今週紹介する2つの物語から
浮かびあがる共通のテーマは、ずばり「愛」。
「愛」なんて、言葉にすることに少し抵抗はありますが…。
それでもやはり哀しくも激しい愛なのです。
舞台は、世界中の国家や人々の意識・考え方が目まぐるしく変動した20世紀前半。
私たちはその時代を、“今”へと確かに繋がっている「歴史」として、知る機会はこれまで幾度とあった。
自分の家族の記憶として、学校の授業として、テレビや映画の映像資料や作品として。
でも私たちは知らなかった。
大きな大きな歴史の表層からは見えてこない、一個人たちの信念を貫こうとした生き様を。
動乱のイタリアで、平凡な女性イーダが愛したのは偶然かまた運命だったのか、
歴史上における問題人物の一人、ベニート・ムッソリーニだった。
しかし、彼の多くの愛人と同様に彼女もまた、子を生しながらも捨てられる。
これではまるで使い古されたメロドラマのようだが、彼女はそれとは違った。
いわばそこから彼女の愛の闘争が始まる。
ただ一点の「愛」の事実を、独裁者ムッソリーニへ、またイタリア国民に向けて訴え続ける彼女の姿は、
愚かでありながら、ファシズムの弾圧下で消えていく名もなき孤独のヒロインとなった。
そんな彼女が取り憑いたかのように演じる、ジョヴァンナ・メッゾジョルノの
気迫と強烈な眼差しがイーダの人生(=歴史)をより生々しく映しだす。
一方、ロシアから独立したばかりの北欧フィンランドでは、階級闘争が火種となり、内戦が起きていた。
争いも末期に近づき、もう両軍の士気も落ちかけている戦場で男と女は出会った。
同じフィンランド人であって、敵同士の二人。
血なまぐさい戦場をも包み込む美しい早春の大自然の中で、
単なる兵士と捕虜から、少しずつ微妙に関係が変わっていく。
愛を確かめ合ったわけではない。それでも強くなっていく思いと、自らが持つ信念。
その間で揺れ動きながらも、希望を持ってそれぞれの選択をする。
そんな2人を怪しく見つめる裁判所判事の中年男からは、内戦によって
疲弊したフィンランド人の精神風土と戦争の狂気がまざまざと浮かびあがってくる。
「愛」を描きながらも、彼らは互いに愛を分かち合っていたわけではなく、
深く信頼した相手を守ろうとしたわけでもない。
そんな相手を期待し求め、それを死に物狂いで掴もうと手を伸ばし、ただひたすらに闘い続けた。
「愛の勝利を」の原題《VINCERE(勝つ)》は、ファシスト党のスローガンであり、
ムッソリーニの有名な演説からの引用であるが、
2つの物語で闘った彼らの生き様を目にすると、
「誰が本当の勝者なのか」「勝つことの意味とは」と自らに投げかけずにはいられない。
(おまる)
4月の涙
KASKY
(2009年 フィンランド/ドイツ/ギリシャ 113分 シネスコ/SRD)
2011年12月10日から12月16日まで上映
■監督 アク・ロウヒミエス
■脚本 ヤリ・ランタラ
■撮影 ラウノ・ロンカイネン
■作曲 ペッシ・レヴァント
■出演 サムリ・ヴァウラモ/ピヒラ・ヴィータラ/エーロ・アホ
■ベルリン国際映画祭シューティングスター賞受賞(サムリ・ヴァウラモ)/マラケシュ国際映画祭男優賞(エーロ・アホ)/フィンランド・アカデミー賞撮影賞受賞
1918年4月、フィンランド内戦末期、赤衛軍の女兵士のリーダー、ミーナとその仲間たちは白衛軍の兵士たちに捕らえられた。女兵士たちは乱暴され、その後逃亡兵として無残にも射殺される。 ただ一人助かったミーナであったが、白衛軍の准士官アーロに発見され、再び捕えられてしまう。しかし、アーロは他の兵士達とは違い彼女を殺そうとはせず、公平な裁判にかけようと、手腕が評判のエーミル判事のいる裁判所へと連れていく。
だがその途中、二人が乗った船はミーナの抵抗により、不毛の孤島に遭難してしまった。孤島で衰弱するミーナを看病するアーロ。そんなアーロと一緒の時間を過ごすうちにミーナは心を開くようになり、2人の関係にある変化が生じはじめる。しかしそれは、決して許されることのない想いだった…。
ロシア革命と第一次世界大戦の影響下に、ロシアから独立したばかりのフィンランドで同じ国民同士が戦ったフィンランド内線。戦争という極限状況下で出会い、最後まで自分の信念を捨てなかった女と、ただ一人清い心を持ち続けた男。許されない愛だと知りながらも惹かれあい、自分の気持ちに正直であろうとする二人のそれぞれの選択は、感情や理屈では計り知れない、人間の強さやもどかしさ、そして“本質”について私たちに深く問いかける。
主人公を演じるのは2009年のベルリン映画祭でシューティングスター賞(ヨーロッパ映画界に登場した新人俳優をいち早く取り上げて紹介する賞)を受賞した、フィンランドの若手サムリ・ヴァウラモ。赤衛軍女性兵リーダーのミーナを、2010年に同賞を受賞したピヒラ・ヴィータラが熱演した。監督は、デビュー作から立て続けに大ヒットを飛ばし続けている、フィンランド映画界を代表するアク・ロウヒミエス。内戦というあまりにも哀しい残酷な史実に基づき、敵同士で出会ってしまった男女の運命を描いた衝撃の恋愛ドラマを生み出した。
愛の勝利を ムッソリーニを愛した女
VINCERE
(2009年 イタリア/フランス 128分 ビスタ/SRD)
2011年12月10日から12月16日まで上映
■監督・脚本 マルコ・ベロッキオ
■撮影 ダニエーレ・チプリ
■音楽 カルロ・クリヴェッリ
■出演 ジョヴァンナ・メッゾジョルノ/フィリッポ・ティーミ/ファウスト・ルッソ・アレシ/ミケーラ・チェスコン/ピエール・ジョルジョ・ベロッキオ
■2011年全米批評家協会賞主演女優賞/2009年カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品/2010年ダヴィド・ディ・ドナテッロ(伊アカデミー)賞監督賞・撮影賞・編集賞ほか最多8部門受賞/2009年シカゴ国際映画祭監督賞・主演女優賞・主演男優賞・撮影賞
1907年イタリア、トレント。ある若い社会主義者の男が、官憲から追われていた。男は通りすがりの女に助けを求めた。傷を負っていた男を抱擁するように匿い、唇をゆだねる女。官憲たちがその傍らを走りすぎるなか、女は男と恋に落ちた。男の名はムッソリーニ。のちにファシスト党の最高権力者となる。女はイーダといった。
祖国イタリアを救うため、自らの信念を貫こうとするムッソリーニに、イーダはすべての財産を投げ売って与え、その人生を託した。それを資金にファシスト党を組織し、ムッソリーニは輝かしいイタリアの未来を切り開くべく奔走する。そんな中、イーダはムッソリーニの子を宿すが、実は彼にはすでに妻子がいたのだった…。狂おしく燃えるような愛の中でイーダは、愛の存在証明をかけ、たったひとりの闘いを開始した。愛の勝利を手にするために――。
20世紀前半の欧州に、ヒトラーと並ぶ独裁者として君臨したベニート・ムッソリーニ。社会主義者であった若き日のムッソリーニと運命的に出会い、やがてイタリアの最高権力者となる彼を支え続けた女性がいた。しかし、その存在は近年までほとんど知られていなかった。なぜなら彼女イーダは、歴史上から抹殺されていたのだ。それも、彼女が全身全霊をかけて愛し続けたムッソリーニ本人の手によって…。
ファシズムが世界を覆ってゆく中、小さな個人の存在がいかほどの意味をもつのか。ひとりの女性の愛の強さの中に、その答えを探しだしたのは、現代イタリア最大の映画作家であるマルコ・ベロッキオ監督。巨匠ベルトリッチをしのぐ饒舌で圧倒的な映像で、イーダという女性の強さや美しさ、当時のイタリアの状況をも示唆し、愛の真実を浮き彫りにした。そしてイ―ダを演じたジョヴァンナ・メッゾジョルノの鬼気迫る演技、ムッソリーニに扮したフィリッポ・ティーミの確かな存在感が、作品に魂を吹き込んでいる。イタリア近現代史のなかに封じ込められていた愛の歴史=物語(ストーリア)が、ここに刻まれる――。