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ジョニー・トー

1955年香港生まれ。72年にラジオ局に入り、74年にテレビ局TVBに入社。

96年に製作会社「銀河映像/Milky way Image」をワイ・カーファイと共に設立。独自の作風を全面に打ち出すようになり、レオン・ライ、そして盟友ラウ・チンワンを主演に迎えた『ヒーロー・ネバー・ダイ』といった傑作を続々と輩出するようになる。一方、大スターを起用せず、男の静かな友情を描いた金字塔とも言うべき傑作『ザ・ミッション/非情の掟』を発表し、香港金像奨監督賞を獲得。

満を持して発表された『エレクション』の完成度の高さから、カンヌ映画祭パルムドール候補に選ばれ、ジョン・ウー監督に続く香港、アジアを代表する巨匠として世界的に評価された。直後に公開された『エグザイル/絆』の世界的大成功、ハリウッドでのリメイク決定などを受けてその名声と人気を不動のものとした。最も国際的に注目されているアジア人作家の一人として、08年のヴェネチア映画祭では審査員を務め、09年にはフランスから芸術文化勲章を授与された。

フィルモグラフィ

・僕たちは天使じゃない('88/監督)
・城市特警('88/監督)
・過ぎゆく時の中で('89/監督)
・天若有情(てんにゃくうじょう)('90/製作)
・チョウ・ユンファ/ゴールデン・ガイ('90/監督)
・裸足のクンフー・ファイター('93/監督)
・マッドモンク/魔界ドラゴンファイター('93/監督)
・風よさらば('93/製作)
・戦火の絆('96/製作)
・パラダイス!('97/製作)
・ヒーロー・ネバー・ダイ('98/監督・脚本)
・ザ・ミッション 非情の掟('99/監督・製作)
・暗戦 デッドエンド('99/監督)
・Needing You('00/監督)
・フルタイム・キラー('01/監督・製作)
・ターンレフト ターンライト('02/監督・製作総指揮)
・PTU('03/監督・製作総指揮)
・マッスルモンク('03/監督)
・柔道龍虎房('04/監督・製作)
・ブレイキング・ニュース('04/監督)
・イエスタデイ、ワンスモア('04/監督)
エレクション('05/監督・製作)
・エグザイル/絆('06/監督・製作)
・私の胸の思い出('06/製作)
・天使の眼、野獣の街('07/製作)
・僕は君のために蝶になる('07/監督・製作)
冷たい雨に撃て、約束の銃弾を('09/監督)

*日本公開作品のみ

特報!!ジョニー・トー監督特集!!

香港の気鋭:ジョニー・トー。ポスト=ジョン・ウーとの呼び声も高く、その評価は海外でも一作ごとに高まり続ける一方。フォルム(形)の臨界点に挑む彼のその作品は、もはや空っぽなんじゃないか?とまで言ってしまいたくなるほど目に楽しい。ただし、観ているうちに考えることなんて忘れて興奮だけが残る快感は中毒性があるのでご注意下さい!

今週の早稲田松竹での上映作品は香港ノワール3部作の最終章にして最新作『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』とマフィアの会長を決める選挙を描いた『エレクション』の二本立て。香港返還後の変わりゆく街の影を写し撮っていくジョニー・トーの映画、スクリーンの中のリトル・香港。香港ノワールの最前線が、今ここに。

香港ノワール3部作?

香港の闇社会を生き抜く者たちを描いた香港ノワール。例えば「インファナル・アフェア」などの作品が皆さまの記憶に新しいのではないかと思います。しかしいわゆるヤクザ映画のように義理・人情・血みどろ合戦とは違って、なかなかクールにできているのがジョニー・トー映画の特色。黒澤明監督や北野武監督を敬愛しているとあってか、戦術(タクティクス)と立ち姿がスマートに俯瞰できるようにつくられていて、ふとしたアクションシーンの”間”にぞくぞくするような静けさと興奮が侵入してくる。その(研究に研究を重ねたであろう)緻密な銃撃戦は、殺し屋たちの腕の確かさを必然的なものにしながら観客の驚きへと変わっていくのです。

ジョニー・トー監督自身が香港ノワール3部作と位置づける『ザ・ミッション 非情の掟』『エグザイル〜絆〜』そして『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』。話の始まりは、命を狙われた闇社会のボスを守るために寄せ集められた個性溢れる殺し屋たち。自分の知恵と腕で冷酷な闇社会を生き抜いてきた彼らだったが、闇に生きるものの掟とも言える非情さの中、不貞を働いた仲間を殺せとボスに命令される。命令に背いたら殺される。しかし、仲間を見捨てることは、果たして自分たちが生き抜くことと言えるのだろうか?この『ザ・ミッション 非情の掟』を皮切りに、三部作を通して変奏される主題=男たちの宿命は戦うことではなく、”生きる(消えない)”ために何かを”守る”こと=。これは、代わりならいくらでもいると言わんばかりに溢れる人波に揉まれ、守るべきものが激しく入れかわる現代に生きるジョニー・トー流の、あの『七人の侍』ラストシーン―あまりにも逞しい百姓たちの生命力に敗北を呟きながら姿を消していった侍たちへのラブコールだと言ったら少し言い過ぎだろうか?


エレクション

エレクション
(2005年 香港 101分 R-15 シネスコ/SRD)
2010年10月16日から10月22日まで上映
■監督・製作 ジョニー・トー
■脚本 ヤウ・ナイホイ/イップ・ティンシン
■撮影 チェン・チュウキョン/トー・フンモ
■音楽 ルオ・ダー

■出演 サイモン・ヤム/レオン・カーファイ/ルイス・クー/ニック・チョン/チョン・シウファイ/ラム・シュー/ラム・カートン

■オフィシャルサイト http://eiga.com/official/election/

力ではなく選挙に勝たなければ、No.1にはなれない。

3世紀の歴史をもつ香港最大のマフィア組織で、二年に一度行われる会長選挙。組織に忠実なリーダーが適任なのか、力で牽引するパワーリーダーが必要なのか。対立する候補者は、“兄弟”思いで年上を敬うロクと、金儲けに長け、荒っぽい手段を使うディー。選挙戦の裏側で、さまざまな欲望と思惑が錯綜し、熾烈な戦いを迎えようとしていた…。

これがマフィアの選挙(エレクション)?

picジョニー・トー監督がもしこの映画を撮っていなかったら、彼の数々の映像話法の発明品もただの玩具扱いされていたかもしれないと思わせてくれるのが『エレクション』だ。マフィア政治の世界にゲーム性を導入したことが、彼の持つスペクタクル性を裏付けする証拠。金と権力、人望と力…そして全てを統括する狡猾さを持ち合わせていないと闇社会のトップにはのし上がれないというこの組織の仕組みは、一筋縄ではいかない。勝ったかと思えば報復によりその栄光も一瞬にして消え去る。その暴力のスパイラルの中で、勝利と栄光とは一体何か?勝利の奥にある沈黙と静寂の時が訪れた時、息をのむことさえ躊躇われる深い闇の奥で観客の見つめているものは恐怖だけではないはずだ。

picカンヌ国際映画祭では、アクション映画、ギャング映画といったジャンルでは括りきれない、深い感情を喚起するドラマとして絶賛され、パルムドールにノミネートされた。またインテリ層に支持されている仏紙ル・モンドでも、「引きのカメラ、クールな色彩、緊迫したリズム感や、ざわめく夜に都会的な雰囲気を漂わせた、達人監督最高の名人芸」と讃えられている本作。そのスピード感あふれる展開とストイックなまでの演出、さらには感情表現もギリギリまで抑制された硬質な描写によって、闇に身をひそめる者たちのひそやかな息づかいを感じさせてくれることだろう。


冷たい雨に撃て、約束の銃弾を

冷たい雨に撃て、約束の銃弾を
(2009年 香港・フランス 108分 R15+ シネスコ/SRD)
2010年10月16日から10月22日まで上映

■監督 ジョニー・トー
■脚本 ワイ・カーファイ
■撮影 チェン・シウキョン/トー・フンモ
■音楽 ロー・ターヨウ/バリー・チュン

■出演 ジョニー・アリディ/シルヴィー・テステュー/アンソニー・ウォン/ラム・カートン/ラム・シュー/サイモン・ヤム

■オフィシャルサイト http://judan-movie.com/

記憶を失くした男に復讐の意味はあるのか

picマカオの高級住宅地で、料理をしながら中国人の夫と2人の子供の帰りを待つフランス人女性のアイリーン。3人が帰宅した瞬間、玄関のドアベルはやがて銃声の音へと変わり、幸せな家庭は血の惨劇の場と化した…。パリから駆けつけたアイリーンの父、コステロは、喉を切開され、全身包帯姿になった娘と対面する。コステロは新聞記事を使い、口がきけない娘から、彼女が発したい言葉を見つけ出す。家族を殺害した犯人は見知らぬ3人、そのうちの1人の耳をアイリーンが銃で打ち抜いたこと。そして、夫と愛児の仇を討ってほしいというものだった。その後、地元警察のウォン刑事から見せられた現場写真を盗み出したコステロは、写真の裏に“復讐(Vengeance)”と書いていった…。

あらかじめ失われた復讐

pic香港返還後、街が日々変わっていくと監督は言う。『スリ-文雀-』(2008、未公開)はそんな香港の街を背景に写しこみながら、観客の無意識にすりこむように撮影された。ジョニー・トー監督は“形”にこだわる。銃撃戦(ガンアクション)を、立ち姿と動きの連携からなる美しいフォルムにまで高める挑戦を基本として、記憶を失くした男の復讐劇もそんな監督のこだわりと無縁ではないだろう。なぜなら、形と記憶とは常に親和性が高いのだ。残された形から追憶を馳せることは可能か?ジョニー・トーはそういうことに人並みならぬ思い入れを持っているように感じる。主人公コステロ(ジョニー・アリディ)の娘たちの殺害現場の痕跡から、殺害されるシーンをイメージする(『マッスルモンク』でも使われた手法)殺し屋たちも同じならば、写真に写った顔で敵と味方を判断するコステロもまた形から記憶ともつかぬ情報を再生(Re:Play)しようとする者だろう。

picしかし交換不可能なほど大きな喪失を相手に仕返そうとする復讐とは、どういった状態で完遂するものなのだろうか?もしかしたら、ただ失くしたものや傷つけられたものの忘却を恐れて、記憶と感情を煽りたてようとしているだけではないのか?しかし記憶を失くした復讐者は忘却を恐れる必要などない。拳銃に刻まれた名前からただ復讐を再生(Re:Play)し続ける。意味などない。止めることなどできるだろうか?復讐とは約束だ。復讐者とは、そういうメカニズムを持つマシンなのだ。そして本人がそのことを知らないだけに、哀しさを伴わないことはない。

(ぽっけ)


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