この歌を聴く度、私はどうしても胸が締め付けられる気分になる。だって、この曲で彼らが歌っている“願い”は、日本にいる私たちにとっては当たり前のことだから。年も近く、好きな音楽や映画もきっと私とあまり変わらないのに、その好きなものを堂々と宣言しただけで、彼らの“願い”はあっという間に奪われる。この歌にはきっと、なんの誇張もフィクションもない。ただイランの現状をそのまま表しているだけだ。
去年の夏、『ペルシャ猫を誰も知らない』のプロモーションのために、バフマン・ゴバディ監督は日本を訪れる予定だった。けれどイラン政府からパスポートの更新を拒まれ、とうとう来日は中止となってしまった。実はその前の年にも、ビザの更新が間に合わないという理由で、ゴバディ監督は日本の映画祭に来ることを阻まれている。この『ペルシャ猫〜』を撮り終えて、イラン国内に居られなくなった彼は、母国で“逃亡者”、もっというと“犯罪者”扱いされているわけだ。私はこのニュースを知り、イランという国が置かれている現実に驚きを隠せなかった。
イランとイラク。同じアジアという括りにされているけれど、日本にいると近い存在とはあまり思えない国。
“戦争” “テロ” “核兵器”
浮かんでくる言葉といえば、こんなことばかり。そんな近いようで遥か遠い国で起きている日常を、のほほんと暮らしている私たち日本人は普段、ほとんど知ることが無い。テレビのニュースじゃ見ることができないイランやイラクの“今の姿”を、ゴバディ監督の映画は見せてくれる。外側からではなく内側からの眼で、そして時にはユーモアあふれる笑いにすら代えて。
7年間にも及ぶドロ沼化したあの戦争の一番の被害者は誰だったか。イラク政権でもなければアメリカ兵でもない。そんなこと誰だってわかってる。だけど、今もう一度心に刻み付けなければいけない。連日テレビで流される中東のデモ。堰を切ったようにあふれ出た市民たちの怒り、そして望みはなんなのか。今週の二本立てを観れば、きっとその答えはわかるはずだ。 (パズー)
亀も空を飛ぶ
TURTLES CAN FLY
(2004年 イラク 97分 ビスタ/SRD)
2011年3月5日から3月11日まで上映
■監督・製作・脚本 バフマン・ゴバディ
■撮影 シャーリヤル・アサディ
■音楽 ホセイン・アリザデー
■出演 ソラン・エブラヒム/ヒラシュ・ファシル・ラーマン/アワズ・ラティフ
■2004年サンセバスチャン国際映画祭グランプリ/2005年ベルリン国際映画祭平和映画賞/2005年ロッテルダム国際映画祭観客賞
2003年春、イラク北部クルディスタン地方の小さな村。イラン・イラク戦争、湾岸戦争などで荒廃したこの地方に、再び新たな戦争が始まろうとしている。大人たちはアメリカ軍の動きを知ろうと、衛星放送を受信するためのパラボラ・アンテナを、利発な孤児の少年サテライトに買いに行かせる。彼は便利屋として大人たちに重宝されているだけでなく、地雷を掘り出して国連機関に買ってもらうという子どもたちの仕事の元締めもしており、みなから慕われている。
サテライトは村のモスクにアンテナを設置し、衛星放送を受信することに成功するが、肝心のニュースは英語放送で誰も理解できない。開戦の情報はどうやったら得ることができるのか…。ある日サテライトは、ハラブジャから来たという、赤ん坊を連れた難民の少女・アグリンに恋をする。かたくなに心を閉ざす彼女には、両腕の無い兄・ヘンゴウがいた。米軍の侵攻が刻々と迫る中、サテライトはヘンゴウが予知能力を持っていることに気付く…。
戦争で荒廃した大地にたくましく生きる子どもたちと、彼らが経験する出来事を、リアリズムと幻想を混在させた力強いタッチで描いた、バフマン・ゴバディ監督。2003年3月に始まったアメリカ軍のイラク侵攻を背景に、ニュース映像では知ることの出来ないイラクの悲痛な現状を映し出しながら、ユーモアを忘れない温かいまなざしで、見る者を魅了していく。
デビュー作『酔っぱらった馬の時間』に続き、再び子どもたちの世界を描くことに回帰したゴバディ監督。前作の『わが故郷の歌』を上映するために訪れていたイラクで見た戦争の惨状や、子どもたちの状況が、この映画の製作を決意させたという。撮影はすべてイラクのクルディスタン地方で行われ、出演した子どもはみな、オーディションで選ばれた普通の子どもたちである。また米兵やアメリカ陸軍の軍用ヘリもすべて本物であり、圧倒的な臨場感で侵攻の様子が描かれている。この“リアルタイムの叙事詩”は公開されるやいなや世界各国の映画祭で絶賛され、28もの賞に輝いた。
ペルシャ猫を誰も知らない
NO ONE KNOWS ABOUT PERSIAN CATS
(2009年 イラン 106分 シネスコ/SR)
2011年3月5日から3月11日まで上映
■監督・脚本 バフマン・ゴバディ
■撮影 トゥラジ・アスラニー
■出演 ネガル・シャガギ/アシュカン・クーシャンネジャード/ハメッド・ベーダード
■2009年カンヌ国際映画祭<ある視点>部門特別賞/2009年東京フィルメックス審査員特別賞
ネガルとアシュカンはともにミュージシャン。インディ・ロックを愛する彼らは、自由な音楽活動ができないテヘランを離れてロンドンで公演することを夢見ている。そのために2人は危険をかえりみず、偽装パスポートを取得しようとする。そして2人は音楽のためなら何でもござれの便利屋ナデルに協力を頼んだ。
2人が無許可で作ったCDを聴いて彼らの才能に驚き、CD制作の許可とコンサートの許可もとりつけると言うナデル。そのために、まずバンドのメンバー探しを始めた彼らは、牛小屋で練習をしているヘヴィメタル・バンド、海外に行ったことのあるフュージョンバンド、イラン最高のラッパーなど多岐に渡るミュージシャンの元を訪れる。そこには、テヘランのリアルな音楽シーンと人々の情熱があった。
これまでの長編作品全て、故郷のクルド地方を描いてきたバフマン・ゴバディ監督が、初めて大都会テヘランで撮影した最新作。西洋文化の規制厳しい中、当局の目を逃れながら、密かに音楽活動を続ける若者たちの姿を描いた青春群像劇である。ゴバディ監督は当局に無許可でゲリラ撮影を敢行。観客をまず驚かせるのは、“厳格なイスラム国家のイラン”というイメージを覆す、ロックやリズム&ブルースなどアンダーグラウンド音楽の豊かさである。
出演者のほとんどは実在のミュージシャンたち。主役の2人、アシュカンとネガルは撮影が終了したわずか4時間後にイランを離れ、今はロンドンで活動している。つまりこれは、彼らの実際の経験に基づいた物語でもある。テヘランの市井の人々の逞しきユーモアと、若者たちの音楽への情熱…自由への溢れんばかりの痛切な想いを、ゴバディ監督は映画に込めた。そして本作を最後に、監督自身もイランを離れた。