1928年、ニューヨークに生まれる。少年時代からカメラに興味を持ち、高校卒業後、写真雑誌「ルック」の契約カメラマンとなる。
その後映画監督志望となり、自主製作した短編ドキュメンタリー「Day of the Fight」がニュース映画社に売れたことをきっかけに「ルック」を退社。さらに2本のドキュメンタリー映画を作った後、友人・親戚から資金を集めて長編第一作「Fear and Desire」を監督し、自力で劇場公開。同様にして作った第二作『非情の罠』はユナイトに買われて世界配給された。
その後も作品を作り続け、『2001年宇宙の旅』の完成時はまだ39歳だった。1997年にはアメリカ監督組合からD.W.グリフィス賞を受賞。1999年、『アイズ・ワイド・シャット』の最後の編集が完了した数日後に死亡した。死亡原因は発表されていない。次回作として準備を進めていた『A.I.』はスティーブン・スピルバーグ監督がその遺志を継いで映画化された。
・1964年NY批評家協会賞監督賞受賞(『博士の異常な愛情』)
・1968年アカデミー賞特殊視覚効果賞受賞(『2001年宇宙の旅』)
・1971年NY批評家協会賞監督賞受賞(『時計じかけのオレンジ』)
・1975年英国アカデミー賞監督賞受賞(『バリー・リンドン』)
・1997年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞・特別功労賞受賞
・1999年英国アカデミー賞アカデミー友愛賞
・Day of the Fight(1950)*
・Flying Padre(1951)*
・The Seafarers(1953)*
・Fear and Desire(1953)
・非情の罠(1955)
・現金に体を張れ(1956)
・突撃(1957)
・スパルタカス(1960)
・ロリータ(1962)
・博士の異常な愛情(1963)
・2001年宇宙の旅(1968)
・時計じかけのオレンジ(1971)
・バリー・リンドン(1975)
・シャイニング(1980)
・フルメタル・ジャケット(1987)
・アイズ・ワイド・シャット(1999)
*=短編ドキュメンタリー
今では伝説と化した『2001年宇宙の旅』だが、1968年に公開された当時は不評の声が浴びせられたという。だがすぐに、それは賞賛と驚きの声に変わり、やがてSF界に金字塔を打ち立て、常に「あの」という形容詞をつけられるようになった。
それを生み出した人物こそ、名匠、スタンリー・キューブリックである。
人類が月に降り立つよりも前、CGも無い時代に、人類はキューブリックという天才によって映像を「本当に」体験することができた。その後、「本当に」月に降り立ったアポロ13号の司令船には「オデッセイ」という名前がつき、酸素タンクが爆発した際の地球への第一報は、劇中でコンピューターのHALが発した言葉とほぼ同じだったという。
「ヒューストン、こちらで問題が起こった」
こうしてこの映画は、映画という垣根を超え、未来へ多大なる影響を与えながら今日まで語り継がれてきたのである。生命とは?宇宙とは?地球以外に生命は存在するか?我々の行く末は…?2010年の第一弾を飾るに相応しい、至極の映像体験へ、ようこそ!
■監督・製作・脚本 スタンリー・キューブリック■原作・脚本 アーサー・C・クラーク
■出演 キア・デュリア/ゲイリー・ロックウッド/ウイリアム・シルベスター/ダニエル・リクター/ダグラス・レイン/レオナード・ロシター/マーガレット・タイザック
■1968年アカデミー賞 最優秀特殊効果賞/1969年英国アカデミー賞 最優秀美術監督賞、最優秀撮影賞、最優秀サウンドトラック賞 ほか受賞
2010年1月2日から1月8日まで上映
★一本のみの上映。ラスト割引はありません
遥か400万年前、地球上では人類の祖先であるヒトザルが、原始的な道具さえなく、草の根や死んだ動物の肉を食べて生きていた。ある朝、彼らの前に“それ”が忽然と現れる。巨大な黒石版、「モノリス」。ヒトザルの一匹がそれに触れると、天恵を受けたかのように屍の骨を道具として使うことを知る。道具は武器となり、“進化”した彼らは、生きていくために同族の殺戮も覚えるのだった。
そして2001年、人類は月に基地や植民地を持ち、地球と月の間を定期旅客宇宙船が通うまでに進化していた。宇宙ステーションに到着したフロイド博士の極秘任務は、月で発見された謎の巨大な物体、“モノリス”を調査すること。その結果、モノリスは木星方向に強力な電波シグナルを送っていることが解明する。
18ヵ月後、原子力宇宙船ディスカバリー号が、思考力・感情など最高の人工知能を持つスーパー・コンピューター「HAL9000」と共に、地球から約8億キロ離れた木星へと出発する。順調に進んでいた飛行だったが、突然HALから嘘の故障が報告され、事態は急展開を迎える…。
完璧主義者で知られるキューブリックではあるが、この技術が発達した現代においてもなお、そのクオリティの高さは驚愕に値する。脚本を共に執筆したアーサー・C・クラークに「君が文章で表わせるものならどんな事でも、私が必ず映像で表現してみせる」と語った通り、彼は全てに100%を求めた。元NASAの職員、IBM、ボーイング航空機製造会社、ベル電話会社、グラマン航空機製造会社など多くの協力を得て、優秀なスタッフと、トラック20台分の資料が集められた。宇宙船ディスカバリー号の建設にはそれぞれの分野に卓越した130名の模型製造者が雇われ、キューブリックに「サンタの工場」と呼ばれていた。完璧を求めたとはいえ、時にはキューブリックがたしなめるほど現場は過熱し、徹底に徹底が重ねられたという。こうして4年の歳月をかけ完成した映画は、今も恒星のごとく光り輝いている。
(ザジ)