【2022/5/21(土)~5/27(金)】『ONODA 一万夜を越えて』『ゆきゆきて、神軍』『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち) 』

ミ・ナミ

信念の人。高い理想に満ちあふれた人。100年に一人の逸材のような強烈な人。今週、早稲田松竹で上映する3作品『ONODA 一万夜を越えて』『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』『ゆきゆきて、神軍』の主人公たちそれぞれを、そう端的に見ることは出来るかもしれません。

しかし2022年の現在、彼らを表面的な価値でのみ判断してしまうことは、イノセントに過ぎるのではないかと私は感じています。この映画たちは、日本にとって1945年8月15日が“終戦”ではなく敗戦の日であること、戦後の経済成長の中でたくさんの間違いを犯しながらも、ひょっとするとその足取りのまま社会を歩んでいるのかもしれないことに直面させるからです。

今を生きる私たちは、この歪みをどうすればいいのか―世代の異なる3人の映画人による時代的省察が、観客の皆さんの良き羅針盤になってくれることを、切に願っています。

「問題は過去を克服することではない。さようなことはできるわけがない。後になって過去を変えたり、起こらなかったりするわけにはいかない。しかし過去に目を閉ざすものは現在にも盲目となってしまう」――ヴァイツゼッカー元西ドイツ大統領

ONODA 一万夜を越えて
Onoda: 10,000 Nights in the Jungle

アルチュール・アラリ監督作品/2021年/フランス・ドイツ・ベルギー・イタリア・日本/174分/DCP/ビスタ

■監督 アルチュール・アラリ
■脚本 アルチュール・アラリ/ヴァンサン・ポワミロ
■製作 ニコラ・アントメ
■撮影 トム・アラリ
■編集 ロラン・セネシャル
■美術 ブリジット・ブラサール
■音響 イヴァン・デュマ/アンドレアス・イルドブラント/アレク・“ビュニク”・グース
■音楽 セバスティアーノ・デ・ジェンナーロ/エンリコ・ガブリエッリ/アンドレア・ポッジョ/ガク・サトウ/オリヴィエ・マリゲリ

■出演 遠藤雄弥/津田寛治/仲野太賀/松浦祐也/千葉哲也/カトウシンスケ/井之脇海/足立智充/吉岡睦雄/伊島空/森岡龍/諏訪敦彦/嶋田久作/イッセー尾形

■2021年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門オープニング作品/セザール賞脚本賞受賞、ほか主要4部門ノミネート

©bathysphere – To Be Continued – Ascent film – Chipangu – Frakas Productions – Pandora Film Produktion – Arte France Cinéma

【2022年5月21日から5月27日まで上映】

彼は何を信じ、何と戦い、そしてどう生き抜いたのか。

1974年、ある青年旅行者は、幻の日本人・小野田寛郎に会いにフィリピンに向かう。時を遡ること30年前、秘密戦の特殊訓練を受けた小野田はフィリピン・ルバング島にて秘密裏にゲリラ戦を指揮するよう命令を受けたジャングルに潜伏していた。小野田は上官の谷口から言い渡された「君たちには、死ぬ権利はない」という言葉を胸に、ジャングルでの壮絶な日々に対峙していたのだった…。

壮絶で孤独な日々と戦った一人の男の人間ドラマ

高所恐怖症で航空隊に入隊できなかった敗北者。陸軍中野学校出身のエリート将校。時の激戦地ルバング島で、部下たちを導く父や兄的存在。敗戦を理解できず、現地民を殺しながら生き延びた日本兵。本作の中で小野田寛郎は複雑で重層的に造型されており、そのことが彼を映画的魅力の濃い人間として完成させています。

フランスで発刊された小野田少尉の伝記に触発されたアルチュール・アラリ監督は、情報将校として配属されまもなく敗走の様相を呈していく惨めさや、仲間の死を目の当たりにしながらも、命令により自らの死は許されないという心の孤独を書き込むことで、戦争という人類最大の過ちを現代に告発しているのかもしれません。

一方、小野田少尉へ帰国を促す日本人旅行客(仲野太賀)には、監督の独特な眼差しが垣間見えます。小野田少尉のかつての上官であり、軍隊とのかかわりをひた隠しにしようとする谷口(イッセー尾形)を、戦争の酸鼻を知らず平和な社会で生きる青年が訪ねて問い詰めるシークエンスはドキュメンタリーのようで、時代を忘却してはいけないことを生々しく突きつけてくるようです。(ミ・ナミ)

<小野田寛郎について>
1922年3月、和歌山県亀川村(現:海南市)生まれ。旧制中学校卒業後、商社員として「田島洋行」漢口(現:武漢)支店勤務。1942年、和歌山歩兵第61連隊に入隊、同年同日歩兵第218連隊に転属、1944年11月に卒業後、フィリピン・ルバング島に派遣され、遊撃指揮(※1)・残置諜者(※2)の任務を与えられる。以来、30年間任務解除の命令を受けられないまま戦闘を続行。1974年日本に帰還後、翌年にはブラジルに移住。2014年1月16日、肺炎のため死去、91歳没。


※1 遊撃指揮:ゲリラ戦について、未教育の部隊や兵員に実地で指導すること
※2 残置諜者:敵の占領地内に残留して味方の反撃に備え各種の情報を収集しておく情報員
【関連サイト】一般財団法人 小野田記念財団

ゆきゆきて、神軍
The Emperor's Naked Army Marches On

原一男監督作品/1987年/日本/122分/DCP/英語字幕付き/ビスタ

■監督 原一男
■企画 今村昌平
■制作 小林佐智子
■録音 栗林豊彦
■編集・構成 鍋島 惇
■助監督 安岡卓治/大宮浩一
■撮影助手 德永靖子/三好雄之進
■選曲 山川 繁
■効果 伊藤進一

■出演 奥崎謙三

■1987年ベルリン国際映画祭 カリガリ映画賞/ブルーリボン賞監督賞受賞

★本作は英語字幕付きです。

©疾走プロダクション

【2022年5月21日から5月27日まで上映】

知らぬ存ぜぬは許しません。

1982年、兵庫県神戸市。妻・シズミと2人でバッテリー商を営む奥崎謙三は、ニューギニア戦の生き残りであり、死んだ戦友の怨念をこめて天皇にパチンコ玉を撃った男である。奥崎はニューギニアの地に自分の手で埋葬した故・島本一等兵の母を訪ね、彼女をニューギニアの旅に連れていくことを約束する。

終戦から23日後、36連隊ウェワク残留隊内で隊長・古清水による2名の部下銃殺事件が起こった。その真相究明のため奥崎は、かつての上官たちの家を次々、アポなしで襲撃してゆく。その追求の果てに〝究極の禁忌(タブー)″が日々の営みの一部となっていた戦場の狂気が、生々しく証言されることになる―。

天皇の戦争責任に迫る過激なアナーキスト・奥崎謙三を追った衝撃のドキュメンタリー。

『ゆきゆきて、神軍』は、公開当時大成功を収めました。原一男監督が述懐するように、その頃はまだ、戦後に蘇った亡霊のような奥崎謙三氏の“奇行”を喜ぶ『昭和』が残っていたからなのでしょう。人殺しの計画も公言して憚らない奥崎氏でしたが、自己演出が巧みでした。容易に〝演技〟してみせる彼に、原一男監督も大いに翻弄させられたそうです。本作がドキュメンタリー映画として誠実であるのは、映画作家と撮影対象の絶妙な距離によってそうした監督の戸惑いがカメラを通して表現されている点ではないでしょうか。

一方、作品を見返してみると、奥崎謙三氏が単純に破天荒で滑稽な人間として止めてしまうだけでは片づけられないことを感じました。時代のせいにしてきた戦争の責任が、一体誰にあるのか—〝狂気〟を振る舞い、時に突き抜けた〝狂気〟でのみ触れられる本質をまさぐり続けた奥崎謙三氏だからこそ、監督は魅了されていったのかもしれません。(ミ・ナミ)

<奥崎謙三について>
1920年、兵庫県生まれ。第二次大戦中召集され、独立工兵隊第三十六連隊の一兵士として、激戦地ニューギニアへ派遣される。ジャングルの極限状態のなかで生き残ったのは、同部隊1300名のうちわずか100名。1956年、悪徳不動産業者を傷害致死、懲役十年の判決。1969年、一般参賀の皇居バルコニーに立つ天皇に向かい「ヤマザキ、天皇を撃て!」と戦死した友の名を叫びながら、手製ゴムパチンコでパチンコ玉4個を発射。懲役一年六ヶ月の判決。戦後初めて天皇の戦争責任を告発した直接行動として衝撃を与えたが、マスコミ等の報道や裁判審理過程においては、その主張の本質は徹底的に回避される。1972年、“天皇ポルノビラ”をまき、懲役一年二ヶ月の判決。1981年、田中角栄殺人予備罪で逮捕、不起訴。1983年、元中隊長の息子に発砲。1987年、殺人未遂等で懲役十二年の判決。(公開時資料より)

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)
United Red Army

若松孝二監督作品/2007年/日本/190分/35mm/ビスタ/SR

■監督・製作・企画 若松孝二
■プロデューサー 尾崎宗子/大友麻子
■原作 掛川正幸
■脚本 若松孝二/掛川正幸/大友麻子
■撮影 辻智彦/戸田義久
■音楽 ジム・オルーク
■ナレーション 原田芳雄

■出演 坂井真紀/ARATA(井浦新)/並木愛枝/地曵豪/伴杏里/大西信満/中泉英雄/伊達建士/日下部千太郎/椋田涼/粕谷佳五/川淳平/桃生亜希子/本多章一/笠原紳司/渋川清彦/佐野史郎/奥貫薫

■2008年ベルリン国際映画祭で最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)・国際芸術映画評論連盟賞(CICAE賞)受賞/第20回東京国際映画祭「日本映画・ある視点」作品賞受賞/第7回ニューヨークアジア映画祭審査員特別賞受賞/第63回毎日映画コンクール監督賞・撮影賞受賞

©若松プロダクション

【2022年5月21日から5月27日まで上映】

「革命」に、すべてを賭けたかった…

猛吹雪の中から、黒い人影が現れる。人影は、腰まで埋まる雪をかき分け、亡霊のように雪原を進んでいく。その背中に、粛清した同志たちの痛みを背負って……。1972年2月、日本中を震撼させた「あさま山荘事件」。山荘に立てこもり、警察との銃撃戦を繰り広げたのは、連合赤軍の兵士たちである。

ベトナム反戦や、三里塚闘争、沖縄返還闘争、日米安保反対闘争などで、学生や農民、労働者たちが社会変革を求めて立ち上がっていた1960年代。バリケード封鎖されていた東大安田講堂の封鎖解除後、活動家たちの逮捕が相次ぎ、若者たちは先鋭化していく。ブントの内部対立によって組織された赤軍派と、中国の文化大革命に同調する神奈川の組織から分離独立した革命左派が、統一赤軍(のちの連合赤軍)を結成。革命にすべてを賭け、山へ入っていった彼らは、次第に総括、自己批判という名で、同志たちを追いつめていく…。

革命を夢見る若者たちを追い詰めたものは何だったのか。若松孝二が実録タッチで生々しく描写した渾身の力作。

あさま山荘事件から50年が経つ今年に本作を観ることに、運命めいた厳粛な思いになります。190分の長さを感じさせないダイナミズムあふれる脚本、人物の機微をとらえるカメラワークなど、やはり映画史において称賛されるべき一本です。

一方そんな傑作を見終わってなお、本作を映画的美点で語ることだけでは、作品の本質にたどり着けないのかもしれません。あさま山荘立てこもりのシーンでは、身重の妻への私刑を止められなかったある連合赤軍幹部・吉野正邦(菟田高城)の横顔を見逃さずにはいられませんでした。銃を撃ち放したその刹那かすかに前髪が揺れる吉野の横顔は、若者たちは真剣で必死であったこと、彼らの魂が美しい瞬間があったことを感じさせます。

しかし同時に、その高邁な思想の中で苛烈な暴力と虐殺が行われたという事実が、私たちをアンビバレンスな戸惑いに放り込むのでした。若松孝二監督は、こうして連合赤軍の〝その後〟を生きる観客の倫理を揺さぶり、再思考を挑んでくるのです。(ミ・ナミ)

★2011年2月5日に当館にて開催された、若松孝二トークショーレポはこちら⇒http://www.wasedashochiku.co.jp/lineup/2011/wakamatsu_talk.html
上映作品『キャタピラー』『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』の貴重なお話をたっぷり掲載しております。