今回の二本立て作品は『十三人の刺客』と『武士の家計簿』。
時代を変えるべく、志と武士道精神を高く持ち、悪と戦った“刺客”達。
大切なものを守るため、そろばん片手に“家計簿”と家族の絆で生き抜いた武士の家族。
日本映画界の財産である時代劇を、新しい切り口で現代に蘇らせた時代劇ニューウェーブ!
今では日本を代表する監督<三池崇史×森田芳光>の夢の時代劇タッグ上映です。
十三人の刺客
(2010年 日本 141分 シネスコ/SRD)
2011年5月21日から5月27日まで上映
■監督 三池崇史
■エグゼグティブ・プロデューサー 中沢敏明/ジェレミー・トーマス
■脚本 天願大介
■撮影 北信康
■音楽 遠藤浩二
■出演 役所広司/山田孝之/伊勢谷友介/沢村一樹/古田新太/伊原剛志/松方弘樹/松本幸四郎/稲垣吾郎/市村正親
■第67回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門正式出品/第34回日本アカデミー賞・最優秀撮影賞、最優秀照明賞、最優秀美術賞、最優秀録音賞
■あらすじ
戦わなければ、変わらない。選ばれし13人の男たちよ、幕末最大の密命<ミッション>を遂行せよ!
江戸時代末期。明石藩江戸家老・間宮が、老中土井家の門前で切腹自害した。間宮の死は、生来の残虐な性質で罪なき民衆に不条理な殺戮を繰り返す、明石藩主・松平斉韶の暴君ぶりを訴えるものだった。この事件を受け、幕府は斉韶暗殺を決断、御目付役・島田新左衛門にその命を下した。
大事決行を控え、新左衛門は総勢13人の刺客を集めた。帰国途中の明石藩一行を待ち構える新左衛門たちだったが、待てども待てどもやって来ない。計画は失敗に終わったかに見えたその時、敵は300人を超える多勢となってやってきた。混乱の中、13人対300人の壮絶な戦いの火蓋が切って落とされる…!
前作『十三人の刺客』(1963)の工藤栄一監督のサード助監督を務めたことのある三池監督は、工藤監督の墓に生前大好きであったショートホープを開け供えて、お参りをした。
「今の映画作りは構造的に10代や20代の女性に媚びなくてはいけない部分がある。でも題材が『十三人の刺客』では、女性客に媚びるのは無理ですから。この時代の映画として、ドメスティックに求められている事から解放されている感じがしたんです。もっと映画はいろんななものがあってもいいんだと。それが『十三人の刺客』のせいにして、やれると思ったんです」(三池崇史/キネマ旬報9月下旬号より)
三池監督は、今回の脚本をかつての師匠である今村昌平の息子である天願大介に依頼した。その天願大介は侍という存在をどう思うか?の問いに次のように答えている。
「好きか嫌いかと問われれば、あまり好きじゃないですね。侍は人口的に見ればごく一部でしかないのに何か威勢を張って、その彼らが歴史を作ってきた。しかし実際にはこの幕末期にも、見えないところでいろんな人たちが生きてきたわけで、それを武士道みたいなものに生き方のスタイルを押し込めて、イメージの中で生きようとするのはどうなんだろうと。シンパシーを感じるかは微妙ですね」(天願大介/キネマ旬報9月下旬号より)
今私たちが暮らしている社会とは異なる社会・時代の侍の世界。今では内面や考え方も大きく変わっている。三池監督と天願大介は、共感しやすいテーマや物語ばかりの映画が多いなか、侍の世界を無理やりに私たちに合うものに変えるのではなく、むしろ異物としてぶつける。
集団抗争時代劇というジャンルの先駆けとされている前作が、「侍とは何か?」を内面から見せる作品なのに対し、今作は<侍=人殺し>の形を崩さずにあえて暴力的でいて、実直な侍たちの本当の像を見せることで、「侍とは何か?」を外側から観客に感じさせる新しい切り口になっている。そして時代劇とは何か、日本人とは何かがあなたの心に見えてくるだろう。
武士の家計簿
(2010年 日本 129分 ビスタ/SRD)
2011年5月21日から5月27日まで上映
■監督 森田芳光
■撮影 沖村志宏
■音楽 大島ミチル
■原作 磯田道史『武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新』(新潮新書刊)
■出演 堺雅人/仲間由紀恵/松坂慶子/西村雅彦/草笛光子/中村雅俊
■あらすじ
激動の時代を知恵と愛で生き抜いた家族の物語が、
168年前の家計簿から今、よみがえる。
江戸時代後半。御算用者(会計処理の専門家)として、代々加賀藩の財政に携わってきた猪山家。八代目の直之は、生来の天才的な数学感覚もありめきめきと頭角をあらわす。やがて結婚し、子供にも恵まれ、昇進までした直之だったが、出世するにつれ出費も増える、という武家社会特有の構造から、猪山家の家計は窮地に立たされる。直之は、 家財道具を処分し借金の返済にあてることを決断、“家計立て直し計画”を宣言するのだった――。実際に古本屋で発見された武士の家計簿を読み解いた原作を『家族ゲーム』の森田芳光監督で映画化。
城に隣接する建物の大広間にきちんと整列され並べられた机には紙、筆、墨そして、そろばん。墨の落ち着く香りが漂う中、ビシッと着物を着てまげ姿の侍が黙々とそろばんの音を立て、仕事をしている。その神聖な空間と時間を日本人は美しいと考えるんだと思う。
作品では、武士である猪山直之(堺雅人)が生まれながらの数学的センスを生かし、御算用者(ごさんようもの:会計処理の専門家)をしている。ある日、家計が窮地にあることに気付く直之は、刀のかわりにそろばんを持ち、“家計建て直し計画”を宣言。家財を売り払い質素倹約生活を家族で始めることとなる。この時代で直之の決断は、体面を重んじる武士の世では大変な事であっただろう。見栄や世間体を捨てても直之が守りたかったものとは…?そこに生きる家族の姿には、この映画が語る大切なことが潜んでいる。
「今回は苦しい時ほど明るく、楽しくという気持ちで表現できるような登場人物にしたかったですね。 家財道具をみんな売ってしまうと、家族が一つの部屋に集まりますよね。実は非常にみじめな現実ですけど、よく考えてみたら、みんなで一緒の部屋にいたら楽しいということもありますよね。そういうのは僕らの経験でもあるでしょう。台風の時にせまいひとつの部屋にみんなで集まってお話したりする。それが結構おもしろかったのと同じように、画として提出出来ると思ったんですね」(森田芳光監督/キネマ旬報12月上旬号より)
面白いことに彼らの姿を観ていると「困窮生活も考え方によっては楽しいではないか?」と思えてくる。森田監督は「一番大事なのは日本人のDNAがこの映画にはあることです」と語る。
危機や困難を共有し、明るく前向きに家族同士が支えあうことで深まる家族の絆と愛、日本人の暮らし方、正直な気持ち、勇気、日本人の誇り。今は薄れかけてしまった、しかし向かい風に吹かれる今だからこそ必要な「日本人の心」に出会える作品ではないだろうか。
(まつげ)