ぽっけ
1951年に開館した早稲田松竹も2021年で70周年を迎えます。皆様には本当に長い間ご愛顧賜りまして誠に有難うございます。年末年始は日本映画の傑作を上映することが恒例になってきておりますが、今回は2011~2012年の年越し以来の、単独での小津安二郎監督特集です(2016~2017は小津監督×山中貞雄監督特集でした)。しかも今回は2週間にわたって計8作品を上映します。
前回は東日本大震災後初めてのお正月に『東京物語』『東京暮色』の二本立てを上映致しました。なかなか会うことのできない家族のことに思いを巡らせるのに、変わっていく東京の景色やその渦中にある人々の生活の機微を写し取ってきた小津監督の作品をおいて他は浮かびませんでした。小津安二郎監督の映画は一見すると、日常の静かな生活を描いている作品が多いですが、淡々と描かれる生活の背景と共に、変化する時代や生活と向き合う人々の姿を冷静に見つめる視点があります。
『風の中の雌鶏』は重病の息子の治療費と生活苦が重なり、一度だけ体を売ってしまった妻と、戦争から帰ってきた夫を描いています。怒った夫が妻を階段から落としてしまうシーンは忘れることができません。もしかしたらその一つの出来事(重病、戦争、階段から落ちる)で死んでいたかもしれない。そのヒリヒリとして、油断する間もなく次々と押し寄せる現実の波の中、なんとか絶望せずに生きていこうとする敗戦後の人々の姿を描いています。
小津監督唯一にして同時代の世界中の監督たちの傑作にもひけをとらない極上の犯罪メロドラマ『非常線の女』。ここでも登場人物たちは自分たちの生活をなんとか変えようとする人たちばかりです。ボクサー崩れの用心棒とその恋人が、一人の純真無垢な女性と出会うことからまともな生活をしようと歩もうとする。しかし、その女性でさえ自分の弟の生活ぶりを心配し、平穏なままでいられるわけではないのです。むしろ小津監督の映画の中では、生活の変化に不安を感じずにいられる者などおりません。
小津監督の遺作である『秋刀魚の味』には後半で上映する『東京の合唱』でも見られる中学時代の先生が登場し、その先生の同窓会の相談をするシーンから始まります。過去を懐かしむ中年の旧友たちが楽しそうに思い出話をすればするほど、自分自身の年齢が先生と似たような老年期に近づいていく怖さがある。その怖さが、自分の娘の結婚話へと展開していくのは、親心と言うだけでは計り知れない感情があります。
造り酒屋を営む小早川家の大黒柱である父が心筋梗塞で倒れてから、大きく現実が動いていく『小早川家の秋』。一人の人物によってギリギリ留められている時の流れ。一家の主を失えば、家族が解体し、造り酒屋も続けることができない。小津監督が人々を描くときに見つめている一般通念とは異なった時間や現実の捉え方は、何度見ても新鮮さを失うことはありません。当然のようでいて生活しているうちにすぐに忘れてしまう、いや直視することが耐え難いような生活からこそ目を背けずに居続けたのだと思います。
この年末年始は家族に会うことができずに過ごす人も多くあると思います。小津監督の映画はそういった家族への想いを癒してくれるというよりは、現実から目を背けない強さを教えてくれるような映画ばかりですが、是非この機会にご鑑賞頂ければ幸いです。賀正。
(ぽっけ)
非常線の女
Dragnet Girl
■監督 小津安二郎
■原作 ジェームス・槇
■脚本 池田忠雄
■撮影 茂原英朗
■編集 石川和雄/栗林実
■出演 田中絹代/岡譲二/水久保澄子/三井秀夫/逢初夢子/高山義郎/加賀晃二
©1933 松竹株式会社
★サイレント・音楽なしの上映となります。
小津作品では珍しい異色の和製ギャング映画。
時子は昼間はタイピストとして働いているが、私生活では三流ヤクザの襄二と一緒に暮らしている。学生の宏もその仲間に加わるが、襄二は彼の姉・和子に惹かれる。時子はそれを知り、和子を脅そうとするが逆に彼女を気に入り、自分や襄二もアウトローな世界から足を洗おうと決心するのだが…。
岡譲二と田中絹代を暗黒街の男と情婦に配した異色の和製ギャング映画で、二人は与太者とその可憐な姉を自分の属す悪の世界から救う。若き小津のアメリカ映画好きをうかがわせる“洋才”の作品だが、衣装・美術に至るまで細部のセンスの良さには目をみはらされる。
風の中の牝雞
A Hen in the Wind
■監督 小津安二郎
■脚本 斎藤良輔/小津安二郎
■撮影 厚田雄春
■編集 浜村義康
■音楽 伊藤宣二
■出演 佐野周二/田中絹代/村田知英子/笠智衆/坂本武/高松栄子/水上令子/文谷千代子
©1948 松竹株式会社
“完全な夫婦はいない”小津安二郎が訴える新しい夫婦愛――
雨宮時子は、夫・修一が外地へ赴いているため、健気にミシンを踏んで生計を立てていた。苦しい毎日ではあるが、息子・浩の成長ぶりを夫に見てもらう日を心の支えにした生活であった。ある時、浩が病に倒れ入院し、まとまった金が必要になり途方に暮れた時子は、いかがわしい安宿で見知らぬ男に身体を売ってしまう…。そして、やっと戻った夫は、留守中の妻の真実を知ることになる。
小津安二郎監督の復員後第2作目。幼子の急病と入院のためにやむを得ず一夜身を売った妻を、戦地から帰った夫が許すまでを描く。そのテーマ性によって『雪割草』『恋文』といった一連の“戦争と貞操”もの映画に位置付けられてもなお、演出は小津らしく緻密。小津作品中唯一のバイオレンス・シーンも盛り込まれ、最も悲痛な作品。
小早川家の秋
The End of Summer
■監督 小津安二郎
■脚本 野田高梧/小津安二郎
■撮影 中井朝一
■編集 岩下広一
■音楽 黛敏郎
■出演 中村鴈治郎/原節子/司葉子/新珠三千代/小林桂樹/島津雅彦/森繁久彌/浪花千栄子/団令子/杉村春子/加東大介/東郷晴子/白川由美/笠智衆
■パンフレット販売なし
©1961 東宝
関西にある老舗の造り酒屋、小早川家に起こる悲喜こもごもを描く傑作ホームドラマ。
京都に近いある町の造り酒屋の老主人・小早川万兵衛は、経営を娘夫婦に任せて今は隠居の身。そんなある日、彼は偶然にも空襲で生き別れたかつての愛人と再会し、彼女が経営する京都のお茶屋に通い始めるようになるが…。
妻に先立たれた造り酒屋の小早川万兵衛を中心に、亡き長男の嫁の問題や、次女の恋愛、自身の女性問題など、小早川家にかかわる悲喜こもごもを小津監督が独特の情感で描写した作品。原節子、司葉子、森繁久彌、中村雁次郎、小林佳樹、加東大介といった、ベテランキャストが総出演。小津監督唯一の東宝作品。
秋刀魚の味<デジタル修復版>
An Autumn Afternoon
■監督 小津安二郎
■脚本 野田高梧・小津安二郎
■撮影 厚田雄春
■編集 浜村義康
■美術 浜田辰雄
■音楽 斎藤高順
■出演 岩下志麻/笠智衆/佐田啓二/岡田茉莉子/吉田輝雄/三木真一郎/牧紀子/中村伸郎/三宅邦子/東野英治郎/杉村春子/加東大介/岸田今日子
■パンフレット販売なし
©1962 松竹株式会社
娘の縁談がまとまり娘が嫁ぐ日、父は孤独な後ろ姿を見せるのだった。 老いと孤独という深刻なテーマを喜劇的に描いた、偉大なる映像作家の遺作。
平山は妻に先立たれ、家事一切を娘の路子に頼っていた。同窓会に出席した彼は、酩酊した恩師を送っていく。そこで会ったのは、やもめの父の世話に追われ、婚期を逃がした恩師の娘。平山は路子の縁談を真剣に考えるようになる。
小津安二郎の遺作。小津作品の要素を多分に含んだ、小津映画の集大成とも言える。男手一つで育てた娘を嫁に出す父の気持ち、嫁に行く当の娘の心情を細やかに描き出す。結婚を巡る父と娘の関係という小津映画定番のテーマを柱に、老いてゆく者の孤独を際立たせている。本作の構想を練っていた1962年2月に最愛の母を失った小津監督の、老いることへの悲しみがここに投影されている。仲のいい初老の紳士たち、うらぶれ老いた恩師とその娘、父の海軍時代の部下、戦後的な兄夫婦など、主筋以外の点描も余裕に満ちて見事。