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「名前はエレニです。看守さん、私は難民です。
いつどこへ行っても難民です」
―『エレニの旅』より

まるで一幅の絵を眺めているような感覚を覚える長回し。
大胆な360°パン。硬質な、淡いブルーの映像。
妥協を一切排した、そのあまりに美しいフォルム。
早稲田松竹にお越しくださっている皆さまにはすっかりお馴染みでしょうか。
今週の早稲田松竹はギリシャの巨匠、テオ・アンゲロプロス監督特集。

今回お届けするのは20世紀を題材とした三部作の一作目『エレニの旅』と、
<歴史の沈黙の四部作>の中核をなす『蜂の旅人』の2本。
どちらもアンゲロプロス監督の重要な要素が詰まった作品です。

「家に辿り着くためにあといくつ国境を越えなければならないのだろうか?」

アンゲロプロス監督の永遠の命題。“家”を探すための旅。
監督にとって“家”とは何を意味するのだろう。

「私が“家”と言った場合、それは“自分が均衡のとれた状態”のことを意味している。
つまり自分自身が母の胎内にいるような安心を感じられる場所。
外の世界に対して均衡がとれている居場所にいるという感情のことで、けっして建物を指しはしないんだ」

『エレニの旅』のエレニは幼くして両親と故郷を失った“孤児”であり“難民”。
故郷、家、愛するものを奪われたヒロイン。彼女の旅路は苦難の連続だ。
けれど彼女は涙に暮れながらも愛することをやめない。
なぜなら愛することが“家”への道標であることを知っているから。

『蜂の旅人』の初老の男スピロは、村民から信頼され、
家族に囲まれ、幸福に包まれて暮らしているはずなのに、その表情は喪失感に満ちている。
彼もまた“家”を捜し求めて旅立つ。ミツバチと少女に導かれて。

彼らの旅路には理屈を超えた“生”の厳しさが降りかかる。
心、身体、政治、地理…。様々なレヴェルの断層/断絶となって立ちふさがる“国境”。
“家”を探していてもその所在は霧に包まれたように曖昧模糊としている。

「人間は“家”が見つからないからこそ、何らかの行動を起こすんだ」

監督のこの言葉に絶望するのか、はたまた希望を持つのかはあなた次第。
次々と襲いくる苦難にエレニが流す涙。
“過去の旅人”として眼前の虚無を旅するスピロ。
その意味の不在に抗う姿から詩情がこぼれ落ちる事も、また事実。
スクリーンにはただ純然と、広大な地平と無数の国境が広がっている。
(ミスター)

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エレニの旅
TRILOGIA I: TO LIVADI POU DAKRYZEI
(2004年 ギリシャ/フランス/イタリア/ドイツ 170分 ビスタ/SR) 2011年4月9日から4月15日まで上映 ■監督・製作・脚本 テオ・アンゲロプロス
■撮影 アンドレアス・シナノス
■音楽 エレニ・カラインドロウ

■出演  アレクサンドラ・アイディニ/ニコス・プルサディニス/ヴァシリス・コロヴォス/ヨルゴス・アルメニス/エヴァ・コタマニドゥ

■オフィシャルサイト http://www.bowjapan.com/eleni/

★本編はカラーです。

「いつかふたりで、河のはじまりを探しに行こう」
地に降る涙のように…美しい旅への出発。

1919年頃、ギリシャのテサロニキ湾岸の荒れた草野に、東をめざして歩きつづけている人々がいる。ロシアのオデッサから革命の勃発で命からがら逃げてきた逆難民のギリシャ人たちだ。頑強な40才がらみの男スピロスが、一行の長だ。病弱な妻ダナエ、5才の息子アレクシス、そして、アレクシスの手を求めて放さない幼い少女がいる。名前はエレニ。オデッサで両親を失なった孤児だった。

およそ10年後。スピロスたちが築いた<ニューオデッサ>の村には、家々が建ち並び、学校もあれば教会もある。そこでスピロス一家の養女として育ったエレニは、密かにアレクシスの子供を身ごもり、出産。そうとは知らないスピロスは成長したエレニを娶ろうと結婚式を強行したが、エレニは花嫁姿のまま逃げ出して、アレクシスと村を後にする。

母へのオマージュ、激動の歴史に
涙だけで戦ったやさしさの肖像

構想に2年、撮影に2年をかけ、ついに堂々たる新たな傑作が誕生した。ヒロインの名はエレニ。難民として、ギリシャ現代史をひたすらな愛で旅していくエレニには、ギリシャそのものの姿が投影されている。同時に、ここで描かれる愛と悲しみ、歴史の激動は、アンゲロプロスの母が実際に生きたもの。「エレニの旅」は20世紀の始めに生まれ終わりに死んだ母へのオマージュであるという。

長さが特徴として語られるアンゲロプロス映画だが、一秒一秒の映像美の持続が心に響く人にとっては、長いどころか短いとさえいえる映像美。そうした美をさらに追求するために、「エレニの旅」は、映画本来の手作り姿勢に徹することから始まった。難民たちが生活する大きな村落が二つ。これを実際につくりあげ、それぞれ百軒以上の家々にスタッフや俳優たちが住んで暮らしたうえで撮影にかかった。しかも、村のひとつ<ニューオデッサ>は、自然のなかにのどかな姿をあらわす前半から、大洪水で水没し、後半では水中になかば没した姿で主役のように美しいのが驚異的だ。CG技術を排除し、ひたすらアナログに徹して、映画本来の美しさを実現する、そうした冒険と確信がこの映画全体にがっしりと根をはっている。


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蜂の旅人
O MELISSOKOMOS
(1986年 ギリシャ/フランス/イタリア 122分 SD/モノラル) 2011年4月9日から4月15日まで上映 ■監督・脚本 テオ・アンゲロプロス
■撮影 ジョルゴス・アルヴァニティス
■音楽 エレニ・カラインドロウ

■出演 マルチェロ・マストロヤンニ/ナディア・ムルージ/セルジュ・レジアニ

★本編はカラーです。
★プリントの経年劣化のため、本編上映中お見苦しい箇所がございます。ご了承の上、ご鑑賞くださいますようお願いいたします。

花を追い、春のギリシャを南へ――
蜂飼い人の最後の旅に、ミツバチのような少女が現れた。

春の到来を告げる雨が降る北ギリシャ、フロリナの村。小学校教師のスピロは村人から信頼と尊敬を集めていたが、なんの理由も告げずに突然辞職してしまう。スピロは人生が無意味になったと感じ、家族と別れて旅に出るつもりだった。代々の養蜂家で、春が来ればミツバチとともに花を求めて南に旅に出る。しかし今年は最後の旅になるだろう――。

食堂で仲間と落ち合い、幸運を祈りあってそれぞれの花の道に出発する。スピロの車には、少女が隠れるようにして乗っている。食堂でオートバイの青年に捨てられた少女だ。自分の娘よりも若い少女に次の停まり場までだぞと釘をさすスピロだったが、次の車が見つからないのを見かねてサンドイッチを食べさせる。少女はジュークボックスから流れるロックにあわせて踊った。「わたしはまっしぐらに進む/自分のやり方で」。現れては飛んでいく小鳥だとわかりながら、スピロは少女に惹かれていくのだった。

名優マストロヤンニ、圧巻の名演!

ミツバチとともに春の花を追う養蜂家スピロ役に、マルチェロ・マストロヤンニ。まるで彼をモデルにした映画といってもよいほどのはまり役で、このヨーロッパ最大の名優の代表作のひとつと言えるだろう。脚本を読まないことで有名なマストロヤンニだが、その代わり監督の話を徹底して聞き、ギリシャ語のセリフも耳で聞いてこなしている。そして、これが映画初出演とは思えない演技で少女を演じるのが当時17歳のナディア・ムルージ。妻役はベテランのジェニー・ルセア。そしてフランス映画の大物、セルジュ・レジアニが昔の仲間役で特別出演している。



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