原田眞人の映画を観て、言葉を失う。
演出上手な映画監督による最良のシーンには、観ている者に「ああ、きたな」と何かを予感させるような瞬間がある。
しかしそれは「きたな」という直感であって未だそれ以上のものではない。
本人が望む望まないに限らずこういう瞬間に訪れる、虚と実の混じり合う感覚の喜びはかなり大きな割合を占めるものだ。
シェイクスピアの戯曲が創作されてから、何百年も再演され、いまだに私たちが同じ場面で涙を流すように。
クラシック音楽が指揮者の新たな再現性によって、いまコンサートホールで息を吹き返すように。
人々は今も歴史を、各年代や各時代の感情を現在に呼び戻すことができる。
過去の歴史の物語と、いま観ている人物が生きる現実の境界が演出の魔法で触れあった瞬間に、
観客をピリリと感応させることができたなら演出家は本望ではないだろうか。
原田眞人監督は、いくつかの年号とその背景と共に『わが母の記』を描く。
そこにはその時代の流行作家の家庭という暮らしぶりが伺える。(主人公の暮らす家は原作者・井上靖の実際の邸宅らしい)
この映画のなかの人物の暮らしぶりと、現在の私たちの暮らしぶりがもうほとんど異なっているということが、
遠く母の幻影を基礎として、母子が再び巡りあうこの物語の設定としてふさわしいということは、
私たちが人生を通して経験する道程のデフォルメであるということであれば私たちも納得しよう。
これは時代劇なのだ。時代劇である限り、私たちはこの近代的寓話から浮かび上がってくる事に無関心ではいられない。
それは私たちが避けて、忘却の底に隠してきた事柄だ。
『KAMIKAZE TAXI』で私たちが意表を突かれるのは、あまりにも大きな隔たりだ。
太平洋を越えて、あるいは何百年もの間、血を血で洗う戦争を繰り返してきたペルーという国の山肌と、
日本の雑居ビルの一室で愛人を殺された青年のざわつく心に、同じ風の匂いを感じ取る。
そんなダイナミックな発想が、一人の男の佇まいで表現されてしまうことに我々は全く準備ができていない。
亡霊が出現するように空気が変わり、虚と実の境界が曖昧になっていく。
ここにも遠くから近づいてくるものを私たちは感じることができるだろう。
表裏がそれぞれ逆さまになった役所広司という俳優の静と動の顔をこの2つの映画で見ることができる。
表情が変わらないように見えて激しい感情を秘めることと、表情豊かに見えて冷め切っている。
そのどこかすわりの悪いこの俳優の佇まいと、その背後で流れて行く年号のなかに、
ある時代から一つ処に留まることのできない日本人の姿を想像することは難しくはない。
同時に男の妄執と忘却の底から這い出してくるように、何かを探して徘徊する老母の姿は、脳裏に焼きつき、
ただのわが母の記録などではない、日本人にとって固有名を剥ぎ取られた「Chronicle of My Mother」を形成するだろう。
そこにはどこか疲労したこの国が失いかけ、忘れかけていることを糸ほどの細さでつないでいこうとする意志がある。
しかし驚くことに、原田眞人がかのような構成や演出の計算をたちまちのうちに終わらせてしまって、
そこに準備するものの量に、日本には希少な本格派の映画監督の匂いを嗅ぎつけるものは少なくないはずだ。
言葉がいつからか失った求心力を、見て伝わる映画というジャンルのコミュニケーションのなかに未だ見続ける。
そんな原田眞人の映画のなかで、ある事柄と現実が魔法にかかったように接近遭遇する瞬間と出会ったとき、
しばしの間、時を忘れ、言葉を失うのだった。
KAMIKAZE TAXI<インターナショナル・バージョン>
(1995年 日本 140分 ビスタ/ドルビーA)
2012年10月27日から11月2日まで上映
■監督・脚本 原田眞人
■撮影 阪本善尚
■音楽 川崎真弘
■出演 役所広司/高橋和也/片岡礼子/内藤武敏/中上ちか/矢島健一/田口トモロヲ/根岸季衣/塩屋俊/シーザー武志/ミッキー・カーチス
■1996年度キネマ旬報賞助演男優賞(ミッキー・カーチス)/1995年度毎日映画コンクール主演男優賞(役所広司)/1995年度ヨコハマ映画祭最優秀新人賞(片岡礼子)/1997年度ヴェレシエンヌ映画祭最優秀監督賞 準グランプリ 受賞
最愛の恋人をヤクザに殺されてしまった青年・達男。復讐を誓い、金を盗む計画を仲間と立てた達男だが、失敗に終わり一夜にして自らも命を狙われる身となってしまった。
そんな時、達男はある男に出会う。彼はタクシーの運転手で、名はカズマサ。日本人だがペルー育ち、それから二人の旅は始まった。追われる身となった達男と、権力者との戦いを戦いきれなかった過去を持つカズマサ。タクシーは回り道をしながらも、至るべき復讐の場所へと向かっていく。
『金融腐蝕列島〔呪縛〕』『突入せよ!「あさま山荘」事件』、そして最新作『わが母の記』 と、傑作を生み出してきた原田眞人×役所広司の黄金コンビによる記念すべきコンビ一作目。『復讐の天使 KAMIKAZE TAXI』のタイトルでOV作品として既に発売されていながら、スクリーン上映を望む多くのリクエストに応え、劇場公開となった伝説のロードムービーだ。
『KAMIKAZE TAXI』にはいくつかのバージョンがある。まず94年に東京ファンタスティック映画祭にて『復讐の天使 KAMIKAZE TAXI』のタイトルで発表されたもの(169分)。そして、前半100分、後半87分の2本にわけてビデオ発売された『復讐の天使 KAMIKAZE TAXI』と『復讐の天使2 KAMIKAZE TAXI』。タイトルを原田監督が本来希望していた『KAMIKAZE TAXI』に戻し、中野武蔵野ホールで公開された劇場版を再編集した『KAMIKAZE TAXI ディレクターズ・カット』版(150分)。今回上映する<インターナショナル・バージョン>は、海外映画祭での上映及び海外セールス用として作られたものである(140分)。
わが母の記
(2011年 日本 118分 ビスタ/SRD)
2012年10月27日から11月2日まで上映
■監督・脚本 原田眞人
■原作 井上靖『わが母の記〜花の下・月の光・雪の面〜』(講談社刊)
■撮影 芦澤明子
■編集 原田遊人
■音楽 富貴晴美
■出演 役所広司/樹木希林/宮崎あおい/南果歩/キムラ緑子/ミムラ/赤間麻里子/菊池亜希子/三浦貴大/真野恵里菜/三國連太郎
■第35回モントリオール世界映画祭審査員特別グランプリ受賞
ふと甦る、子供の頃の記憶。土砂降りの雨のなか、軒下に立っていた。向かい側には、不機嫌な顔をした母と、まだ幼い二人の妹がいる──。幼少期に伊上はひとりだけ両親と離れて育てられていた。「僕だけが捨てられたようなものだ」軽い口調で話す伊上だが、本当はその想いをずっと引きずっていた。
父が亡くなり、残された母の暮らしが問題となり、長男である伊上は、妻と琴子ら3人の娘たち、そして妹たちに支えられ、ずっと距離をおいてきた母・八重と向き合うことになる。 老いて次第に失われてゆく母の記憶。その中で唯一消されることのなかった、真実。初めて母の口からこぼれ落ちる、伝えられなかった想いが、50年の時を超え、母と子をつないでゆく──。
原作は、昭和を代表する文豪・井上靖が、自身の人生、家族との実話をもとに綴った自伝的小説「わが母の記〜花の下・月の光・雪の面〜」。数々のベストセラーを生み出し、多くの作品が今現在もテレビ化・映画化されている、まさに国民的作家である。
監督は、『突入せよ!あさま山荘事件』『クライマーズ・ハイ』などの社会派作品で高く評価されている原田眞人。主人公の伊上洪作に役所広司、母の八重に樹木希林、娘の琴子には宮アあおい他、日本を代表する実力派俳優たちの豪華競演が実現した。撮影は、井上靖が家族とともに過ごした東京・世田谷区の自宅(撮影終了後、旭川へ移築中)で行われ、多くの名作が誕生した実際の書斎を使用、井上の面影をも写し取る。
家族だからこそ、言えないことがある。家族だからこそ、許せないことがある。それでも、いつかきっと想いは伝わる。ただ、愛し続けてさえいれば──。たとえ時代が変わり、社会が複雑になり、困難な未来が訪れても、家族の絆だけは変わらない。人と人との絆の大切さを知った今の時代にこそふさわしい、希望に満ちた普遍の愛の物語が誕生した。