元キャンディーズのスーちゃんこと、女優・田中好子さんが、
去る2011年4月21日に、お亡くなりになりました。
早稲田松竹では、田中好子さんの女優としての功績をたたえて、その思い出とともに、
この8月最後の週に原爆をテーマにした2つの映画『黒い雨』と『鏡の女たち』を追悼上映致します。
井伏鱒二による同名小説を巨匠・今村昌平が監督した『黒い雨』。
連載当初は「姪の結婚」という題名であったこの作品の語り手・閑間重松(北村和夫)の姪・高丸矢須子を演じるのが、
田中好子さん。
「おじさん、もうええんです。私もう嫁にはいきませんけん」
放射能の雨に打たれ、その風評から嫁入りさえままならない矢須子。いつしか体にできた痣。抜ける髪の毛。
誰も見たことなかった原爆症の脅威にさらされていく姿を、大仰にでも鬱々とでもなく、
井伏文学の基調でもある"平常心"を失わずに見事に表現した田中好子さん。
その静かでたくましい演技と、剥き出しの人間の姿を卓越した洞察力で描いてきた今村監督の緻密かつパワフルな演出。
2つの拮抗したバランスが、人間の生活の中から滲み出てくるようなリアリズムと、
原爆という圧倒的な違和を浮立たせた傑作です。
女優転向後8年目の本格的女優としての躍進。この『黒い雨』で、田中好子さんは、
日本アカデミー賞を始めとする日本映画の各賞の主演女優賞をいくつも受賞する大快挙を成し遂げました。
そして、さらにTVや映画で幅広く活躍されるなか、若い人たちにとって印象が強いのは、
なんといっても母親役であったのではないでしょうか。(私もそうでした)
もう一本の映画『鏡の女たち』はそんな田中好子さんの母親役の一つでもあり、
2002年に吉田喜重監督のその偉大な功績を讃えて、
(存命であるにも関わらず)回顧上映が行われる契機になった作品でもあります。
ヒロシマ原爆を目の当たりにした祖母(岡田茉莉子)、子供を産んで突然行方不明になった母(田中好子)、
母親を知らずに育った娘(一色紗英)。
三世代にわたる女性の家族の一番謎に包まれた女性を演じるのが、田中好子さん。
眩しい夏の光、割れた鏡、障子に透けた母娘の影、
数々のモチーフを女性を通じて描くことで、重層的に表現されたヒロシマと現代人と、
さらには歴史の真実までへも立ち返っていく果てしない記憶の旅。
この映画で『「見せる」演技をする女優が多いなかで、「見られる」演技のできる、数少ない価値のある女優。』
そんな評価を受ける田中好子さんの横顔は、多くの失われた記憶を引き受けるようなひたむきさと、
その悲しさに彩られて、とても美しいです。
故人を偲んで、是非その珠玉の作品をご覧になって頂ければと思います。
早稲田松竹でも、田中好子さんの主演作『0からの風』を封切りで上映(2007年5/12から5/25まで)させて頂きました。
初日の舞台挨拶では、撮影時のエピソードや作品に対する思いをお話してくださいました。
慌ただしい中、スタッフと一緒に写真を撮って頂き、お世話になりました。
その美しさと優しさ、芯の通った勇気ある女優としての姿をいつまでも忘れません。
田中好子さんのご冥福を心よりお祈りいたしております。
(ぽっけ)
鏡の女たち
FEMMES EN MIROIR
(2002年 日本 129分 ビスタ/SR)
2011年8月27日から9月2日まで上映
■監督・脚本・企画・編集 吉田喜重
■撮影 中堀正夫
■音楽 原田敬子
■出演 岡田茉莉子/田中好子/一色紗英/山本未夾/北村有起哉/西岡徳馬/室田日出男
■第55回カンヌ国際映画祭特別招待作品
東京― 24年前、生まれたばかりの赤ん坊を残して、失踪した娘を探し続ける年老いた女性、愛。ある日、ついに娘によく似た女性、正子が現れるのだが、彼女は記憶を喪失していた。祖母を母と呼ぶ孫娘の夏来は、いま現れたその人を、母と認めようとはしない。断ち切られた糸を、結び合わせようとする三人の女たち。やがて甦ってくる遠い想い出。その街の名は、広島― 奪い去られたアイデンティティを求め、心のきずなを取りもどそうとする、女たちの旅が始まる。
1960年、松竹ヌーヴェル・ヴァーグの旗手として脚光を浴びて以来、『秋津温泉』『エロス+虐殺』『戒厳令』などの作品により、日本の映画、そして世界の映画に、衝撃と波紋を与えつづけてきた吉田喜重監督。88年の『嵐が丘』以来、14年の長い沈黙ののちに完成したのが本作である。
主人公の愛には、監督の公私に渡るパートナーである岡田茉莉子。その静と動のせめぎあう演技に魅了される。孫娘の夏来には、みずみずしい眼の演技が光る一色紗英。そして、記憶を喪失している正子を演じるのは田中好子。「見せる」演技ではなく、「見られる」演技のできる価値ある女優として監督に期待され、それを見事に果たしている。こうした世代の異なる三人の女優によって誕生した、新たなる女性映画。一度は死の街と化した広島を甦らせた、女性たちの命をかぎりなく慈しむ心を、吉田監督はあざやかに描き出した。
「21世紀は、癒しという言葉に代表されるように「心の時代」です。それは同時に女性が持っている感性やセンスが必要とされる時代でもあります。そのためには、人が豊かになれる環境を目指して、個々が自分自身に注意深く生き抜いてゆかねばいけません。日本人が慣れてしまった平和をもう一度見直して、女性がもっと活躍してゆく時代であってほしい。完成した『鏡の女たち』を観た時、強くそう感じました。」
――田中好子
黒い雨
(1989年 日本 123分 ビスタ/MONO)
2011年8月27日から9月2日まで上映
■監督・脚本 今村昌平
■撮影 川又昂
■音楽 武満徹
■出演 田中好子/北村和夫/市原悦子/沢たまき/三木のりへい/小沢昭一/大滝秀治
■第42回カンヌ国際映画祭パルムドールノミネート /第13回日本アカデミー賞最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀主演女優賞・最優秀助演女優賞・最優秀音楽賞・最優秀撮影賞・最優秀脚本賞 ほか多数
★プリントの経年劣化のため、本編上映中お見苦しい箇所、お聞き苦しい箇所がございます。ご了承の上、ご鑑賞いただきますようお願いいたします。
昭和20年8月6日ヒロシマ。郊外の疎開先で強烈な閃光を見た高丸矢須子は、叔父・閑間重松のもとへ瀬戸内海の海上を急いでいた。真夏の太陽をさえぎる厚い暗雲、にわかに降り始めた大粒の雨が白いブラウスに点々と黒いシミを残していく。いぶかしげに空を見上げる矢須子、二十歳の夏だった。
5年後、矢須子は叔父夫婦と共に、重松の生まれ故郷である広島県福山市小畠村でつつましく暮らしていた。原爆症で苦しむ重松の悩みは自分の体調ではなく、矢須子の縁組であった。美しく気立てのいい娘になった矢須子に、見合いの口は絶えずあったが、最後は決まって“ピカに遭うた娘”という噂がどこからか伝わって断られるのだった。たび重なる破談に、自分が広島の街を連れて歩いたことへの重松の自責の念はいつしか怒りに変わった。重松は、矢須子が直接ピカを浴びていないことを必死に証明しようとする。あの日、広島を歩かなければ…。
『にっぽん昆虫記』『復讐するは我にあり』と常に問題作を世に問うてきた今村昌平監督。彼が一貫して主張しつづける、“映画とは人間そのものを描くことにほかならない”という自身の映像理念の集大成として挑んだ本作は、83年カンヌ映画祭でグランプリを受賞した『楢山節考』等で見せた力感溢れるリアリズムに、ヒューマンなリリシズムを加えた、新たな“昭和を描いた映画”である。主演は田中好子。女優生活8年を着実に歩んできた彼女が、壮絶な女の半生を、井伏文学の基調でもある“平常心”を決して失わず、内に感情を秘めつつ演じ切った。
従来の戦争をテーマにした作品の多くが持つ、凄惨さ、悲愴さばかりの趣と異なり、庶民の目を通し、そして彼ら自身の生活から醸し出されるユーモアと哀歓を交えた『黒い雨』は、決して風化させてはならないヒロシマを正面から見据えて生きることの意味を問いかけてくる。