早稲田松竹クラシックスvol.146/エミール・クストリッツァ監督特集

ミ・ナミ

巷で流行りの新語に「エモい」という言葉があります。辞書的な意味はともかく、私の個人的な感覚では、すでに失われたなにものかへの言い知れぬ寂しさをふくむ愛情について言うように思います。エミール・クストリッツァ監督の映画は、私が「エモい」感情を刺激される作品の一つです。彼の自作の大半は、監督のルーツであるユーゴスラヴィアが舞台となっています。ユーゴスラヴィアは、世界地図上に存在していた南東ヨーロッパの国ですが、90年代初めに崩壊。今では世界地図から消滅してしまっているのです。

クストリッツァ監督が生み出す物語が、厳しい現実に根差しながらもどこかのどかで、神話やおとぎ話に似ているのは、監督が愛してやまない動物たちのただならぬ存在感によるものだと思います。たとえば『ジプシーのとき』で主人公のロマの青年が抱きしめている七面鳥や、『アンダーグラウンド』のチンパンジーのソニ。登場人物たちのみっともなくも愛らしい人生に対する動物たちの視線の雄弁さがまた、映画における言葉にできない行間を埋めてくれているのです。

故郷を国ごと失ってしまうというのは、どれほどの悲劇なのか、私には想像することができません。クストリッツァ作品にあるふるさとへの尽きせぬ思いと深い哀惜は、いたずら心がない交ぜになった世界観であるがゆえに、観る者の心のずっと深いところで、一層感情をかき立てるのでしょう。今週早稲田松竹では、クストリッツァ監督のエッセンスが感じられる名作『ジプシーのとき』と『アンダーグラウンド』を、二本立てで上映いたします。

ジプシーのとき デジタル・リマスター版
TIME OF THE GYPSIES

開映時間 ※上映は終了しました
エミール・クストリッツァ監督作品/1989年/イギリス・イタリア・ユーゴスラヴィア/142分/DCP ビスタ

■監督・脚本 エミール・クストリッツァ
■共同脚本 ゴルダン・ミヒッチ
■撮影 ヴィルコ・フィラチ
■音楽 ゴラン・ブレゴヴィッチ

■出演 ダヴォール・ドゥイモヴィッチ/ボラ・トドロヴィッチ/リュビッツァ・アジョヴィッチ/フスニャ・ハスィモヴィッチ/スィノリチカ・テプコヴァ

■1989年カンヌ国際映画祭監督賞受賞/ロベルト・ロッセリーニ賞受賞

© 1989 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

【2019年4月13日から4月19日まで上映】

漂泊の民ジプシーがたどる夢と幻の日々

ジプシーたちが生活する、旧ユーゴスラヴィアのとある小さな村。粗末な祖母の家で足の悪い妹や放蕩者の叔父と暮らすペルハンは、不思議な魔法とジプシーの誇りを祖母から授かり受けた心優しい少年だ。ある日、悪事をして稼ぐ村一番の金持ち・アーメドを頭とするジーダ兄弟が村に帰ってきた。祖母の魔術がアーメドの息子を急病から救ったことで、彼はペルハンの妹の足を治すことを約束する。しかし、病院に妹を入れるとアーメドは無理やりペルハンをイタリアへ連れていき、ジプシーの“生活の糧"のひとつである盗みや物乞いを教え込む。次第に悪に手を染めるぺルハンだったが―

鬼才クストリッツァが流麗に描く一大叙事詩

ヨーロッパ中を放浪したジプシーの日常生活をひとりの青年の成長記として描いた本作は、いかなる束縛からも自由で、本能のままに生きる人物像を好んで描く監督の作家的傾向が窺い知れる。ジプシーは、600年ほど前に東方からヨーロッパにたどり着いたと言われる民族。彼らは自らを“ロマ”(人間を意味する)と名乗り、ロマ語を使い何百年ものあいだ、一般社会とは一線を画し独自の文化を築いている。

クストリッツァ監督はジプシーの新聞記事を読み映画製作を思い立ち、脚本家のゴルダン・ミヒッチと共にジプシーのキャンプに住み込み取材を重ね、9か月にわたる撮影期間を経て完成させた。キャストの大半は演技経験のない本物のジプシーたちを起用。セリフの90%はロマ語である。

管楽器主体によるマケドニアのジプシー音楽やセルビア正教の聖歌、イタリアの伝統音楽を巧みにミックスした音楽は、旧ユーゴの人気ロックバンド“ホワイト・ボタン”のゴラン・ブレコヴィッチが担当している。

アンダーグラウンド デジタル・リマスター版
UNDERGROUND

開映時間 ※上映は終了しました
エミール・クストリッツァ監督作品/1995年/フランス・ドイツ・ハンガリー/171分/DCP ビスタ

■監督・脚本 エミール・クストリッツァ
■原作・脚本 デュシャン・コバチェヴィッチ
■撮影 ヴィルコ・フィラチ
■音楽 ゴラン・ブレゴヴィッチ

■出演 ミキ・マノイロヴィッチ/ミリャナ・ヤコヴィッチ/ ラザル・リストフスキー/スラヴコ・スティマチ/エルンスト・シュトッツナー/スルジャン・トドロヴィッチ/ミリャナ・カラノヴィッチ

■1995年カンヌ国際映画祭パルムドール受賞

©CIBY 2000 ­ PANDORA FILM­MOVO FILM

【2019年4月13日から4月19日まで上映】

昔、ある所に国があった。

第二次世界大戦中、ドイツ軍に侵略されたセルビアの首都ベオグラードに住む武器商人のマルコは、レジスタンス活動を行うために市民を率いて地下に潜伏し、そこで武器を製造させて巨万の富を築きあげる。そして大戦が終結した後も、彼は市民にそのことを告げず、せっせと武器を作らせ続けていた。50年後、アンダーグラウンドの住人が地上へ出た時、ようやく祖国ユーゴスラヴィアが失われていた真実を知る…。

20世紀ベスト10に入る伝説の映画、 クストリッツァ監督最高傑作!

『パパは、出張中!』に続き二度目のカンヌ映画祭パルム・ドールに輝いた本作は、映画の超異端児にして天才的クリエーター、クストリッツァ監督が祖国ボスニア・ヘルツェゴヴィナ(旧ユーゴスラヴィア)の50年に渡る悲劇の歴史をブラックなファンタジーとして再構築した一大巨篇。国が崩壊してしまった現実を前にして愛と狂気で生き抜いた人々の姿を描く。

子ども時代に夢みた幻想的な映像と、ハイスピードなブラスバンドのツービートにジプシー風哀愁のメロディーが見事に重なりあう。民族紛争の不条理さは21世紀の今見ても胸に迫る衝撃。映画評論家の故淀川長治氏がラスト・シーンの素晴らしさに「涙で画面がくもってしまう」と語った、20世紀ベスト10に入る奇跡の一本!