/12(金)上映】
母は、無実だと思う。和歌山毒物カレー事件から26年目の挑戦
和歌山毒物カレー事件――1998年7月、夏祭りで提供されたカレーに猛毒のヒ素が混入。67人がヒ素中毒を発症し、小学生を含む4人が死亡した。犯人と目されたのは近くに住む林眞須美。凄惨な事件にメディア・スクラムは過熱を極めた。自宅に押し寄せるマスコミに眞須美がホースで水を撒く映像はあまりにも鮮烈だった。彼女は容疑を否認したが、2009年に最高裁で死刑が確定。今も獄中から無実を訴え続けている。
事件発生から四半世紀、本作は最高裁判決に異議を唱える。「目撃証言」「科学鑑定」の反証を試み、「保険金詐欺事件との関係」を読み解いていく。さらに眞須美の夫・林健治が自ら働いた保険金詐欺の実態をあけすけに語り、確定死刑囚の息子として生きてきた林浩次(仮名)が、なぜ母の無実を信じるようになったのか、その胸のうちを明かす。林眞須美が犯人でないのなら、誰が彼女を殺すのか? 二村真弘監督は、捜査や裁判、報道に関わった者たちを訪ね歩き、なんとか突破口を探ろうとするのだが、焦りと慢心から取材中に一線を越え…。
映画は、この社会のでたらめさを暴露しながら、合わせ鏡のようにして、私たち自身の業や欲望を映し出す。
どうすればよかったか?
What Should We Have Done?
■監督 藤野知明
■制作 淺野由美子
■撮影・編集 藤野知明/淺野由美子
■整音 川上拓也
■山形国際ドキュメンタリー映画祭2023日本プログラム部門出品/座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル2024コンペティション部門出品/台湾国際ドキュメンタリー映画祭2024アジアン・ヴィジョン・コンペティション部門出品
© 2024動画工房ぞうしま
【2025/9/6(土)~9/12(金)上映】
言いたくない 家族のこと
面倒見がよく、絵がうまくて優秀な8歳ちがいの姉。両親の影響から医師を志し、医学部に進学した彼女がある日突然、事実とは思えないことを叫び出した。統合失調症が疑われたが、医師で研究者でもある父と母はそれを認めず、精神科の受診から姉を遠ざけた。その判断に疑問を感じた弟の藤野知明(監督)は、両親に説得を試みるも解決には至らず、わだかまりを抱えながら実家を離れた。
このままでは何も残らない——姉が発症したと思われる日から18年後、映像制作を学んだ藤野は帰省ごとに家族の姿を記録しはじめる。一家そろっての外出や食卓の風景にカメラを向けながら両親の話に耳を傾け、姉に声をかけつづけるが、状況はますます悪化。両親は玄関に鎖と南京錠をかけて姉を閉じ込めるようになり……。
家族という他者との20年にわたる対話の記録
20年にわたってカメラを通して家族との対話を重ね、社会から隔たれた家の中と姉の姿を記録した本作。“どうすればよかったか?” 正解のない問いはスクリーンを越え、私たちの奥底に容赦なく響きつづける。分かりあえなさとともに生きる、すべての人へ向けた破格のドキュメンタリー。
【モーニングショー】人生フルーツ
【Morning Show】Life Is Fruity
■監督 伏原健之
■プロデューサー 阿武野勝彦
■撮影 村田敦崇
■編集 奥田繁
■音声 伊藤紀明
■音楽プロデューサー 岡田こずえ
■音楽 村井秀清
■ナレーション 樹木希林
■出演 津端修一/津端英子
■第91回キネマ旬報ベスト・テン文化映画第1位/第32回高崎映画祭ホリゾント賞/平成29年度文化庁映画賞文化記録映画優秀賞
© 東海テレビ放送
【2025/9/6(土)~9/12(金)上映】
風が吹けば、枯葉が落ちる。枯葉が落ちれば、土が肥える。土が肥えれば、果実が実る。こつこつ、ゆっくり。人生、フルーツ。
むかし、ある建築家が言いました。
家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない。
愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一隅。雑木林に囲まれた一軒の平屋。それは建築家の津端修一さんが、師であるアントニン・レーモンドの自邸に倣って建てた家。四季折々、キッチンガーデンを彩る70種の野菜と50種の果実が、妻・英子さんの手で美味しいごちそうに変わります。刺繍や編み物から機織りまで、何でもこなす英子さん。ふたりは、たがいの名を「さん付け」で呼び合います。長年連れ添った夫婦の暮らしは、細やかな気遣いと工夫に満ちていました。そう、「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」とは、モダニズムの巨匠ル・コルビュジエの言葉です。
かつて日本住宅公団のエースだった修一さんは、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきました。1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地。修一さんは、それまでの仕事から距離を置き、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめましたーー。あれから50年、ふたりはコツコツ、ゆっくりと時をためてきました。そして、90歳になった修一さんに新たな仕事の依頼がやってきます。
本作は東海テレビドキュメンタリー劇場第10弾。ナレーションをつとめるのは女優・樹木希林。ふたりの来し方と暮らしから、この国がある時代に諦めてしまった本当の豊かさへの深い思索の旅が、ゆっくりとはじまります。