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Robert Bresson

■ロベール・ブレッソン

1907年生まれと信じられてきたが、実は1901年にフランス中部のビュイ=ド=ドーム県ブロモン=ラモットに生まれた。パリ近郊の街ソーの高等中学校に学び、哲学・ギリシア語などで大学入学資格を獲得したが、絵画に熱中し画家として出発した。やがてルネ・クレールの作品に協力したことから映画に興味を持ち、画家から転向。最初の仕事は1933年、モーリス・グレーズら監督の『それは音楽家だった』の台詞担当で、以後、シナリオ作家・台詞作家として活躍した。1940〜42年頃、第二次世界大戦に従軍して捕虜になり、ドイツで収容所生活を送る。帰国後、映画作家として自分の映画を撮るようになり、最初の長編『罪の天使たち』、次作『ブーローニュの森の貴婦人たち』といった戦時下の作品で、その禁欲的で抽象的な構成美を持ったスタイルが早くも注目され、高い評価を受けるようになる。

その後、映画をその発生の原点に立って「シネマトグラフ」と呼ぶことにこだわりつづけ、俳優による「芝居」を拒否して非職業俳優しか使わないブレッソンの映像芸術は、ますます彫琢を加えられ、寡作の仲に独特の作品世界を作り上げてきた。

Filmography

・それは音楽家だった(1933)台詞のみ
・南方飛行(1936)共同脚色のみ
・ブライトンの双生児(1936)共同脚本のみ
・狂える処女(1938)助監督のみ
・公共問題(1934)  
・罪の天使たち(1943)
・ブローニュの森の貴婦人たち(1944)
・田舎司祭の日記(1950)
・抵抗(1956)
・スリ(1960)
・ジャンヌ・ダルク裁判(1962)
・バルタザールどこへ行く(1964)監
・少女ムシェット(1967)
・やさしい女(1969)
・白夜(1971)
・湖のランスロー(1974)
・たぶん悪魔が(1977)
・ラルジャン(1983)


ドストエフスキーがロシアの小説に、
モーツァルトがドイツの音楽に対して占める位置を、
ブレッソンはフランス映画に対して占めている。
                                ――ジャン=リュック・ゴダール

世界は歪んでいる。
その歪みが不条理だったり、不運だったり名前を変えて私たちの前に現れてくるのかもしれないが、それは確実に存在している。

そもそも世の中が理路整然としていた事なんてあっただろうか?都合の良いようにその歪みをもみ消して、さも何もなかったかのような顔をしているだけに過ぎない。

ロベール・ブレッソンはその歪みをスクリーンの向こうに映し出してしまう。重ねられた様々な色を取り除き、目を惹く装飾をあえて消し去ることで、私たちに現実をぼやけさせる妄想の材料を与えない。同時にそれは、いかに現実の世界を直視できなくなっているのかということの「裏付け」でもある。皮肉なことに、私たちはスクリーンを通して世界をのぞきこむことでしか、純粋な現実を観ることができないのかもしれない。

ブレッソンの映画であらわになるそうした歪みは、現実世界の歪みそのものだ。画面上で淡々と負の連鎖を被る人間と、手の届かない現実の他人の人生との違いは何一つないじゃないか。ただ生きているだけ、ただ動くだけでその歪みに蝕まれていってしまう。

だからといって「現実は過酷だ」と私たちをネガティブなものへと陥れてしまうほど、ブレッソンは冷酷ではない。むしろあまりにも優しいと言ってよいほどだと思う。

ブレッソンはその歪みを体験した人たちに歩み寄りはしないし、それどころか彼らの間には決定的な隔たりがある。

彼はただ、慰めも怒りも声を大にして言いまわったりするつもりはないが、世界の歪みは私も観た、と声なき声で私たちに語りかける。それはニセモノの慰めや、不幸のナルシシズムとは全くの別物だ。

過度な主張や誇張はいらない。あえて何もしないことが、映画においてはこんなにも優しく、こんなにも感動を呼ぶことに驚きを隠せない。歪みを映し出してしまう。それだけで、ブレッソンは誰よりも優しく私たちの肩を叩いてくれる。

(ジャック)


スリ
PICKPOCKET
(1959年 フランス 74分 SD/モノラル) 2012年1月28日から2月3日まで上映 ■監督・脚本・脚色・台詞 ロベール・ブレッソン
■撮影 レオンス=アンリ・ビュレル
■音楽 ジャン・バティスト・リュリ

■出演 マルタン・ラサール/マリカ・グリーン/ピエール・レーマリ/ペルグリ

スリをして生計をたてている貧しい大学生と、彼を慕う娘
切ない恋愛とスリリングな犯罪が交差する傑作!

病床の母親と暮らす貧乏な学生ミシェルは、学業はおろか生活すらおぼつかない日々を送っていた。そこで自活を思い立ち、安アパートに一室を借りたが、生来器用な手先が却ってわざわいし、他人の懐から失敬しては生計をたてるようになる。彼のことを心配する真面目な友人のジャックから仕事口を紹介してもらうも、紹介先にむかう途中に目撃した巧みなスリの方法に魅入られ、毎日その手口を真似てスリをするミシェル。しかしそんなミシェルも、母親やジャック、そして母の面倒を見てくれている美しい娘ジャンヌにだけは、自分の生活を知られたくなかった。そう思いながらも、やがてミシェルの器用さは職業スリの目に止まり、ジャンヌの心配をよそにグループを組んで大金を稼ぐようになってゆく…。

映画とは何か、芸術とは何か。
ドラマティックな誇張を一切拝したブレッソンの真骨頂

pic若いスリが人のものを盗むという誘惑とたたかいながら、その犯罪行為の一種の魔術的要素に魅せられ、遂にその誘惑に負けるまでの心理的葛藤を描き出した本作。ブレッソンの映画の狙いは常に、外面的な事件の展開ではなく、常に人間の内面的な動きに重点がおかれている。また、ほかのブレッソン作品同様に、出演者はすべて素人を起用。ヒロインのジャンヌを演じた当時16歳のマリカ・グリーンは、本作をきっかけに女優として開花した。

「『スリ』は小さな題材だが、私は小さい題材の方が好きだ。この映画は手と対象たる物とまなざしの映画である。映画におけるテーマなどというものはどうでもいいのではないだろうか。私の興味をひくものは、色々と点在する芸術的要素を秩序立てて組み立てることである。『スリ』においても従来の作品と同じく、私はあくまで演劇的手法を避け、在るがままをリアルに描いたつもりである。」
                           ――ロベール・ブレッソン


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ラルジャン
L'ARGENT
(1983年 フランス/スイス 85分 ビスタ/モノラル) 2012年1月28日から2月3日まで上映 ■監督・脚本・脚色・台詞 ロベール・ブレッソン
■原作 L・N・トルストイ<にせ利札>より
■撮影 エマニュエル・マシュエル/パスカリーノ・デ・サンティス
■音楽 バッハ<半音階的幻想曲とフーガ ニ短調BWV.903>

■出演 クリスチャン・パティ/カロリーヌ・ラング/ヴァンサン・リステルッチ/シルヴィー・ヴァン・デン・エルセン/マリアンヌ・キュオー

■カンヌ国際映画祭監督賞創造大賞/カイエ・デュ・シネマ誌ベスト・ワン/全米映画批評家協会賞監督賞受賞

ラルジャン、金、現代の神――
我等に何をなすなというのか

picパリに住むブルジョワ少年は、借金を返すために友人から渡されたニセ札を写真機店で使う。後にニセ札だと気付いた店の主人は金を受け取った妻をなじるも、ガソリンの集金に来た配達員イヴォンに黙って渡す。イヴォンはそれを昼食代に使おうとして、警察に通告された。刑事とともに写真機店に行き、潔白を証明しようとするイヴォンだが、主人はイヴォンの顔に見覚えがないという。幼い娘と妻がいながら、獄中につながれるイヴォンは、店の若い店員リュシアンの偽証で有罪になってしまう。リュシアンに金で感謝する店主。執行猶予となり失職したイヴォンは、銀行強盗に加わりふたたび逮捕され、ついには三年の宣告で獄に入る。その間に、幼い娘は病死し、妻はイヴォンのもとを去るのだった。やがて出獄したイヴォンは世の中すべてに復讐を誓う…。

パリに起る連続殺人に悪魔と神の相克を描く
ブレッソンの遺作にして最高傑作!

「ラルジャン」はフランス語で「金」を意味する。金をめぐる映画は過去にも数あれど、金そのものが主役で登場し、まるで神のように象徴的な役割を演じるのは本作が初めてだろう。トルストイの「にせ利札」が原作である、偶然握らされたニセ札をきっかけに一家惨殺事件を引き起こす青年の物語を、ブレッソンはいっさいのムダを省き、簡潔で、それでいて最も密度の高い作品に仕上げた。『スリ』同様、手の表情を繊細にとらえた映像の数々は圧巻の美しさであり、当時82歳とは思えない、自身の映画美学の真髄を究めた遺作である。

「わずかな過ちから目もくらむような悪の雪崩が引き起こされる――善が立ち現れる最後の瞬間まで」
                           ――ロベール・ブレッソン


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