ミ・ナミ
夢とは実に恣意的な空間です。「夢に鳥が出てきた」と一言で言っても、くちばしの形、翼の大きさ、羽根の色など、百人いれば百通りの違いを見せます。夢を映画に再現すること、ましてやその描いた世界で多くの観客の心を動かすことは、人間の想像力が千差万別であるという事実の前では大変難しいことです。ところが「映画とは、他人の夢を模倣するもの。映画と夢とはつながっている」と語る映画作家アピチャッポン・ウィーラセタクンは、夢のような映画を難なく再現してみせてくれました。
今週の早稲田松竹は、そんなアピチャッポン監督の特集上映です。たとえば身近な誰かを亡くしたとき、現世と彼岸とが全く別の世界ではなく、ふとした瞬間につながりを感じることがあるとしたら、私たちが夜ごと見ている夢は、その入り口なのかもしれません。アピチャッポン監督の作品は、しばしば“光と記憶”で語られます。光も記憶も手に取ることはできず、しかしそこにたしかに存在しているものです。アピチャッポンの映画を観るとき、しばしば言葉で説明のつけられない、もどかしさとせつなさに襲われるのは、遠く忘れてしまったまばゆい記憶やいなくなってしまった人のそばに、もう一度わたしたちを揺り戻してくれるからかもしれません。お盆のこの季節、アピチャッポンの世界に浸ってみてはいかがでしょうか。
ブンミおじさんの森
Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives
■監督・製作・脚本 アピチャッポン・ウィーラセタクン
■撮影 サヨムプー・ムックディプローム/ユッコントン・ミンモンコン/チャリン・ペンパーニット
■編集 リー・チャータメーティクン
■音響 清水宏一
■出演 タナパット・サーイセイマー/ジェーンジラー・ポンパット /サクダー・ケーオブアディ/ナッタカーン・アパイウォン/チィラサック・クンホン
■2010年カンヌ国際映画祭パルムドール受賞/シッチェス・カタロニア国際ファンタスティック映画祭批評家賞受賞/カイエ・デュ・シネマ2010ベスト1
©Kick the Machine Films
【2019年8月10日から8月16日まで上映】
いくつもの時を生き 穏やかに 目を閉じる。いつかどこかで また会える。
腎臓の病に冒され、死を間近にしたブンミは、妻の妹ジェンをタイ東北部にある自分の農園に呼び寄せる。そこに19年前に亡くなった妻が現れ、数年前に行方不明になった息子も姿を変えて現れる。やがてブンミは愛するものたちとともに森に入っていく…。
美しく斬新なイマジネーション、思わず笑みがこぼれるユーモア。 何より生と死に対する優しく深い洞察が、世界に驚きを与えた傑作!
2010年カンヌ国際映画祭にてタイ映画として初のパルムドールを受賞した本作。審査委員長を務めたティム・バートンは受賞の理由をこう語る。「世界はより小さく、より西洋的に、ハリウッド的になっている。でもこの映画には、私が見たこともないファンタジーがあった。それは美しく、まるで不思議な夢を見ているようだった。僕たちはいつも映画にサプライズを求めている。この映画は、まさにそのサプライズをもたらした」。
ブンミと一緒に森を歩き、洞窟の中に入っていく私たちの耳に聞こえてくる静かな声が聞こえてくるとき、 心は不思議に懐かしい感情で満たされる。私たちのからだの中にある東洋の遺伝子が、ブンミを通して魂が繰り返し生きて行くことを思い出させてくれるのかもしれない。
この映画には、近代が失ってしまった闇があり、見えざるものがあり、穏やかな死がある。だからこそ光は美しく、世界は驚きに満ち、生は目映い。『ブンミおじさんの森』は、かつてそうであったものを、未来に伝える幸福な映画なのである。
世紀の光
Syndromes and a Century
■監督・製作・脚本 アピチャッポン・ウィーラセタクン
■撮影 サヨムプー・ムックディプローム
■編集 リー・チャータメーティクン
■音響デザイン 清水宏一/アクリットチャルーム・カンヤーナミット
■音楽 カーンティ・アナンタカーン/NEIL&IRAIZA
■出演 ナンタラット・サワッディクン/ジャールチャイ・イアムアラーム/ソーポン・プーカノック/ジェーンジラー・ポンパット/サクダー・ケーオブアディ
© 2006 Kick the Machine Films
【2019年8月10日から8月16日まで上映】
地方の緑豊かな病院/近代的な白い病院 前後半のパートに分かれた、心地よくて懐かしく、でも見たことのない映画。
映画は2つのパートに分かれており、前半の舞台は豊かな自然に囲まれた地方の病院。ノスタルジックな雰囲気の中、一人の女性医師の恋愛エピソードを中心に病院に集う人々の人間模様が描かれる。後半では舞台を都市部の近代的な総合病院に移し、一人の男性医師とその周辺の人々が無機質な環境の中に描かれる。登場人物の多くも重なり、医師の恋の芽生えなどのエピソードは2つのパートで反復され、まるで夢をみているかのような奇妙な感覚に誘われる。
自然の光と人工の光。過去の記憶と未来への慄き。変わりゆく人間と変わらない人間。撮影中に多くのスタッフが恋に落ちたというエピソードを持つ、タイの天才が贈る“微笑み”と“驚き”の傑作。
「これは愛についての映画で、医者だった両親から着想を得たものです。この映画には母の記憶、亡くなった父の記憶、そして僕自身の記憶もミックスしています。この映画の2部構成には自分自身に起きた変化や故郷の町に起きた変化が反映されているといえます。そして現場では違う種類の人間が家族のようになって作りました。僕にとって特別な映画です」——アピチャッポン・ウィーラセタクン
【特別レイトショー】真昼の不思議な物体
【Late Show】Mysterious Object at Noon
■監督 アピチャッポン・ウィーラセタクン
■脚本 タイの村人 たち
■撮影 ブラソン・クリンボーロム
■編集 アピチャッポン・ウィーラセタクン/ミンモンコン・ソーナークン
■2001年山形国際ドキュメンタリー映画祭インターナショナル・コンペティション優秀賞&NETPAC特別賞受賞/全州国際映画祭グランプリ受賞
©Kick the Machine Films
【2019年8月10日から8月16日まで上映】
山形ドキュメンタリー映画祭2001優秀賞受賞! アピチャッポンの記念すべき長編初監督作
タイ北部の田舎の村で行商人の女性が、撮影クルーに促され、一つの架空の物語を語り始める。彼女が語った物語の続きを象使いの少年たち、伝説演劇の劇団員たちなど、様々な人々がリレー形式で即興的に語り継ぎ、物語は二転、三転しながら思わぬ方向に進んでいく…。
アピチャッポン監督がタイの国中を旅して出会った人たちに物語の続きを創作してもらい、画面にはマイクを向けられるタイの地方の人々と、彼らによって語られた「不思議な物体」の物語が交錯して描かれる。2001年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で最優秀賞を受賞した本作は、驚くほど自由なイマジネーションと同時に緻密に考えられた構成で、世界を仰天させた記念すべき長編初監督作。モノクロ映像で描かれる不思議で自由な語り口の中にアピチャッポンのその後の作品の重要な要素となる“変容”のモチーフがあられている。
「『真昼の不思議な物体』は当初はコンセプチュアルな短編作品として構想したのだが、2年間の紆余曲折を経て長編になった。とはいえ、この作品の仕上げ役を担ったのは私ではなくタイ各地の村の人々。この物語と映画は村人たちのものだ。私はこの映画を手に入る材料だけで、解釈の自由なスタイルで構築した。非常に限られた予算だったので、短所を逆手にとって、物語や時間軸のあちこちを切り貼りするのは大変な作業となったが、結果として、自分にとってスタッフと一緒に話を探しながらする旅は最高の経験となった。」——アピチャッポン・ウィーラセタクン
(山形国際ドキュメンタリー映画祭2001公式カタログより抜粋)