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pic  http://www.ontheroad-movie.jp/ 『オン・ザ・ロード』に登場するサル・パラダイス(ジャック・ケルアック)とディーン・モリアーティ(ニール・キャサディ)が旅をしていたのは1940年代の終わりから1950年。

第二次世界大戦後のアメリカの国内を、あてどなく旅する自らの体験を元に、作家ジャック・ケルアックによって書かれた。この無名にして放埓な時を経て、彼らビート・ジェネレーションが書いたものが若者の間で爆発的に支持され、その影響は若者の生活から服装、考え方まで一新し、世界中に広がった。

ビート・ジェネレーションの作家たちはヒロシマ、ナガサキ、アウシュビッツを知っていた。自国が作り出した爆弾で、一瞬にして多くの人々を灰と化し、顔も知らない人たちを数字で記述する。標本として取り出される名もなき人間たち。原爆の、放射能の大量虐殺の街。建国から長い時間をかけて欧米が作り出してきた大量消費、大量生産の文脈が、人類の発展の歴史の中でも初めて、個人の精神を脅かしている。

ケルアックがキャサディと出会ったのは“彼の父が亡くなり”、ケルアックが落ち込んでいるそんなときだった。自分の情熱のままに行動して、周囲の人間を気にもしないキャサディの姿。“アメリカ的喜びの爆発”

「ぼくにとってかけがえのない人間とは、なによりも狂ったやつら、狂ったように生き、狂ったようにしゃべり、狂ったように救われたがっている、なんでも欲しがるやつら、あくびはぜったいにしない、ありふれたことは言わない、燃えて燃えて燃えて、あざやかな黄色の乱玉の花火のごとく、爆発するとクモのように星々のあいだに広がり、真ん中でポッと青く光って、みんなに「ああ!」と溜め息をつかせる、そんなやつらなのだ」
――『路上/オン・ザ・ロード』より

ビート・ジェネレーションの文学活動が、薬物中毒の、しかも汚らしい格好した連中によって行われていることは、大きく取り上げられていた。自分たちの子どもに悪影響だと親や世間が言う。

しかし最初に反応したのは、もちろん若者たちだった。それが連鎖して火がつき、60年代から70年代にヒッピームーヴメントとして伝わって、ベトナム反戦運動へと発展する。



http://www.sugarman.jp/ 多くのミュージシャンを生み出した音楽の街としても知られる(motor town=モータウン)デトロイト。『シュガーマン 奇跡に愛された男』のシクスト・ロドリゲスもまた、この時代にクラブでスカウトされた。「第二のボブ・ディラン」として活躍を期待されたが、彼の二枚のアルバム、「cold fact」「Coming from Reality」はアメリカでは全く売れなかった。

一方で、このアメリカの生産力の象徴として自動車産業で栄えたデトロイトの街は、70年代にとてつもない大不況を通過する。その原因は安価で性能の高い日本車のせいだとも言われ、2013年7月には財政破綻し、ゴーストタウンの様相を呈している。今の広島の街とデトロイトの街を比べると、一体どちらに爆弾が落ちたのかわからないほどだ。

こんな皮肉な事態にも、その影響の旅がどこから始まって、一体どこまで広がってしまったのか今ではもう想像がつかない。奴隷として連れて来られたアフリカン・アメリカンと、ヨーロッパから移住してきた白人とのアメリカ大陸での出会いが生み出した、ジャズ・ミュージック。「聴こえているかい?」と語りかけるように、刻んだビートに世界中の人々がスウィングしてから? セロニアス・モンク、バド・パウエル、チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーの即興演奏? それともアレン・ギンスバーグが、サンフランシスコの画廊で「吠える howls」を詠みあげたとき? 世界のどこかでR&Bに体を揺らし、NYアンダーグラウンドに熱狂し、HIPHOPに民衆が拳を振り上げるとき?

今では、アジアだけではなく中東、パレスチナでもHIPHOPの歌手が生まれる。ついさっきまでうまく話せなかったのにもかかわらず、突如として、予期しないニュアンスが伝わってしまう。この意思伝達における突然変異。

「クールというのは、スクウェア(堅物・石頭)たちがスウィング(みんなが愉快になっているとき、他の人たちを支配しているムードに溶け込むことが)できないところでスウィングしてみせ、そのままその場を支配することだ」
――ノーマン・メイラー「ぼく自身のための広告・下 『白い黒人』より」

1970年代に発表されたシクスト・ロドリゲスのアルバムは、アフリカで異例の大ヒットを記録していた。アパルトヘイト時代の南アフリカで抵抗運動を続けていたリベラル派の若者たちからの熱狂的な支持。それはストーンズやビートルズを凌ぐほどの人気だ。それを作ったシクストの全く知りもしないところで!

pic無名時代、ケルアックが作家であろうとするなか、変わらず路上での生活をし続けるニール・キャサディは、「路上」の発表後、多くの若者たちに支持されるが、1968年、メキシコの線路上で裸で死んでいるのを発見される。その放埓と情熱の日々、後先を考えない究極の、燃えるような現在意識のひとつのピリオドに、体の中心にぽっかりと穴をあけられたような気がしないだろうか。しかしその存在感がケルアックに小説を書かせて、社会や文化が動くなら、これが装飾を剥がされ、洒落にもならない「cold fact」(冷たい事実)だ。

シクストの空白からの奇跡的な成功も、キャサディの“歴史に残る大失敗”と賛辞を贈られる生き方も、旅の終わりであり、始まりでもある一つの信号だ。道路から道路、酒場から酒場、街から街、人から人へ。そのひとつひとつを取り上げることができないほどの雑踏の奥から発せられる「もうひとつの声」が今もまだ鳴り止まない。

(ぽっけ)

あらすじ


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