【2020/11/24(土)~11/27(金)】『山の焚火』『ポーラX』

ぽっけ

「この世の箍(たが)が外れた。何の悪意か、それを直す役目に生まれるとは!」
―シェイクスピア『ハムレット』より

今週の早稲田松竹は、20世紀の終わりを告げるように前作『ポンヌフの恋人』から8年の沈黙を破ってレオス・カラックスによって生み出された異形の傑作『ポーラX』と、アルプスの山腹に住む家族の暮らしを広大な風景とともにフレディ・M・ムーラーによる透徹した視線で描かれた『山の焚火』の二本立て。1999年のフランス映画と1985年のスイス映画を2020年に一度に観るというのはいささか不思議な体験かもしれない。

『山の焚火』は学校に通うことのない聾唖の弟と教師になる夢を諦めて弟の勉強を見てやる姉の物語。「おこりん坊」と敬遠されている山岳民の一家。自然と調和した自給自足の暮らしは、現代社会とは程遠い古代の暮らしを見ているかのようだ。しかしその山の素朴な暮らしも、弟と姉がタブーを犯すことで崩壊していく。

『ポーラX』はハーマン・メルヴィルが『白鯨』の直後に書いた『ピエールあるいは諸々の曖昧さ』を元に郊外の広々とした城館に母と二人で暮らす小説家ピエールの異母姉(かもしれない)イザベルとの出会いから始まる破滅へと進む物語。美しい婚約者との結婚を間近に控え、亡き元外交官の父が遺した城館での母と二人きりの親密で裕福な暮らし。しかしその暮らしぶりが窺えるこの映画の前半部分と、イザベルと駆け落ちしてからの後半部分は全く異なった様相を呈している(実際に前半と後半で撮影フィルムも35mmから16mmへと切り替わっている)。

『山の焚火』が広大でありながら脱出困難な山岳地帯という閉域におけるエディプスコンプレックス的な欲望と抑圧のテーマを扱った物語だとして、『ポーラX』も亡き父に約束された裕福な暮らしと、異母姉という「世間に隠したい」存在との間に引き裂かれ、自ら破滅へと向かっていく青年の貴種流離譚の物語的な流れを纏っており、そこに共通する「父殺し」の問題、権威の破壊というテーマを見出すことができたとしても、この2つの作品を並べて1つ筋道を述べることはとても困難だ。フレディ・M・ムーラーのどこまでも透徹した描き方は説話的な誘導を決して許しはせず、今そこに立ち上がってくる映画としか言いようのない瞬間を写し取っていくがゆえに神話的な崇高さを帯びていくのに対して、カラックスはこの脱臼した英雄譚が抱える暗い魂の揺らめきを見つめながら、どこまでもどこまでも降りていく。神々や王族におけるこの種の物語にあるカタルシスやメロドラマ的な快楽よりももっと深く、もっと暗い魂を見つめ決してその光を外部に漏らそうとしない。この2本の映画は交わることはない。もしかしたらそれぞれ逆の位相を構成して打ち消しあってしまうかもしれない。

しかし家族や姉弟という人間関係の中に震える純粋な魂(純粋という言葉がこれほど皮肉に響くこともない)を写し取ろうと、あのアルプスの山腹に用意された舞台の美しさを見て欲しい。城館から地下室(アンダーグラウンド)まで深く深く降りていくあの絶望の唯一無二の徹底した描写を見て欲しい。天上から地獄まで人間が棲もうとする隅々までの領域に存在する光のグラデーションを。聴いて欲しい、廃工場でなり響く轟音を、静かなる山の音を。

ポーラX
Pola X

レオス・カラックス監督作品/1999年/フランス・ドイツ・スイス・日本 /134分/35mm/ヨーロピアンビスタ/SRD

■監督・脚本 レオス・カラックス
■原作 ハーマン・メルヴィル
■脚本 レオス・カラックス/ジャン=ポル・ファルゴー/ローランド・セドフスキー
■撮影 エリック・ゴーティエ
■音楽 スコット・ウォーカー

■出演 ギョーム・ドパルデュー/カトリーヌ・ドヌーヴ/カテリーナ・ゴルベワ/デルフィーヌ・シュイヨー

■1999年カンヌ国際映画祭パルム・ドールノミネート

【2020年11月24日から11月27日まで上映】

ぼくらは深く、深く、もっと深く降りてゆかねばならない。

新進小説家のピエール・ヴァロンブルーズと美しい母マリーは森に囲まれたノルマンディの瀟洒な城館で恋人同士のように暮らしている。夏の朝、ピエールは亡き父のオートバイで婚約者のリュシーの家へと疾走する。二人は光そのものだった。

ある日、ヴァロンブルーズ家のもう一人の末裔で従兄のティボーがシカゴから帰ってきた。そんなピエールとティボーの再会を盗み見する長い黒髪のジプシーの女・イザベル。ピエールが振り向くと、女は闇へと逃げ惑う。その影を追いかけるピエール。

ピエールの変化を感じとったマリーは、リュシーとの結婚の日取りを早々に決めるのだが、再びイザベルは暗闇の中でピエールの前に姿を現す。「君は誰なんだ?」彼女は「私はあなたの姉…」と答えるのだった。

「狂気の書」と評されたハーマン・メルヴィルの原作を映画化した衝撃作

『ポンヌフの恋人』から8年、レオス・カラックスが1999年に発表した『ポーラX』。初の原作もの、しかも発表当時“狂気の書”とまで評された「白鯨」の作者ハーマン・メルヴィルの問題作「ピエール」を映画化した。姉と弟かもしれぬ男と女が愛の生贄さながらに魂の暗闇を下降し、運命の奔流に溺れていく壮絶過激な純愛物語だ。

闇の中の官能的なベッドシーン、“血の河”に溺れる夢など、今までになく強烈な闇のインパクトによって、破滅へと向かう男の魂を描き、カラックスは新境地を開拓。イザベル役のカテリーナ・ゴルベワはカラックスのパートナーであったが11年に急逝し、『ホーリー・モーターズ』は彼女に捧げられている。

山の焚火
Alpine Fire

フレディ・M・ムーラー 監督作品/1985年/スイス/117分/DCP/ヨーロピアンビスタ

■監督・脚本 フレディ・M・ムーラー
■撮影 ピオ・コラーディ
■音楽 マリオ・ベレッタ

■出演  トーマス・ノック/ヨハンナ・リーア/ロルフ・イリック/ドロテア・モリッツ/イェルク・オーダーマット/ティッリ・ブライデンバッハ

【2020年11月24日から11月27日まで上映】

山、人、魂の交感――

広大なアルプスの山腹。人々から隔絶された地で、ほぼ自給自足の生活を送る4人家族。10代半ばの聾啞の弟は、その不自由さゆえに時に苛立つこともあるが、姉と両親の愛情を一身に受け健やかに育つ。ある日、草刈り機が故障したことに腹を立てた弟は、それを投げ捨て父の怒りを買う。家を飛び出し山小屋に隠れ、一人で生活をする弟。そこに食料などを届ける姉。二人は山頂で焚火を囲み楽しい時間を過ごすが、やがて姉の妊娠が発覚し…。

映画史に燦然と輝く“山”映画の最高峰。スイスの巨匠フレディ・M・ムーラーの伝説の傑作!

ダニエル・シュミットやアラン・タネールらと並び、1960年代後半に起こったスイス映画の新しい潮流“ヌーヴォー・シネマ・スイス”の旗手として知られる、フレディ・M・ムーラー。代表作である『山の焚火』は、1985年に発表され、ロカルノ国際映画祭で金豹賞(グランプリ)を獲得し、世界にムーラーの名を轟かせた。

映画の舞台となった一軒家は、ムーラー監督が100軒以上も歩いて見た農家の中から見つけた小屋で、荒れ果てていたものを増築したり家具や食器を運び入れたりして整えた。撮影はピオ・コラーディ。屋外での複雑な移動撮影、屋内での少ない光源の撮影などで見事に美しい映像を撮り上げた。本作を手掛けたのち、『緑の山』『最後通告』『僕のピアノコンチェルト』などムーラー監督作の撮影を担当している。音楽のマリオ・ベレッタは、本作で耳の聞こえない少年の置かれた状況を画面の中の動作から生じる音によって効果的に作り出した。